
比嘉さんのわらび名はカマドゥー。学校は天銘尋常小学校を卒業。天銘の名は有銘と天仁屋の文字を取った。それからしばらく山稼ぎをしていた。薪を切って売る職業。当時は陸輸送はなかったので那覇や与那原の山原船がやってきて薪や、木炭、バラック建ての資材などを運んだ。だからここの住民は農村といっても名ばかりだった。漁業はあるにあったが、ここの部落は当時は二百ほど家があったが、漁業をしている人はニ、三人だった。明治初めは4、5世帯あったが大正中頃には二百世帯ほどになった。採訪時の人口は545名。学校卒業後、5.6年程山稼ぎをした後、22才の時に大阪に出稼ぎに行った。それから33才まで大阪にいた。大阪では鋼の針金を作る工場にいた。それから有銘に戻り、一年ほど農業をして、区の書記をやったり区長をやったりした。村議を三期務めた。それからまた役場の書記をしていた。それから助役を6年。村長が二期八年して退職した。戦時中は疎開はしなかった。軍人援護事務というものをやった。それから戦争協力への指導のようなことをやっていた。兵役はない。終戦間近に一般住民みんなが捕虜になって羽地の収容所に入れられた。働けるものは今帰仁の戦後処理の雑役に借り出された。米軍の食料や弾薬などの積み込み作業や米軍が壊した部落の片付け作業などをしていた。
| レコード番号 | 47O380418 |
|---|---|
| CD番号 | 47O38C021 |
| 決定題名 | 民俗 字の概況 話者の生活史(共通語) |
| 話者がつけた題名 | - |
| 話者名 | 比嘉蒲春 |
| 話者名かな | ひがかまはる |
| 生年月日 | 19100203 |
| 性別 | 男 |
| 出身地 | 沖縄県国頭郡東村字有銘 |
| 記録日 | 19790803 |
| 記録者の所属組織 | 沖縄口承文芸学術調査団 |
| 元テープ番号 | 東村字有銘 T15 B03 |
| 元テープ管理者 | 沖縄伝承話資料センター |
| 分類 | 90 |
| 発句(ほっく) | - |
| 伝承事情 | - |
| 文字化資料 | - |
| キーワード | 天銘尋常小学校,山稼ぎ,薪,山原船,木炭,大阪,区長,助役,村長,軍人援護事務,捕虜,今帰仁,戦後処理,米軍 |
| 梗概(こうがい) | 比嘉さんのわらび名はカマドゥー。学校は天銘尋常小学校を卒業。天銘の名は有銘と天仁屋の文字を取った。それからしばらく山稼ぎをしていた。薪を切って売る職業。当時は陸輸送はなかったので那覇や与那原の山原船がやってきて薪や、木炭、バラック建ての資材などを運んだ。だからここの住民は農村といっても名ばかりだった。漁業はあるにあったが、ここの部落は当時は二百ほど家があったが、漁業をしている人はニ、三人だった。明治初めは4、5世帯あったが大正中頃には二百世帯ほどになった。採訪時の人口は545名。学校卒業後、5.6年程山稼ぎをした後、22才の時に大阪に出稼ぎに行った。それから33才まで大阪にいた。大阪では鋼の針金を作る工場にいた。それから有銘に戻り、一年ほど農業をして、区の書記をやったり区長をやったりした。村議を三期務めた。それからまた役場の書記をしていた。それから助役を6年。村長が二期八年して退職した。戦時中は疎開はしなかった。軍人援護事務というものをやった。それから戦争協力への指導のようなことをやっていた。兵役はない。終戦間近に一般住民みんなが捕虜になって羽地の収容所に入れられた。働けるものは今帰仁の戦後処理の雑役に借り出された。米軍の食料や弾薬などの積み込み作業や米軍が壊した部落の片付け作業などをしていた。 |
| 全体の記録時間数 | 14:38 |
| 物語の時間数 | 14:00 |
| 言語識別 | 共通語 |
| 音源の質 | ○ |
| テープ番号 | - |
| 予備項目1 | - |