
昔、多幸山は日中でも今みたいなあんな道じゃないから松の木が生い茂って暗かったそうですよ。山道
でね、山田行かない手前、シチャマラと言ってね、あの国頭街道が通ったのが明治四十三年でね、その以前は馬車が通ったでしょうけどね、だいたい馬に乗って通るくらいの道であったわけでしょうね。で、その多幸山のターダ原というところは、すごく土地がよくて、松の木がよく非常に生い茂るところなんです。すぐそこ昼でもうす暗い物騒と茂った街道。それでもちろん多幸山から国頭に行く人は、だいたい大きな用事もっているわけですから、何か担いでいるわけですよ。そしたら、多幸山フェーレーは、あの腕力でぶっ倒して取るんじゃなくて、木はそんなに高くないから、松の上に登って鉤(かきじゃー)で大きな荷物をそれに引っかけて引き上げて持っているものを取る。そしてあの時分は鉄砲もないから、引き上げられたらもうどうしようもなかった。そうしてフェーレーが人の荷物を引き上げて強盗みたいなことをしておったから、人を殺害するようなことはしなかったかもしれんが、フェーレーといって、みんなから恐がられているわけですがね。ある日、喜名のタカハンジャーという若者が、山田に行って日が暮れてからの帰り、ここはフェーレーが立つというのはよく知っているんで、「これは大変だなあ。」と言ってしているんだが、タカハンジャーという人は力はそうとうあったんでしょう。「多幸山ぬ山シシ、驚(うどぅ)るちゅな山シシ、喜名(ちな)ぬタカハンジャ山田戻(むどぅ)い。」と歌してきたから、タカハンジャという武士が難なくそこは通り抜けて、無事に帰ったという伝え話があるんですけどね。あれ多幸山の山シシとフェーレーは有名なんですよね。
| レコード番号 | 47O373823 |
|---|---|
| CD番号 | 47O37C167 |
| 決定題名 | 多幸山フェーレー(シマグチ) |
| 話者がつけた題名 | 多幸山フェーレー |
| 話者名 | 池原昌徳 |
| 話者名かな | いけはらしょうとく |
| 生年月日 | 19161021 |
| 性別 | 男 |
| 出身地 | 沖縄県読谷村楚辺 |
| 記録日 | 19881221 |
| 記録者の所属組織 | 読谷ゆうがおの会 |
| 元テープ番号 | 読谷村楚辺T19A06 |
| 元テープ管理者 | 読谷村立歴史民俗資料館 |
| 分類 | 20 |
| 発句(ほっく) | - |
| 伝承事情 | - |
| 文字化資料 | 読谷村民話資料集11楚辺の民話 P256 |
| キーワード | 多幸山,木,山道,シチャマラ,国頭,多幸山フェーレー,腕力,松の上,鉤,荷物,強盗,喜名のタカハンジャ |
| 梗概(こうがい) | 昔、多幸山は日中でも今みたいなあんな道じゃないから松の木が生い茂って暗かったそうですよ。山道 でね、山田行かない手前、シチャマラと言ってね、あの国頭街道が通ったのが明治四十三年でね、その以前は馬車が通ったでしょうけどね、だいたい馬に乗って通るくらいの道であったわけでしょうね。で、その多幸山のターダ原というところは、すごく土地がよくて、松の木がよく非常に生い茂るところなんです。すぐそこ昼でもうす暗い物騒と茂った街道。それでもちろん多幸山から国頭に行く人は、だいたい大きな用事もっているわけですから、何か担いでいるわけですよ。そしたら、多幸山フェーレーは、あの腕力でぶっ倒して取るんじゃなくて、木はそんなに高くないから、松の上に登って鉤(かきじゃー)で大きな荷物をそれに引っかけて引き上げて持っているものを取る。そしてあの時分は鉄砲もないから、引き上げられたらもうどうしようもなかった。そうしてフェーレーが人の荷物を引き上げて強盗みたいなことをしておったから、人を殺害するようなことはしなかったかもしれんが、フェーレーといって、みんなから恐がられているわけですがね。ある日、喜名のタカハンジャーという若者が、山田に行って日が暮れてからの帰り、ここはフェーレーが立つというのはよく知っているんで、「これは大変だなあ。」と言ってしているんだが、タカハンジャーという人は力はそうとうあったんでしょう。「多幸山ぬ山シシ、驚(うどぅ)るちゅな山シシ、喜名(ちな)ぬタカハンジャ山田戻(むどぅ)い。」と歌してきたから、タカハンジャという武士が難なくそこは通り抜けて、無事に帰ったという伝え話があるんですけどね。あれ多幸山の山シシとフェーレーは有名なんですよね。 |
| 全体の記録時間数 | 3:50 |
| 物語の時間数 | 3:50 |
| 言語識別 | 方言 |
| 音源の質 | △ |
| テープ番号 | - |
| 予備項目1 | - |