
吉屋チルーは何年生まれであったかは分からないがね。読谷山間切時代に読谷山間切で生まれた人であったらしい。ちょうどその時分に、現在の比謝橋から久良波の手前の方までが、読谷山間切であった。読谷山間切久良波村新垣というのが、山奥の方に家が造られてあった。そこは戦後までもフクギが生い茂っており、道から上の方に家はあった。あの当時、吉屋チルーの母親は大変な貧乏暮らしをし、もう死ぬか生きるかという大病を患っていた。そしてチルーが六歳か七歳の年に、女中奉公として仲島に行かせることにしたようだ。まあ、そこから銭を借りて、「銭の利子の代わりに、あんたはあそこに女中として使われなさいよ。」と親から言われた。「アンマーの病気が治ったら、私が連れに来るからね。あんたは仲島に行って、銭を借りてきなさい。」とね。もう近くには銭を借すところもないものだから、自分の子供にしか頼ることができなかった。その時分は男も女もドゥシル(身代金)というのがあって、その身代金の利子の代わりに働いていた。そのようにして吉屋チルーは親に仲島に連れて行かれた。仲島へ行く時に、当時の比謝橋の橋は今みたいな橋ではなくて石橋だった。「恨(うら)む比謝橋(ひじゃばし)や 私(わん)渡(わた)さとぅむてぃ〔恨めしい比謝橋よ 私を渡そうと思って架けておいたのか〕情(なさ)きねん人(ひとぅ)ぬ架(か)きてぃうちぇさ〔情けのない人が架けておいてあるよ〕。」とチルーは歌って、恨みの橋と言葉を残して渡って行ったようだね。そうこうしながら歩いて行き、どこであったか分からないが、並松がずっと続いているところへさしかかった。そしてそこでチルーは、父親と一緒に座って弁当を食べていた。すると上から松ぼっくりが落ちてきた。チルーは、その種を取り、見ながらね。「落(う)ちる松(まち)かすや年(とぅし)寄(ゆ)てぃる落(う)てぃる〔落ちる松ぼっくりは 年を取って落ちるよ〕私(わみ)やうぬ若(わか)さ 落(う)てぃてぃいちゅさ〔私はこの若さで 落ちていくよ〕。」と六歳になるチルーが、歌を詠んだらしい。すると親は、「この子はまだ六歳だというのに変わっているな、大きな口をたたいて。」と思っていたようだが。仲島に着くと、「親は貧乏で、母親は命に別状はないが病気を患い、是非その病気を治さないといけない。ですからどうか二百貫借して下さい。」と頼んだ。「この子供をそこで預かって下さい。後はよい子に育つはずですから。」とお願いした。相談の途中だったんでしょうね。チルーはまだ六歳だから、色気も何もないでしょう。掃除ぐらいはどうにかできるにしても、アンマーはしぶしぶ顔で「他にどこかで引き取って貰うわけにはいかないのかね、スー。」と言った。するとスーは、「はあ、もう仲島では貴方の所が大きいですよ。どうにか使って下さいよ、アンマー。」「そうだね、二百貫というと高いから、もうどうしようか、百貫でいいですか。」というふうに相談していたらしい。どうしようかと迷い、親とアンマーがあれこれ相談していると、チルーは庭に出て何かいじっていた。竹でつつきながらいじっていた。「ユルジねん者(むぬ)や あまぬ捨(ひ)てぃ骨(ぶに)〔相談にのってくれない方は あそこに捨てられている骨と同じだよ〕ちくかたる頼(たぬ)む ちなじたぼり〔頼める人を頼むんですから どうか取り合って下さい〕。」この言葉を聞いたアンマーは、「ああ、これは本物だ。珍しい子供だ。」と感心した。相談の出来ない人は、あそこに捨てられている骨と同じだよ。私達は仕方なくここに来ているんだから、貴方にしか頼めないんだから、どうか相談にのって下さいと、大声で詠んだ。するとアンマーは、「もうあと五十貫は上げますよ。」と、百貫で相談してあるんだが、「百五十貫ね。」と、三円で相談がついたという話だよ。そういうふうにして、チルーはそこで成長していった。もう仲島の吉屋チルーは相当な秀れた人に成長し、歌やら何やら上手で、あちこちから吉屋チルーを頼って来るまでになった。流りゆる水にというのも、チルーがつくった歌だよ。「流(なが)りゆる水(みじ)に桜花(さくらばな)浮(う)きてぃ〔流れゆく水に 桜花うけて〕色(いる)美(ちゅ)らさあてぃるすくてぃ見(ん)ちゃる〔あまりの美しさに すくってみたよ〕。」そういうふうに歌を詠むのが上手で、「仲島ぬ秀れ者だよ。」というまでに育っていった。後は、仲里御殿という大変美男子がいたが、その人と親しくなるようになった。吉屋チルーはあんまり美人ではないが、頭が秀れていた。吉屋チルーが仲里御殿と恋愛している時分に、名護の親方という方がいらっしゃった。その方は机に向かっている間は、誰が何と声をかけても絶対に聞かなかったそうだ。すると吉屋チルーはまた、「そういうこともあるんですか、じゃあ私がふり向かせてあげましょう。」と、「そうか、お前にできるんだったらまずやってみてくれ。」ということになった。吉屋チルーは、「じゃあ、賭てみましょうね。」ということで賭けをしたようだ。吉屋チルーが行ってみると、案の定名護の親方は机を前にして、一生懸命だった。「大学(だいがく)ぬむんぬひまさあてぃん〔大学の勉強が いくら忙しくても〕花(はな)ぬ仲島(なかしま)までぃいもり 語(かた)てぃうさぎら〔花の仲島まで いらっしゃって下さい 語ってさしあげましょう〕。」と、一言大声で詠んでみた。すると名護の親方はふり返ったんでしょうね。吉屋チルーは「勝ったよ。」と。名護の親方が机に向かうと、側からどんなに物を言っても、ふり返るような人ではなかった。それほどの熱心家で、「音沙汰もないのに、何の役に立つか。」という格言まで出た人だった。そのような人をふり返らせたという話だよ。それからチルーは女郎だから、アンマーが勝手に客をうけていたようだね。その日は仲里御殿が、まだいらっしゃらない日であったらしい。今度は乞食が客として来たんだが、チルーはそうとは知らずに、その客が外に出て行く時に、すり切れた着物を見て気づいてしまい、「ああ、この客は乞食だったんだね。」とやけをおこしてしまった。今度はそのことから悲観して、心の病気をつくってしまった。それは自分で望んだことではなくて、アンマーが相談して客をうけたことだった。そして明け方出ていくのを見て気づき、その時からやけをおこしてしまったのである。その時に十九の年であり、まだ身代金も返済してなかった。あんまり美人ではなかったが、秀れていたので評判になり、皆一度は呼んでみたいものだと思われるようにまでになった。そしてこのようにして乞食にまで呼ばれたことから、「私はとうとう乞食にまで呼ばれてしまった。落ちたもんだね。」と、悲観して自分で命を絶ってしまった。病気はないんだが心の痛みでね。吉屋チルーが亡くなってからアンマーは気になり、墓参りに出かけた。すると墓で、チルーは歌を詠んだそうだ。「生(い)きちうるえだ 私(わん)すそんし〔生きているあいだは 私を粗末にして〕死(し)にから バクチャ屋(や)に通(かゆ)てぃちゃすが〔死んでバクチャ屋に通ってどうするか〕。」と、大声で歌を詠んだので、もうアンマーはがっかりしてしまったということ。
| レコード番号 | 47O373802 |
|---|---|
| CD番号 | 47O37C166 |
| 決定題名 | 吉屋チルー(シマグチ) |
| 話者がつけた題名 | 吉屋チルー |
| 話者名 | 比嘉清次郎 |
| 話者名かな | ひがせいじろう |
| 生年月日 | 19100320 |
| 性別 | 男 |
| 出身地 | 沖縄県読谷村楚辺 |
| 記録日 | 19881220 |
| 記録者の所属組織 | 読谷ゆうがおの会 |
| 元テープ番号 | 読谷村楚辺T18A01 |
| 元テープ管理者 | 読谷村立歴史民俗資料館 |
| 分類 | 20 |
| 発句(ほっく) | - |
| 伝承事情 | - |
| 文字化資料 | 読谷村民話資料集11楚辺の民話 P228 |
| キーワード | 吉屋チルー,読谷山間切時代,比謝橋,久良波,読谷山間切久良波村新垣,母親,貧乏,女中奉公,仲島ドゥシル,恨む比謝橋や,私渡さとぅむてぃ情きねん人ぬ架きてぃうちぇさ,松ぼっくり,落ちる松かすや年寄てぃる落てぃる私やうぬ若さ,落てぃてぃいちゅさ,アンマー,ユルジねん者やあまぬ捨てぃ骨ちくかたる頼むちなじたぼり,歌,流りゆる水に桜花浮きてぃ色美らさあてぃるすくてぃ見ちゃる,仲里御殿,美男子,名護の親方,大学ぬむんぬひまさあてぃん花ぬ仲島までぃいもり語てぃうさぎら,乞食,心の病気,自分で命を絶った,墓参り,生きちうるえだ私すそんし死にからバクチャ屋に通てぃちゃすが, |
| 梗概(こうがい) | 吉屋チルーは何年生まれであったかは分からないがね。読谷山間切時代に読谷山間切で生まれた人であったらしい。ちょうどその時分に、現在の比謝橋から久良波の手前の方までが、読谷山間切であった。読谷山間切久良波村新垣というのが、山奥の方に家が造られてあった。そこは戦後までもフクギが生い茂っており、道から上の方に家はあった。あの当時、吉屋チルーの母親は大変な貧乏暮らしをし、もう死ぬか生きるかという大病を患っていた。そしてチルーが六歳か七歳の年に、女中奉公として仲島に行かせることにしたようだ。まあ、そこから銭を借りて、「銭の利子の代わりに、あんたはあそこに女中として使われなさいよ。」と親から言われた。「アンマーの病気が治ったら、私が連れに来るからね。あんたは仲島に行って、銭を借りてきなさい。」とね。もう近くには銭を借すところもないものだから、自分の子供にしか頼ることができなかった。その時分は男も女もドゥシル(身代金)というのがあって、その身代金の利子の代わりに働いていた。そのようにして吉屋チルーは親に仲島に連れて行かれた。仲島へ行く時に、当時の比謝橋の橋は今みたいな橋ではなくて石橋だった。「恨(うら)む比謝橋(ひじゃばし)や 私(わん)渡(わた)さとぅむてぃ〔恨めしい比謝橋よ 私を渡そうと思って架けておいたのか〕情(なさ)きねん人(ひとぅ)ぬ架(か)きてぃうちぇさ〔情けのない人が架けておいてあるよ〕。」とチルーは歌って、恨みの橋と言葉を残して渡って行ったようだね。そうこうしながら歩いて行き、どこであったか分からないが、並松がずっと続いているところへさしかかった。そしてそこでチルーは、父親と一緒に座って弁当を食べていた。すると上から松ぼっくりが落ちてきた。チルーは、その種を取り、見ながらね。「落(う)ちる松(まち)かすや年(とぅし)寄(ゆ)てぃる落(う)てぃる〔落ちる松ぼっくりは 年を取って落ちるよ〕私(わみ)やうぬ若(わか)さ 落(う)てぃてぃいちゅさ〔私はこの若さで 落ちていくよ〕。」と六歳になるチルーが、歌を詠んだらしい。すると親は、「この子はまだ六歳だというのに変わっているな、大きな口をたたいて。」と思っていたようだが。仲島に着くと、「親は貧乏で、母親は命に別状はないが病気を患い、是非その病気を治さないといけない。ですからどうか二百貫借して下さい。」と頼んだ。「この子供をそこで預かって下さい。後はよい子に育つはずですから。」とお願いした。相談の途中だったんでしょうね。チルーはまだ六歳だから、色気も何もないでしょう。掃除ぐらいはどうにかできるにしても、アンマーはしぶしぶ顔で「他にどこかで引き取って貰うわけにはいかないのかね、スー。」と言った。するとスーは、「はあ、もう仲島では貴方の所が大きいですよ。どうにか使って下さいよ、アンマー。」「そうだね、二百貫というと高いから、もうどうしようか、百貫でいいですか。」というふうに相談していたらしい。どうしようかと迷い、親とアンマーがあれこれ相談していると、チルーは庭に出て何かいじっていた。竹でつつきながらいじっていた。「ユルジねん者(むぬ)や あまぬ捨(ひ)てぃ骨(ぶに)〔相談にのってくれない方は あそこに捨てられている骨と同じだよ〕ちくかたる頼(たぬ)む ちなじたぼり〔頼める人を頼むんですから どうか取り合って下さい〕。」この言葉を聞いたアンマーは、「ああ、これは本物だ。珍しい子供だ。」と感心した。相談の出来ない人は、あそこに捨てられている骨と同じだよ。私達は仕方なくここに来ているんだから、貴方にしか頼めないんだから、どうか相談にのって下さいと、大声で詠んだ。するとアンマーは、「もうあと五十貫は上げますよ。」と、百貫で相談してあるんだが、「百五十貫ね。」と、三円で相談がついたという話だよ。そういうふうにして、チルーはそこで成長していった。もう仲島の吉屋チルーは相当な秀れた人に成長し、歌やら何やら上手で、あちこちから吉屋チルーを頼って来るまでになった。流りゆる水にというのも、チルーがつくった歌だよ。「流(なが)りゆる水(みじ)に桜花(さくらばな)浮(う)きてぃ〔流れゆく水に 桜花うけて〕色(いる)美(ちゅ)らさあてぃるすくてぃ見(ん)ちゃる〔あまりの美しさに すくってみたよ〕。」そういうふうに歌を詠むのが上手で、「仲島ぬ秀れ者だよ。」というまでに育っていった。後は、仲里御殿という大変美男子がいたが、その人と親しくなるようになった。吉屋チルーはあんまり美人ではないが、頭が秀れていた。吉屋チルーが仲里御殿と恋愛している時分に、名護の親方という方がいらっしゃった。その方は机に向かっている間は、誰が何と声をかけても絶対に聞かなかったそうだ。すると吉屋チルーはまた、「そういうこともあるんですか、じゃあ私がふり向かせてあげましょう。」と、「そうか、お前にできるんだったらまずやってみてくれ。」ということになった。吉屋チルーは、「じゃあ、賭てみましょうね。」ということで賭けをしたようだ。吉屋チルーが行ってみると、案の定名護の親方は机を前にして、一生懸命だった。「大学(だいがく)ぬむんぬひまさあてぃん〔大学の勉強が いくら忙しくても〕花(はな)ぬ仲島(なかしま)までぃいもり 語(かた)てぃうさぎら〔花の仲島まで いらっしゃって下さい 語ってさしあげましょう〕。」と、一言大声で詠んでみた。すると名護の親方はふり返ったんでしょうね。吉屋チルーは「勝ったよ。」と。名護の親方が机に向かうと、側からどんなに物を言っても、ふり返るような人ではなかった。それほどの熱心家で、「音沙汰もないのに、何の役に立つか。」という格言まで出た人だった。そのような人をふり返らせたという話だよ。それからチルーは女郎だから、アンマーが勝手に客をうけていたようだね。その日は仲里御殿が、まだいらっしゃらない日であったらしい。今度は乞食が客として来たんだが、チルーはそうとは知らずに、その客が外に出て行く時に、すり切れた着物を見て気づいてしまい、「ああ、この客は乞食だったんだね。」とやけをおこしてしまった。今度はそのことから悲観して、心の病気をつくってしまった。それは自分で望んだことではなくて、アンマーが相談して客をうけたことだった。そして明け方出ていくのを見て気づき、その時からやけをおこしてしまったのである。その時に十九の年であり、まだ身代金も返済してなかった。あんまり美人ではなかったが、秀れていたので評判になり、皆一度は呼んでみたいものだと思われるようにまでになった。そしてこのようにして乞食にまで呼ばれたことから、「私はとうとう乞食にまで呼ばれてしまった。落ちたもんだね。」と、悲観して自分で命を絶ってしまった。病気はないんだが心の痛みでね。吉屋チルーが亡くなってからアンマーは気になり、墓参りに出かけた。すると墓で、チルーは歌を詠んだそうだ。「生(い)きちうるえだ 私(わん)すそんし〔生きているあいだは 私を粗末にして〕死(し)にから バクチャ屋(や)に通(かゆ)てぃちゃすが〔死んでバクチャ屋に通ってどうするか〕。」と、大声で歌を詠んだので、もうアンマーはがっかりしてしまったということ。 |
| 全体の記録時間数 | 20:04 |
| 物語の時間数 | 20:04 |
| 言語識別 | 方言 |
| 音源の質 | △ |
| テープ番号 | - |
| 予備項目1 | - |