赤犬子(方言)

概要

赤犬子は楚辺の屋嘉の犬だったというが。その犬が楚辺暗川を探したって、その犬が探したって、楚辺暗川は。どのように探したかというと、その洞窟で浴びてきたりしていた。「そこは水があるんだなー」と、そこに入って行ったら大湧があった。それで楚辺暗川はその犬が発見して、楚辺暗川は掃除したという話だが。それから赤犬子の話は、楚辺の屋嘉の女の子が美人だったという。それから楚辺の大屋の男と夫婦になったので、大屋は貧乏者だったので、ヌン殿内小の男がその人をを望んで、「私の妻になって」と。しかし大屋の人の子を身ごもっていてその人の妻にはならなかったので、ヌン殿内の男が大屋の男を海に連れていって、海で船から落として殺した。そうしたら屋嘉の女の子は楚辺には居られなくなって、遠く東方へ逃げて行って子どもを産んだ、「誰の子か」と聞くと「人間の子どもではない」と嘘をついた。「私達が飼っていた赤犬の子である」。それでその子は赤犬子と名付けて。それから赤犬子ウスメーといって、歌と三線の一番始めは赤犬子ウスメーが作ってったという。それで今でも赤犬子ウスメーは楚辺の宮で祀られている。それからその女の人は楚辺に帰ってきて、それから赤犬子うすめーは神の子を産んだので。また楚辺の赤犬子うすめーは神様であったが、すこしキチガイみたいだったので、赤犬子うすめーは「私はデーク竹を切って、赤犬子といってシーがあるのでそこにさして、このデーク竹が枯れたら人間で、それが生えたら御神と思いなさい」といったので、そのデーク竹は石の中に生えたという。だから神様と思って信じて、赤犬子といって、いまでも楚辺は信じている。 歌と三戦の 一番始まりは 楚辺赤犬子が ニーウイぬアガイといってね、本当に。

再生時間:3:03

民話詳細DATA

レコード番号 47O374918
CD番号 47O37C211
決定題名 赤犬子(方言)
話者がつけた題名 赤犬子
話者名 大湾三郎
話者名かな おおわんさぶろう
生年月日 18900119
性別
出身地 沖縄県読谷村渡具知
記録日 19770224
記録者の所属組織 読谷村民話調査団第4班
元テープ番号 読谷村渡具知T02B03
元テープ管理者 読谷村立歴史民俗資料館
分類 20
発句(ほっく)
伝承事情
文字化資料
キーワード 赤犬子,楚辺の屋嘉の犬,楚辺暗川,洞窟,浴びてきた,大湧,屋嘉の娘,大屋の男,夫婦,ヌン殿内小,歌と三線,赤犬子ウスメー,神様
梗概(こうがい) 赤犬子は楚辺の屋嘉の犬だったというが。その犬が楚辺暗川を探したって、その犬が探したって、楚辺暗川は。どのように探したかというと、その洞窟で浴びてきたりしていた。「そこは水があるんだなー」と、そこに入って行ったら大湧があった。それで楚辺暗川はその犬が発見して、楚辺暗川は掃除したという話だが。それから赤犬子の話は、楚辺の屋嘉の女の子が美人だったという。それから楚辺の大屋の男と夫婦になったので、大屋は貧乏者だったので、ヌン殿内小の男がその人をを望んで、「私の妻になって」と。しかし大屋の人の子を身ごもっていてその人の妻にはならなかったので、ヌン殿内の男が大屋の男を海に連れていって、海で船から落として殺した。そうしたら屋嘉の女の子は楚辺には居られなくなって、遠く東方へ逃げて行って子どもを産んだ、「誰の子か」と聞くと「人間の子どもではない」と嘘をついた。「私達が飼っていた赤犬の子である」。それでその子は赤犬子と名付けて。それから赤犬子ウスメーといって、歌と三線の一番始めは赤犬子ウスメーが作ってったという。それで今でも赤犬子ウスメーは楚辺の宮で祀られている。それからその女の人は楚辺に帰ってきて、それから赤犬子うすめーは神の子を産んだので。また楚辺の赤犬子うすめーは神様であったが、すこしキチガイみたいだったので、赤犬子うすめーは「私はデーク竹を切って、赤犬子といってシーがあるのでそこにさして、このデーク竹が枯れたら人間で、それが生えたら御神と思いなさい」といったので、そのデーク竹は石の中に生えたという。だから神様と思って信じて、赤犬子といって、いまでも楚辺は信じている。 歌と三戦の 一番始まりは 楚辺赤犬子が ニーウイぬアガイといってね、本当に。
全体の記録時間数 3:03
物語の時間数 3:03
言語識別 方言
音源の質
テープ番号
予備項目1

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