
浦添ね、浦添で、二十一歳になる若者が、子どもを産んで死んでしまったから、その子どもは、もう、「ンガーンガー」して泣いて暮らしていたって。それで、その死んだ人は居ても立ってもおれなくて、「この子を引き取って来ようかねえ、どうしようかねえ」と思っているときに、仲宗根のバーキ売りをされている人と出会ったって。その人は神人のような人だった。そうしたから「どうか、どうか、私を助けて下さい。一度は私を助けて下さい、下さい」と言ったら、ちょうど、最初に言ったように、「今日は急ぎ道で、もう時間もやがて夜が明ける頃だから、このバーキは町に行って卸して来ないといけない。さあ、そんならもう一回には、あなたの思いを届かそうね」と言ったら、「ああ、どうか、私の命を助けて下さい」と言った。「何で、お前は、どういういきさつがあるのか。お前は何処にいるんだ」と言ったら、「どこどこです」「では、あんたのいる所を見せてくれ」と言って、見たら、墓だったって。「この墓に私は居ります」と言ったわけ。後生に行っているわけ。「あんたは年は幾つなるか」と言ったら、「二十一歳」って。もう、生きている姿に見えるから。それに、この人は、そんな話のできる人だったってよ、この仲宗根は。神人だったのか。それで、「さあ、それなら、もう一回には、どうか助けて下さい」と言ったって。そうして、もう一回に出会ったときには、もう、掛かった(頼まれた)から、「もうこれは是非、居る所をきれいに片付けてあげないといけないなあ」と言って、「それなら、あんたの子どもがいる所まで、産んだ子どもの家まで、あんたは、私を連れて行くか」と言ったから、「はい、どうか、助けて下さい」と言ったから、その子どもを産んだ家に、これはもう結婚していって子どもを産んであったんでしょう。それで、その家に行ったらもう、真夜中だから、「もし、はい、はい、はい、はい」と、呼んでも、長らくしても起きない。そうしたから、終いには、その子どもが「ンガーンガー」して泣いたそうだ。そうしたら、その女親も一緒に連れて行っているので、これが泣かしたんでしょう。本当言うと、その子どもは。起きなかったからね、その家族が。そうしたら、そのときは騒動なって、起きてね。起きて、そうして、この仲宗根さん出会ったわけ。そうしたら、「あんたたちは、この赤子を泣かしているが、ここから後生に行った人は居ないか」と言ったら、「ああ、居りますよ」と言ったから、「それで、この子のことが気がかりで、朝も夕もこれが泣いたら、乳も不自由、〈昔はもう乳も不自由だったんでしょう〉、乳も不自由で、もうこんなですよ」と言ったから。「さあ、これは、かくかくだから、『もう、これが泣いているのが忍びなくて、暮らせない』と言って、その母親が『もう、(子どもの命を)取ろうかね、取らないかね』と言ってね、私に、何回も何回も私に掛かって(頼んで)仕方がないので、今日はもう頼まれて来ているから、よくよく聞いて、この子どもを泣かさないように、大事に育てて、不調法にしないようにして、ちゃんと泣かさないようにして育てる考えしなさいよね。もう、その時からはそんなに来ないはずだから」と言って、また、その女にも、「今から後、このような形で私にやったら、あんたはまた殺しされるよう」と言って、掛けられたそうだ、そのタマンチグヮーに。そうしたから、その時からは、これはもう大事にされてね、そうして幸福になったって。これはもう、こんなだったそうだ。
| レコード番号 | 47O374925 |
|---|---|
| CD番号 | 47O37C211 |
| 決定題名 | 東タマンチ(方言) |
| 話者がつけた題名 | 東タマンチ |
| 話者名 | 吉浜亀 |
| 話者名かな | よしはまかめ |
| 生年月日 | 18910616 |
| 性別 | 男 |
| 出身地 | 沖縄県那覇市西武門 |
| 記録日 | 19770224 |
| 記録者の所属組織 | 読谷村民話調査団第4班 |
| 元テープ番号 | 読谷村渡具知T02B10 |
| 元テープ管理者 | 読谷村立歴史民俗資料館 |
| 分類 | 20 |
| 発句(ほっく) | - |
| 伝承事情 | - |
| 文字化資料 | - |
| キーワード | 浦添,二十一歳,子ども,死んだ,仲宗根のバーキ売り,墓,神人,タマンチグヮー |
| 梗概(こうがい) | 浦添ね、浦添で、二十一歳になる若者が、子どもを産んで死んでしまったから、その子どもは、もう、「ンガーンガー」して泣いて暮らしていたって。それで、その死んだ人は居ても立ってもおれなくて、「この子を引き取って来ようかねえ、どうしようかねえ」と思っているときに、仲宗根のバーキ売りをされている人と出会ったって。その人は神人のような人だった。そうしたから「どうか、どうか、私を助けて下さい。一度は私を助けて下さい、下さい」と言ったら、ちょうど、最初に言ったように、「今日は急ぎ道で、もう時間もやがて夜が明ける頃だから、このバーキは町に行って卸して来ないといけない。さあ、そんならもう一回には、あなたの思いを届かそうね」と言ったら、「ああ、どうか、私の命を助けて下さい」と言った。「何で、お前は、どういういきさつがあるのか。お前は何処にいるんだ」と言ったら、「どこどこです」「では、あんたのいる所を見せてくれ」と言って、見たら、墓だったって。「この墓に私は居ります」と言ったわけ。後生に行っているわけ。「あんたは年は幾つなるか」と言ったら、「二十一歳」って。もう、生きている姿に見えるから。それに、この人は、そんな話のできる人だったってよ、この仲宗根は。神人だったのか。それで、「さあ、それなら、もう一回には、どうか助けて下さい」と言ったって。そうして、もう一回に出会ったときには、もう、掛かった(頼まれた)から、「もうこれは是非、居る所をきれいに片付けてあげないといけないなあ」と言って、「それなら、あんたの子どもがいる所まで、産んだ子どもの家まで、あんたは、私を連れて行くか」と言ったから、「はい、どうか、助けて下さい」と言ったから、その子どもを産んだ家に、これはもう結婚していって子どもを産んであったんでしょう。それで、その家に行ったらもう、真夜中だから、「もし、はい、はい、はい、はい」と、呼んでも、長らくしても起きない。そうしたから、終いには、その子どもが「ンガーンガー」して泣いたそうだ。そうしたら、その女親も一緒に連れて行っているので、これが泣かしたんでしょう。本当言うと、その子どもは。起きなかったからね、その家族が。そうしたら、そのときは騒動なって、起きてね。起きて、そうして、この仲宗根さん出会ったわけ。そうしたら、「あんたたちは、この赤子を泣かしているが、ここから後生に行った人は居ないか」と言ったら、「ああ、居りますよ」と言ったから、「それで、この子のことが気がかりで、朝も夕もこれが泣いたら、乳も不自由、〈昔はもう乳も不自由だったんでしょう〉、乳も不自由で、もうこんなですよ」と言ったから。「さあ、これは、かくかくだから、『もう、これが泣いているのが忍びなくて、暮らせない』と言って、その母親が『もう、(子どもの命を)取ろうかね、取らないかね』と言ってね、私に、何回も何回も私に掛かって(頼んで)仕方がないので、今日はもう頼まれて来ているから、よくよく聞いて、この子どもを泣かさないように、大事に育てて、不調法にしないようにして、ちゃんと泣かさないようにして育てる考えしなさいよね。もう、その時からはそんなに来ないはずだから」と言って、また、その女にも、「今から後、このような形で私にやったら、あんたはまた殺しされるよう」と言って、掛けられたそうだ、そのタマンチグヮーに。そうしたから、その時からは、これはもう大事にされてね、そうして幸福になったって。これはもう、こんなだったそうだ。 |
| 全体の記録時間数 | 3:38 |
| 物語の時間数 | 3:38 |
| 言語識別 | 方言 |
| 音源の質 | 〇 |
| テープ番号 | - |
| 予備項目1 | - |