赤犬子 クラガー発見 水舟速舟(共通語)

概要

楚辺赤犬子という人は、尚真王時代の約四百七、八十年くらい前の方で、その人のお母さんから話しをします。屋嘉のチラーといって楚辺一番の美人が居たそうです。そこには前比佐久という家の人が下男奉公をしていたそうです。そのチラーと恋仲になっていたが、他にもチラーを好いている男が居て二人は恋敵だったそうです。このライバルは非常に気質の荒い男で、下男奉公をしている男を誘って「さあ海で遊んで来よう」といって海に連れて行かれた。そして海の深い所に連れて行き押し落とした。その青年は泳ぎが出来なかったそうです。そしてチラーは「どうして来ないのかね」と言って待ちかねていても来ない。「おかしいね」と。そして夕飯の支度をしようと楚辺の暗川という所に頭に桶を載せて水を汲みに行った。そこで、赤い毛色の犬が、チラーの着物の裾を引っ張ってずっと後をついて来たので仕方なくその犬も連れて食事も与えたりして仲良く暮らしていたそうだ。その下男奉公していた男は溺れ死んで帰って来なかったそうだ。多分この犬は比佐久の青年の魂がのりうつっていたという話ですよ。何処へ行くにもチラーの側から離れずにいたそうです。しばらくしてそのチラーが妊娠したので父親が「お前は夫もいないのに妊娠して。犬ばかりと一緒にいるので犬の子を妊娠したと思われてはならないので、私の友達の居る平安座島に連れて行こう」と。そして向こうで生まれたのが楚辺赤犬子ですよ。 この人が歌三線を始めたとう非常に秀才であた。この人は歌、三線を始めてあちこちを行脚して自分の趣味を広げていた。 そして山原、国頭方面まで行って、その帰りに恩納村の瀬良垣という所があって公民館では舟を造ったお祝いをしていた。そこへ行くと乞食みたいな格好をしているので追い返されそうになっていたが、歌、三線が好きでその宣伝の為にあちこち行脚していると言う事をいうと快く招き入れて歌三線を披露したという事です。そして舟の名付けをしてくれないかと頼まれ「瀬良垣水舟」と名付けた。そして今度は谷茶という所に行った。そこは読谷山間切で、同じ村人だからとすぐに歓迎された。そこも舟を造ったお祝いをしていてここでも舟の名付けを頼まれ「谷茶走舟」と付けた。
 そして一年位してから瀬良垣水舟は沈没してひどい目にあったので、そこの青年達が「こんな名前を付けた楚辺赤犬子にやられた」と殺しにやって来た。実はこういう事でお前にあんな名前を付けられてふねは沈んでしまったよ、だからお前を殺す」と。「待ってくれ、お前達に殺されるよりは自分で切腹して死んだ方がいい、私に着いて来なさい」と。 アカヌクの森にお宮があって、昔はそこは竹林で、その竹に登ってパッと消えていなくなったということです。 そして赤犬子にお宮には  歌と三線の昔の始まりは犬子と書かれていますよ。

再生時間:10:55

民話詳細DATA

レコード番号 47O375069
CD番号 47O37C217
決定題名 赤犬子 クラガー発見 水舟速舟(共通語)
話者がつけた題名
話者名 知花義雄
話者名かな ちばなよしお
生年月日 19050518
性別
出身地 沖縄県読谷村比謝
記録日 19770225
記録者の所属組織 読谷村民話調査団第1班
元テープ番号 読谷村比謝T01B03
元テープ管理者 読谷村立歴史民俗資料館
分類 20
発句(ほっく)
伝承事情
文字化資料
キーワード 楚辺赤犬子,屋嘉のチラ,楚辺一番の美人,前比佐久,下男奉公を,恋仲,ライバ,質の荒い男,楚辺の暗川,赤い毛色の犬,犬の子を妊娠,平安座島,歌三線を始めた,恩納村の瀬良垣,乞食,瀬良垣水舟,谷茶走舟,アカヌクの森,竹林
梗概(こうがい) 楚辺赤犬子という人は、尚真王時代の約四百七、八十年くらい前の方で、その人のお母さんから話しをします。屋嘉のチラーといって楚辺一番の美人が居たそうです。そこには前比佐久という家の人が下男奉公をしていたそうです。そのチラーと恋仲になっていたが、他にもチラーを好いている男が居て二人は恋敵だったそうです。このライバルは非常に気質の荒い男で、下男奉公をしている男を誘って「さあ海で遊んで来よう」といって海に連れて行かれた。そして海の深い所に連れて行き押し落とした。その青年は泳ぎが出来なかったそうです。そしてチラーは「どうして来ないのかね」と言って待ちかねていても来ない。「おかしいね」と。そして夕飯の支度をしようと楚辺の暗川という所に頭に桶を載せて水を汲みに行った。そこで、赤い毛色の犬が、チラーの着物の裾を引っ張ってずっと後をついて来たので仕方なくその犬も連れて食事も与えたりして仲良く暮らしていたそうだ。その下男奉公していた男は溺れ死んで帰って来なかったそうだ。多分この犬は比佐久の青年の魂がのりうつっていたという話ですよ。何処へ行くにもチラーの側から離れずにいたそうです。しばらくしてそのチラーが妊娠したので父親が「お前は夫もいないのに妊娠して。犬ばかりと一緒にいるので犬の子を妊娠したと思われてはならないので、私の友達の居る平安座島に連れて行こう」と。そして向こうで生まれたのが楚辺赤犬子ですよ。 この人が歌三線を始めたとう非常に秀才であた。この人は歌、三線を始めてあちこちを行脚して自分の趣味を広げていた。 そして山原、国頭方面まで行って、その帰りに恩納村の瀬良垣という所があって公民館では舟を造ったお祝いをしていた。そこへ行くと乞食みたいな格好をしているので追い返されそうになっていたが、歌、三線が好きでその宣伝の為にあちこち行脚していると言う事をいうと快く招き入れて歌三線を披露したという事です。そして舟の名付けをしてくれないかと頼まれ「瀬良垣水舟」と名付けた。そして今度は谷茶という所に行った。そこは読谷山間切で、同じ村人だからとすぐに歓迎された。そこも舟を造ったお祝いをしていてここでも舟の名付けを頼まれ「谷茶走舟」と付けた。  そして一年位してから瀬良垣水舟は沈没してひどい目にあったので、そこの青年達が「こんな名前を付けた楚辺赤犬子にやられた」と殺しにやって来た。実はこういう事でお前にあんな名前を付けられてふねは沈んでしまったよ、だからお前を殺す」と。「待ってくれ、お前達に殺されるよりは自分で切腹して死んだ方がいい、私に着いて来なさい」と。 アカヌクの森にお宮があって、昔はそこは竹林で、その竹に登ってパッと消えていなくなったということです。 そして赤犬子にお宮には  歌と三線の昔の始まりは犬子と書かれていますよ。
全体の記録時間数 10:55
物語の時間数 10:55
言語識別 共通語
音源の質
テープ番号
予備項目1

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