赤犬子(シマグチ)

概要

楚辺部落は、こっちでみんな安定した生活をしているが、半分ほどは米や食糧は自給自足だが、水が不
自由で、天水を貯めて使っていた。ところが、その水も枯れてしまった。それで、ある人の話で、「ここでは生活が出来ない。」と、旧部落で、旧部落はここから東の方だが米軍基地になっている。あそこの部落は大山になっていて、ずっと上から現在の赤犬子宮あたりから来る湧水があった。今度は旧部落へ行って、山の麓に穴を掘って、水を貯めてそれを飲むということで、楚辺部落はあちらこちらに移動した。ここは雨が降らず、水が枯れてなくなったので、旧部落で生活していたようだ。生活するうちに、そのカーはニーブガーになっていた。水を貯めてあるだけで、それはイーガーとよんでいたわけだ。そこから湧いてくる水を柄杓でくんでいた。何世帯あったということは分からないがね、そのようにして生活していた。そのころウフヤカマーと、ヌンドゥヌチカマーという二人の男の若者がいた。また屋嘉のチラーという名高い美人がいた。チラーはウフヤカマーと恋仲にあった。それをヌンドゥヌチカマーが知っていて、ヌンドゥヌチカマーもまた、チラーを望んでいたから、「このウフヤカマーがいる間は、屋嘉のチラーは私の勝手に出来ない、叩き殺してやろう。」と、悪い考えを持っていた。そして、朝早く起きて、イーガー付近は木がおい茂っていて、山は暗くて見えないので、ヌンドゥヌチカマーは先に行って、ウフヤカマーを待ち受けていた。今来るのか、人まちがいしたらいけないと確かめて、いよいよ来るなと、ウフヤカマーが入ってきたので、後からすぐなぐって、叩き殺してしまった。ウフヤカマーを倒れて息も絶えてしまったので、「もうやり終えた。今度は屋嘉のチラーは私の勝手だ。」と喜んでいたようだ。もう屋嘉のチラーにいいよったが、お腹の中にはすでに何か月になるか分からないがウフヤカマーの子が入っていたので、ヌンドゥヌチカマーが寄ってきても絶対に受けつけなかった。今度はもうお腹も次第に大きくなって、苦労して、この家にいるとヌンドゥヌチカマーにいじわるされて心配していた。もう夕方、太陽の落ちる頃、楚辺の前の浜で海をながめて、一人で寂しくいると、どこからきたのか、ムチムクした赤犬がしっ尾をふりふり現れた。赤犬がチラーのところへきて、じゃれていたので、「かわいいね。」と自分の子供のように抱きかかえていた。そして、家に帰ろうとすると、ずっと追ってきたので、「もう可哀相に、迷っているんだね、親はどこにいっているのか。」と、どこをみても親はいなかったので、その犬を連れてきたようだ。家へ連れて行って、自分で育てて、夜もチラーが寝かせてあげて、育てたようだ。犬は犬でもうだいぶ大きくなっていき、自分のお腹も同じように大きくなっていった。そうしているうちに、珍しいことに、犬は浴みたように水に濡れて、チラーのところへきて、しっ尾もふりふりしていた。潮ではなくて水だったので、チラーは、「珍しいね、どこで浴みたか。」と、手まね足まねで聞いた。犬が出て行ったので、チラーは犬の後を追った。そこは大きな山になっていて、木も側に生えていて歩けたようだ。チラーは入ったそうだからね。行ってみると、やっぱり奥に水があったようだから、犬をなでてあげて、「ああよかった。お前は偉い。ありがとう。」と。それから家へ戻ってきて、桶を持っていき水を入れてきた。これは本当に飲める水だろうかと、自分一人では判断出来ないので、皆で確かめて下さいと、動物へも分けて飲ましたりしていた。また犬もゴクゴク飲んだので、これは間違いないと喜んだ。それから長いこと、あそこの水を使った。この洞窟は、人は立って歩けない。桶を持って腰も曲げてゆっくりゆっくり歩くんだよ。水もここから飲むことになってね。そのうちにチラーのお腹は大きくなって、「夫はいないのに、屋嘉のチラーは犬の子を身ごもっているよ。犬の子供だ。」と、世間のうわさが他までひろがったようだ。それで、ここへいることはできず、チラーはもう勝連に逃れて行った。自分のお腹に入っているから、勝連の浜の洞窟の中で男の子が生まれた。子供は生まれて、百姓から豆や芋をもらったり、海へ出たりして子供を育てた。そのころ、楚辺の人は、チラーがどこに行ったのか分からなかった。勝連で生まれた当時は、「赤犬の子を生んであるよ。」と、赤犬の子と名前をつけて、その子が小さい頃は、海の物を取ったり、陸のものを食べたりして生活して、大きく成長してから、楚辺の家に戻ってきた。それから、雨が降るとき、自分の庭にマーニの木があったが、七、八歳の子供の頃、このマーニの木に雨が降ったそうだ。マーニの葉に雨が落ちる音を聞いて、葉に落ちる音、葉の根にトーン、葉の中ごろにトーン、葉先にテーンと、テーントントンと三つの音を聞いた。まだ子供で何歳だったか分からないが、子供なので趣味があったのか、三味線のようなものを作り、テンテントントンと弦もつけた。この音の始まりは赤犬子、この子がテンテントントンと三味線を作ったという話である。それから、何年後か分からないが、昔は唐旅というのがあったよ。赤犬子は唐旅へ行った。長浜に港が出来てから行ったのか、一回目に行ったとき、珍しい物といって、トージン、マージン、粟、麦、ネギ、ニーブル、葉っぱとそのような種子を持ってきたそうだ。二回目行ったときは、首里城の下に大変大きな泉の龍樋があった。ちょうど龍の口のような物を首里城の下の川に寄附した。赤犬子ウスメーが持ってきたのを寄附した。また、赤犬子ウスメーは、唐から唐船丸のタナジャーといって、床にタナジャーといっているんだがね。二回行ったときには、唐の人と友達になって、これあげるから持っていきなさいと、銅と真ちゅうの混合で作られている龍の口のようなものが戦前あったよ。それを持ってきて王に寄附したそうだ。それから、王様も赤犬子ウスメーをもてなして、犬の子ではないが、男親は誰か分からないので、赤犬子ウスメーと名前もつけてね、また赤犬子の妻は分からないが女の子の話もあった。今度は、王様の命令で、「あちらこちら百姓のところや社会見学として琉球の各字部落を廻って、この分からないところは習ってきなさい。」と言い付けられた。自分の女の子も連れて、ずっと島尻の先から国頭の先まで廻って歩き、中頭を歩き、乗り物もないので何日かかったか分からなかった。そして、瀬良垣にやってきて、「この子供に水を飲ましてくれないか、芋のくずでもいいので下さいませんか。」と、赤犬子ウスメーが言うと、「お前達に飲ます水がどこにあるか。」と、船を作る人が言った。「ああそうか。何もないのか。お前達は船を作るようだが、それの名前は私がつけよう。」「もう、まだ決めてないのでお願いします。」そして、船の名は、赤犬子ウスメーが、「お前達の物は水船、水の中に浮けるので、水船としたら大変嘉例なので水船とつけようね。」と言ったので、瀬良垣青年たちは、「そうですね、水と合うので上等です。ありがとうございました。」ともういい名前をもらったとね、喜んで、そして、その名前は水船とね、名がついた。それから、瀬良垣から下がって谷茶に来ると、そこも、浜で青年たちが船を作っていた。ここもやっているねと。「青年たちよ、頼むので、この子供に水と芋のくずでもいいので、食べさせて下さらないか。」と言うと、「芋も沢山あります。水も飲んで下さい。貴方もどうぞ。」と、「ああやさしい人たちよ。お前達の船も私に名前をつけさせてくれ。」と言った。谷茶の青年たちは、「はいまだつけていません。いいことです。何とつけたらいいでしょうか。ウスメー。」と言うと、「あなたたちの船も嘉例なので、谷茶走(はやー)とつけようね。」と言った。谷茶ゆー走(はやー)といって、早く走る船という意味でね。「ではありがとうございます。」と、谷茶ゆー走(はやー)。谷茶の物はよく走り、瀬良垣の船は水船である。そして、赤犬子は家へ帰った。船下ろしというと、船を浮かべることね。浮かべると、谷茶の船は早く走り、谷茶ゆー走(はやー)はもう速かった。もう昔はエンジンはなくて帆をたてて漕いで、帆一本でまた櫂で漕いでどこまでも行っていた。この瀬良垣の青年たちは「どうして谷茶の船はこんなに速く走るのに、私達の物は水の上に浮かべても水船になって水が入るとは。」と怒った。浮かべると水が入って、水を出してもまた沈んでしまった。水船と言われて、「こんな奴は叩き殺してやろう。」と、もう瀬良垣の青年たちは怒って、棒を持って赤犬子ウスメーを殺してこようと、ウスメーを殺しにね、おし寄せて行った。そうすると、赤犬子ウスメーはうわさを聞いて、大変なことだと逃げる支度をした。デークといって竹のようなものがあるが、それを杖にして杖をついて、家にいると殺されるので、現在の赤犬子神社があるところまでやってきた。そこに避難するつもりで行ったんでしょう。そして、本当は根は下にしてさすのが根づきやすいけどね。このデークが根づいたら楚辺村は栄える。また根づかなければ滅びていくよといわれた。自分がついていった杖を逆にして、現在の赤犬子宮に立てた。その杖は根づいて、緑の芽が出たという話である。そうして、赤犬子ウスメーはどこへ行ったか分からない。ただひと言、「この杖が生えてくると、楚辺村は栄えて、杖が根づかなければなくなる。」と。それから行方不明になった。瀬良垣の青年たちは浜からあがって、赤犬子宮までずっと追って行ったが、どこへ行ったか探すことはできなかった。行方不明になって天に上がったということになっている。

再生時間:41:00:00

民話詳細DATA

レコード番号 47O373801
CD番号 47O37C166
決定題名 赤犬子(シマグチ)
話者がつけた題名 赤犬子
話者名 比嘉清次郎
話者名かな ひがせいじろう
生年月日 19100320
性別
出身地 沖縄県読谷村楚辺
記録日 19881220
記録者の所属組織 読谷ゆうがおの会
元テープ番号 読谷村楚辺T17A06
元テープ管理者 読谷村立歴史民俗資料館
分類 20
発句(ほっく)
伝承事情
文字化資料 読谷村民話資料集11楚辺の民話 P221
キーワード 楚辺部落,自給自足,水が不自由,天水,赤犬子宮,湧,山の麓に,ニーブガー,イーガー,ウフヤカマー,ヌンドゥヌチカマー,二人の男の若者,屋嘉のチラー,名高い美人,チラーはウフヤカマーと恋,ウフヤカマーの,赤犬,犬の子供,勝連の浜の洞窟,男の子,三味線,唐旅,種子,首里城,龍樋,赤犬子ウスメー,水船,谷茶走,瀬良垣の青年,デーク
梗概(こうがい) 楚辺部落は、こっちでみんな安定した生活をしているが、半分ほどは米や食糧は自給自足だが、水が不 自由で、天水を貯めて使っていた。ところが、その水も枯れてしまった。それで、ある人の話で、「ここでは生活が出来ない。」と、旧部落で、旧部落はここから東の方だが米軍基地になっている。あそこの部落は大山になっていて、ずっと上から現在の赤犬子宮あたりから来る湧水があった。今度は旧部落へ行って、山の麓に穴を掘って、水を貯めてそれを飲むということで、楚辺部落はあちらこちらに移動した。ここは雨が降らず、水が枯れてなくなったので、旧部落で生活していたようだ。生活するうちに、そのカーはニーブガーになっていた。水を貯めてあるだけで、それはイーガーとよんでいたわけだ。そこから湧いてくる水を柄杓でくんでいた。何世帯あったということは分からないがね、そのようにして生活していた。そのころウフヤカマーと、ヌンドゥヌチカマーという二人の男の若者がいた。また屋嘉のチラーという名高い美人がいた。チラーはウフヤカマーと恋仲にあった。それをヌンドゥヌチカマーが知っていて、ヌンドゥヌチカマーもまた、チラーを望んでいたから、「このウフヤカマーがいる間は、屋嘉のチラーは私の勝手に出来ない、叩き殺してやろう。」と、悪い考えを持っていた。そして、朝早く起きて、イーガー付近は木がおい茂っていて、山は暗くて見えないので、ヌンドゥヌチカマーは先に行って、ウフヤカマーを待ち受けていた。今来るのか、人まちがいしたらいけないと確かめて、いよいよ来るなと、ウフヤカマーが入ってきたので、後からすぐなぐって、叩き殺してしまった。ウフヤカマーを倒れて息も絶えてしまったので、「もうやり終えた。今度は屋嘉のチラーは私の勝手だ。」と喜んでいたようだ。もう屋嘉のチラーにいいよったが、お腹の中にはすでに何か月になるか分からないがウフヤカマーの子が入っていたので、ヌンドゥヌチカマーが寄ってきても絶対に受けつけなかった。今度はもうお腹も次第に大きくなって、苦労して、この家にいるとヌンドゥヌチカマーにいじわるされて心配していた。もう夕方、太陽の落ちる頃、楚辺の前の浜で海をながめて、一人で寂しくいると、どこからきたのか、ムチムクした赤犬がしっ尾をふりふり現れた。赤犬がチラーのところへきて、じゃれていたので、「かわいいね。」と自分の子供のように抱きかかえていた。そして、家に帰ろうとすると、ずっと追ってきたので、「もう可哀相に、迷っているんだね、親はどこにいっているのか。」と、どこをみても親はいなかったので、その犬を連れてきたようだ。家へ連れて行って、自分で育てて、夜もチラーが寝かせてあげて、育てたようだ。犬は犬でもうだいぶ大きくなっていき、自分のお腹も同じように大きくなっていった。そうしているうちに、珍しいことに、犬は浴みたように水に濡れて、チラーのところへきて、しっ尾もふりふりしていた。潮ではなくて水だったので、チラーは、「珍しいね、どこで浴みたか。」と、手まね足まねで聞いた。犬が出て行ったので、チラーは犬の後を追った。そこは大きな山になっていて、木も側に生えていて歩けたようだ。チラーは入ったそうだからね。行ってみると、やっぱり奥に水があったようだから、犬をなでてあげて、「ああよかった。お前は偉い。ありがとう。」と。それから家へ戻ってきて、桶を持っていき水を入れてきた。これは本当に飲める水だろうかと、自分一人では判断出来ないので、皆で確かめて下さいと、動物へも分けて飲ましたりしていた。また犬もゴクゴク飲んだので、これは間違いないと喜んだ。それから長いこと、あそこの水を使った。この洞窟は、人は立って歩けない。桶を持って腰も曲げてゆっくりゆっくり歩くんだよ。水もここから飲むことになってね。そのうちにチラーのお腹は大きくなって、「夫はいないのに、屋嘉のチラーは犬の子を身ごもっているよ。犬の子供だ。」と、世間のうわさが他までひろがったようだ。それで、ここへいることはできず、チラーはもう勝連に逃れて行った。自分のお腹に入っているから、勝連の浜の洞窟の中で男の子が生まれた。子供は生まれて、百姓から豆や芋をもらったり、海へ出たりして子供を育てた。そのころ、楚辺の人は、チラーがどこに行ったのか分からなかった。勝連で生まれた当時は、「赤犬の子を生んであるよ。」と、赤犬の子と名前をつけて、その子が小さい頃は、海の物を取ったり、陸のものを食べたりして生活して、大きく成長してから、楚辺の家に戻ってきた。それから、雨が降るとき、自分の庭にマーニの木があったが、七、八歳の子供の頃、このマーニの木に雨が降ったそうだ。マーニの葉に雨が落ちる音を聞いて、葉に落ちる音、葉の根にトーン、葉の中ごろにトーン、葉先にテーンと、テーントントンと三つの音を聞いた。まだ子供で何歳だったか分からないが、子供なので趣味があったのか、三味線のようなものを作り、テンテントントンと弦もつけた。この音の始まりは赤犬子、この子がテンテントントンと三味線を作ったという話である。それから、何年後か分からないが、昔は唐旅というのがあったよ。赤犬子は唐旅へ行った。長浜に港が出来てから行ったのか、一回目に行ったとき、珍しい物といって、トージン、マージン、粟、麦、ネギ、ニーブル、葉っぱとそのような種子を持ってきたそうだ。二回目行ったときは、首里城の下に大変大きな泉の龍樋があった。ちょうど龍の口のような物を首里城の下の川に寄附した。赤犬子ウスメーが持ってきたのを寄附した。また、赤犬子ウスメーは、唐から唐船丸のタナジャーといって、床にタナジャーといっているんだがね。二回行ったときには、唐の人と友達になって、これあげるから持っていきなさいと、銅と真ちゅうの混合で作られている龍の口のようなものが戦前あったよ。それを持ってきて王に寄附したそうだ。それから、王様も赤犬子ウスメーをもてなして、犬の子ではないが、男親は誰か分からないので、赤犬子ウスメーと名前もつけてね、また赤犬子の妻は分からないが女の子の話もあった。今度は、王様の命令で、「あちらこちら百姓のところや社会見学として琉球の各字部落を廻って、この分からないところは習ってきなさい。」と言い付けられた。自分の女の子も連れて、ずっと島尻の先から国頭の先まで廻って歩き、中頭を歩き、乗り物もないので何日かかったか分からなかった。そして、瀬良垣にやってきて、「この子供に水を飲ましてくれないか、芋のくずでもいいので下さいませんか。」と、赤犬子ウスメーが言うと、「お前達に飲ます水がどこにあるか。」と、船を作る人が言った。「ああそうか。何もないのか。お前達は船を作るようだが、それの名前は私がつけよう。」「もう、まだ決めてないのでお願いします。」そして、船の名は、赤犬子ウスメーが、「お前達の物は水船、水の中に浮けるので、水船としたら大変嘉例なので水船とつけようね。」と言ったので、瀬良垣青年たちは、「そうですね、水と合うので上等です。ありがとうございました。」ともういい名前をもらったとね、喜んで、そして、その名前は水船とね、名がついた。それから、瀬良垣から下がって谷茶に来ると、そこも、浜で青年たちが船を作っていた。ここもやっているねと。「青年たちよ、頼むので、この子供に水と芋のくずでもいいので、食べさせて下さらないか。」と言うと、「芋も沢山あります。水も飲んで下さい。貴方もどうぞ。」と、「ああやさしい人たちよ。お前達の船も私に名前をつけさせてくれ。」と言った。谷茶の青年たちは、「はいまだつけていません。いいことです。何とつけたらいいでしょうか。ウスメー。」と言うと、「あなたたちの船も嘉例なので、谷茶走(はやー)とつけようね。」と言った。谷茶ゆー走(はやー)といって、早く走る船という意味でね。「ではありがとうございます。」と、谷茶ゆー走(はやー)。谷茶の物はよく走り、瀬良垣の船は水船である。そして、赤犬子は家へ帰った。船下ろしというと、船を浮かべることね。浮かべると、谷茶の船は早く走り、谷茶ゆー走(はやー)はもう速かった。もう昔はエンジンはなくて帆をたてて漕いで、帆一本でまた櫂で漕いでどこまでも行っていた。この瀬良垣の青年たちは「どうして谷茶の船はこんなに速く走るのに、私達の物は水の上に浮かべても水船になって水が入るとは。」と怒った。浮かべると水が入って、水を出してもまた沈んでしまった。水船と言われて、「こんな奴は叩き殺してやろう。」と、もう瀬良垣の青年たちは怒って、棒を持って赤犬子ウスメーを殺してこようと、ウスメーを殺しにね、おし寄せて行った。そうすると、赤犬子ウスメーはうわさを聞いて、大変なことだと逃げる支度をした。デークといって竹のようなものがあるが、それを杖にして杖をついて、家にいると殺されるので、現在の赤犬子神社があるところまでやってきた。そこに避難するつもりで行ったんでしょう。そして、本当は根は下にしてさすのが根づきやすいけどね。このデークが根づいたら楚辺村は栄える。また根づかなければ滅びていくよといわれた。自分がついていった杖を逆にして、現在の赤犬子宮に立てた。その杖は根づいて、緑の芽が出たという話である。そうして、赤犬子ウスメーはどこへ行ったか分からない。ただひと言、「この杖が生えてくると、楚辺村は栄えて、杖が根づかなければなくなる。」と。それから行方不明になった。瀬良垣の青年たちは浜からあがって、赤犬子宮までずっと追って行ったが、どこへ行ったか探すことはできなかった。行方不明になって天に上がったということになっている。
全体の記録時間数 41:00:00
物語の時間数 41:00:00
言語識別 方言
音源の質
テープ番号
予備項目1

トップに戻る

TOP