民俗 交通(共通語)

概要

昔、山原船などの海上交通を使用するのは木炭、材木、薪などを運搬する時で、首里や那覇に行くときはすべて徒歩だった。馬車もあることはあった。東線と西線があり、東線は東恩納村まで歩いて行き、そこから馬車に乗った。当時の馬車の車輪は鉄でできていてスポークは木でできていた。荷馬車と客馬車の二種類があった。西線は名護まで歩いて行きそこから馬車に乗った。両線とも馬車は毎日通っていた。道路ができたのが西線のほうが先で、昭和6、7年。バスが通るようになったのは終戦後2、3年してからである。自動車が入ってきたのは昭和8、9年頃。

再生時間:4:03

民話詳細DATA

レコード番号 47O380430
CD番号 47O38C021
決定題名 民俗 交通(共通語)
話者がつけた題名
話者名 比嘉蒲春
話者名かな ひがかまはる
生年月日 19100203
性別
出身地 沖縄県国頭郡東村字有銘
記録日 19790803
記録者の所属組織 沖縄口承文芸学術調査団
元テープ番号 東村字有銘 T16 A10 
元テープ管理者 沖縄伝承話資料センター
分類 90
発句(ほっく)
伝承事情
文字化資料
キーワード 山原船,海上交通,木炭,材木,薪,首里,那覇,徒歩,馬車,東線,西線,東恩納村,荷馬車,客馬車,西線,名護,道路,バス,自動車
梗概(こうがい) 昔、山原船などの海上交通を使用するのは木炭、材木、薪などを運搬する時で、首里や那覇に行くときはすべて徒歩だった。馬車もあることはあった。東線と西線があり、東線は東恩納村まで歩いて行き、そこから馬車に乗った。当時の馬車の車輪は鉄でできていてスポークは木でできていた。荷馬車と客馬車の二種類があった。西線は名護まで歩いて行きそこから馬車に乗った。両線とも馬車は毎日通っていた。道路ができたのが西線のほうが先で、昭和6、7年。バスが通るようになったのは終戦後2、3年してからである。自動車が入ってきたのは昭和8、9年頃。
全体の記録時間数 4:14
物語の時間数 4:03
言語識別 共通語
音源の質
テープ番号
予備項目1

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