宝道具由来(シマグチ)

概要

我慢というのは、言わば怖いことにも我慢、また災難やいろんな難儀なことにも我慢、またどんな困難なことに出会っても我慢しなさいということで、言ってみれば何でも忍耐強くしなさいという意味なんだよ。昔ね、ある村に貧乏暮らしの親子がいたって。その親子は、毎日、その日暮しをしていたけど、その息子は、世間で評判な大変な親孝行者だったそうだよ。やがて、親が年を取ってしまい、息を引きとるときに、その息子に遺言をしたって。「私は、私は今何も持ってはいなくて、お前に今、何一つ残せるものがなくて残念だが、あげるものが一つだけある。」と言って、一つの袋を渡した。そして、「この中に入っているもので、お前がニジリを買えば、その買ったニジリできっと幸福になれるよ。」と言われたそうだよ。やがてこの親も死んでしまったらしい。そして、初七日を済ませると、そのあとは毎日あちらこちらに巡り歩いて、「ニジリを買おう。ニジリを買おう。」と、ニジリを求めて歩きまわったそうだよ。世間の人達は、「これは不思議なことだ。」と思ったのか、その人に、「ねえ、あんたが言うのはいったい何のことだ。ニジリというのはどんなものなのかね。」と聞いたって。でもほら、本人もそのニジリというのは分からないわけだからね、何のことだかわからないわけよ。本人も知らないままニジリを買おうといえば、それは当然世間の人にも、「こいつはなんだ。気違いじゃないか。」と思われる。そして、今日も明日も、そのニジリというのはないのだから、もう何も買わずに、毎日こうして歩きまわっては家に帰ってきた。帰ってきて、
「母さん、父さんの言ったニジリはどこにもありません。いつもいつも世間の笑い者にされて、馬鹿にされて。」と、そのまま位牌に向かって話したそうだよ。だけど、その息子は、いろいろ考えて、「自分の親は、そんな嘘をつくような人ではなかったから、きっと、そのニジリというのはあるに違いない。」と言ってね、気をとり直して、また一生懸命捜しに出かけたそうだ。ある日、もうあっちこっち捜し歩いてもないものだから、とても遠いところまで行ったそうだ。そして、とうとう帰れなくなってしまった。途中で日が暮れて暗い山道を歩いていたって。すると、向こうから四、五人の人が来るのが見えたが、出くわして見ると、それは恐ろしい追剥だったそうだ。山賊だったんだって。そして、出くわした追剥達は、「これはこれは、いい儲けがあるぞ。」と言ってね、その息子は、彼らの住み家に連れていかれた。見ると、もうとても大きな洞窟だったそうだ。それから、その追剥達は言ったそうだよ。「ここから一歩でも出たら、お前の命はないぞ。」と脅されたんだって。脅されたので、その息子はもうブルブル震え上がって、「もう命はないな。」と思ったって。それから、また追剥達は、その息子に留守番をさせて仕事をしに行ったわけ。それで、留守番もガタガタ震えながらするし、夜もほらだんだん更けてくるけど、一睡もしないで夜を明かしていたらしい。そしたら、まだ夜が明けないうちに、またその追剥達が帰ってきてね、そして追いはぎたちはその洞窟の中に棺桶を持ち運んでいるわけよ。息子は、「とうとう私も殺されるんだな。」と言って、ひどく怖)がっていたけど、また追剥達は出て行って、とうとう夜が明けても、その追剥達、山賊達は、帰ってこないわけね。それでその息子は、もう夜が明けているのに、帰ってこないのだから、「きっとあの山賊達は、捕まってしまったにちがいない。」と考えてね、もう人を殺して、ここにみんな運んでいるのだと思っていたので、仕方なく棺桶のふたをあけてみたらね、びっくり。死体を置いてあるのだと思ったら、その中に金や銀がいっぱい詰まっていたんだってよ。そして、その日はちょうど親の七周忌(ななしゅうき)、四十九日目に当たっていたそうだ。この孝行息子は、その金を家に持ち帰って、一生大変幸福に暮らしたそうだ。そのあとから、沖縄では棺桶のことを宝道具というようになったという話。

再生時間:9:02

民話詳細DATA

レコード番号 47O220626
CD番号 47O22C029
決定題名 宝道具由来(シマグチ)
話者がつけた題名 ニジリの話 死体は黄金
話者名 宮城長栄
話者名かな みやぎちょうえい
生年月日 18940713
性別
出身地 沖縄県大宜味村屋古
記録日 19830305
記録者の所属組織 沖縄口承文芸学術調査団
元テープ番号 大宜味村屋古T25A05
元テープ管理者 沖縄伝承話資料センター
分類 12
発句(ほっく)
伝承事情 14,5歳の時、父親から
文字化資料 『おおぎみの昔話』(平成10年3月31日 大宜味村教育委員会発行)P95    
キーワード 我慢,怖い,災難,難儀なこと,困難,忍耐強く,貧乏,親子,息子,親孝行者,遺言,一つの袋,幸福,初七日,巡り歩く,気違い,母さん,父さん,世間,笑い者,馬鹿にされ,位牌,嘘,山道,追剥,山賊,儲け,洞窟,留守番,棺桶,夜が明け,金や銀,七周忌,四十九日,沖縄,宝道具
梗概(こうがい) 我慢というのは、言わば怖いことにも我慢、また災難やいろんな難儀なことにも我慢、またどんな困難なことに出会っても我慢しなさいということで、言ってみれば何でも忍耐強くしなさいという意味なんだよ。昔ね、ある村に貧乏暮らしの親子がいたって。その親子は、毎日、その日暮しをしていたけど、その息子は、世間で評判な大変な親孝行者だったそうだよ。やがて、親が年を取ってしまい、息を引きとるときに、その息子に遺言をしたって。「私は、私は今何も持ってはいなくて、お前に今、何一つ残せるものがなくて残念だが、あげるものが一つだけある。」と言って、一つの袋を渡した。そして、「この中に入っているもので、お前がニジリを買えば、その買ったニジリできっと幸福になれるよ。」と言われたそうだよ。やがてこの親も死んでしまったらしい。そして、初七日を済ませると、そのあとは毎日あちらこちらに巡り歩いて、「ニジリを買おう。ニジリを買おう。」と、ニジリを求めて歩きまわったそうだよ。世間の人達は、「これは不思議なことだ。」と思ったのか、その人に、「ねえ、あんたが言うのはいったい何のことだ。ニジリというのはどんなものなのかね。」と聞いたって。でもほら、本人もそのニジリというのは分からないわけだからね、何のことだかわからないわけよ。本人も知らないままニジリを買おうといえば、それは当然世間の人にも、「こいつはなんだ。気違いじゃないか。」と思われる。そして、今日も明日も、そのニジリというのはないのだから、もう何も買わずに、毎日こうして歩きまわっては家に帰ってきた。帰ってきて、 「母さん、父さんの言ったニジリはどこにもありません。いつもいつも世間の笑い者にされて、馬鹿にされて。」と、そのまま位牌に向かって話したそうだよ。だけど、その息子は、いろいろ考えて、「自分の親は、そんな嘘をつくような人ではなかったから、きっと、そのニジリというのはあるに違いない。」と言ってね、気をとり直して、また一生懸命捜しに出かけたそうだ。ある日、もうあっちこっち捜し歩いてもないものだから、とても遠いところまで行ったそうだ。そして、とうとう帰れなくなってしまった。途中で日が暮れて暗い山道を歩いていたって。すると、向こうから四、五人の人が来るのが見えたが、出くわして見ると、それは恐ろしい追剥だったそうだ。山賊だったんだって。そして、出くわした追剥達は、「これはこれは、いい儲けがあるぞ。」と言ってね、その息子は、彼らの住み家に連れていかれた。見ると、もうとても大きな洞窟だったそうだ。それから、その追剥達は言ったそうだよ。「ここから一歩でも出たら、お前の命はないぞ。」と脅されたんだって。脅されたので、その息子はもうブルブル震え上がって、「もう命はないな。」と思ったって。それから、また追剥達は、その息子に留守番をさせて仕事をしに行ったわけ。それで、留守番もガタガタ震えながらするし、夜もほらだんだん更けてくるけど、一睡もしないで夜を明かしていたらしい。そしたら、まだ夜が明けないうちに、またその追剥達が帰ってきてね、そして追いはぎたちはその洞窟の中に棺桶を持ち運んでいるわけよ。息子は、「とうとう私も殺されるんだな。」と言って、ひどく怖)がっていたけど、また追剥達は出て行って、とうとう夜が明けても、その追剥達、山賊達は、帰ってこないわけね。それでその息子は、もう夜が明けているのに、帰ってこないのだから、「きっとあの山賊達は、捕まってしまったにちがいない。」と考えてね、もう人を殺して、ここにみんな運んでいるのだと思っていたので、仕方なく棺桶のふたをあけてみたらね、びっくり。死体を置いてあるのだと思ったら、その中に金や銀がいっぱい詰まっていたんだってよ。そして、その日はちょうど親の七周忌(ななしゅうき)、四十九日目に当たっていたそうだ。この孝行息子は、その金を家に持ち帰って、一生大変幸福に暮らしたそうだ。そのあとから、沖縄では棺桶のことを宝道具というようになったという話。
全体の記録時間数 9:17
物語の時間数 9:02
言語識別 方言
音源の質
テープ番号
予備項目1

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