
継子の芝居というものもあったんだがね。この女は後妻で、継子は上の子であったらしい。「どうしてもこの子を殺さないことには、自分の子に財産を与えることも私の子の勝手には出来ない。」と考えた。それで、この話は冬の大変寒い日に、「着物も満足に着けさせずに潮汲みに行かせば、途中で凍え死ぬだろう。」という継親の企みだったようだ。沖縄では雪は降らないんだが、「潮を汲んで来なさい。」と言ったことからの始まりだよ。この話の中に、継子念仏という歌があるんだがね。その歌というのは、この継子が作った歌だよ。この継子はあまりにも粗末にされたので、母親の墓の前で、「こうこういうわけで、私はもう継母と一緒に暮らすことはできません。早く私を引き取って、本当のお母さんと一緒にさせて下さい。」と、毎日のように墓に行き来していた。そして七月七夕の日、継子は母親の墓の前で、泣きつき実母に頼むのであった。「私はこのようにして、苦しんでいては生きていく価値もない。早くお母さんの元に私を呼んで、お母さんと一緒にさせて下さい。」と、墓の前で泣いて頼んだ。そうしているうちに、仲順大主が現れた。仲順大主が、「どうして君は墓の前でしくしく泣いているのか。その理由を話してくれないか。」と言った。「こういうわけで、継母に粗末にされて、このままでは生きていくことは出来ない。」と、仲順大主に言った。すると仲順大主が「あなたのお母さんは日頃は見ることは出来ないよ。」と言うと、「いつになったら見られるんですか。」と聞き返すと、「七月の七夕に来なさい。その時は見ることができるから、七本のクーダグーシの竹を切って持ってきなさい。」とと言った。それで、その継子は七節のクーダグーシを脇にはさんで、一本ずつ取り出して見たらしい。最初ので見えなければ次の物、それで見えなければまた次の物というふうに見ていると、七本目にお母さんが現れて話をすることが出来た。その子はお母さんに、「こういうわけで、私は今の継母とは生活することは出来ない。どうかお母さんと一緒に連れて行って下さい。」と頼んだ。するとお母さんは、「あなたはそういうよりも、あそこの家の長男だ。私は七月や正月には帰ってくるんだから、祖先の孝行だと思って辛抱しなさい。だから七月や正月にはお茶やたばこも供えてね。そういうのも忘れないでちゃんと供えてほしい。また夏には急に、にわか雨が降ることもあるでしょう。冬になると寒い日には小雨の降ることもあるでしょう。その時はお母さんの涙と思って辛抱しなさい。」と話した。そういうぐあいにお母さんと話して、その子は、「そうかな。」と思いなおして引き返し辛抱すことにしたそうだ。これは昔の念仏といって、歌もあるよ。そうして、継子を粗末にして殺そうとしたが、どうしても殺すことができなかった。もう終いには夫に頼みこむことにした。その後妻は仮病をつかって、夫に、「私の病気は継子の生肝を食べなと治らないよ、だから私に継子の生肝を隠れて食べさせて下さい。」と頼んだ。夫は、もうやっぱり妻を愛していたんでしょうね。ついつい妻の言う通りにして、その子を殺すということになってしまった。継子を殺しに、墓の上まで行くときはね、昔はムイングヮ、ムイアナーというのがあったでしょう。そのヤカー〔乳母〕というムイアナーを使って、ムイングヮである継子を処分させようとした。しかしヤカーは、自分で育てた子供だから、どうしても殺すことができなかった。それでその子を隠して、継母たちには、「殺してきた。」と話した。そして隠して育てた継子は、いい子に成長した。そういうことから、こんな継子を殺すようなことはしていけないという、世間への戒めの場面を部落の芝居でやっていたよ。
| レコード番号 | 47O373414 |
|---|---|
| CD番号 | 47O37C148 |
| 決定題名 | 継親念仏(共通語) |
| 話者がつけた題名 | 継親念仏(共通語) |
| 話者名 | 上地源助 |
| 話者名かな | うえちげんすけ |
| 生年月日 | 19070103 |
| 性別 | 男 |
| 出身地 | 沖縄県読谷村楚辺 |
| 記録日 | 19770220 |
| 記録者の所属組織 | 読谷村民話調査団 |
| 元テープ番号 | 読谷村楚辺T03A10 T03B01 |
| 元テープ管理者 | 読谷村立歴史民俗資料館 |
| 分類 | 12 |
| 発句(ほっく) | - |
| 伝承事情 | - |
| 文字化資料 | - |
| キーワード | 継子,後妻,自分の子に財産,冬の大変寒い日,着物,潮汲み,凍え死ぬ,継親の企み,母親の墓,仲順大主,七月の七夕,七本のクーダグーシ,七本目にお母さん,七月や正月,祖先の孝行,お茶やたばこ,にわか雨,小雨,お母さんの涙,念仏,仮病,継子の生肝,ヤカー,ムイアナー,ムイングヮ |
| 梗概(こうがい) | 継子の芝居というものもあったんだがね。この女は後妻で、継子は上の子であったらしい。「どうしてもこの子を殺さないことには、自分の子に財産を与えることも私の子の勝手には出来ない。」と考えた。それで、この話は冬の大変寒い日に、「着物も満足に着けさせずに潮汲みに行かせば、途中で凍え死ぬだろう。」という継親の企みだったようだ。沖縄では雪は降らないんだが、「潮を汲んで来なさい。」と言ったことからの始まりだよ。この話の中に、継子念仏という歌があるんだがね。その歌というのは、この継子が作った歌だよ。この継子はあまりにも粗末にされたので、母親の墓の前で、「こうこういうわけで、私はもう継母と一緒に暮らすことはできません。早く私を引き取って、本当のお母さんと一緒にさせて下さい。」と、毎日のように墓に行き来していた。そして七月七夕の日、継子は母親の墓の前で、泣きつき実母に頼むのであった。「私はこのようにして、苦しんでいては生きていく価値もない。早くお母さんの元に私を呼んで、お母さんと一緒にさせて下さい。」と、墓の前で泣いて頼んだ。そうしているうちに、仲順大主が現れた。仲順大主が、「どうして君は墓の前でしくしく泣いているのか。その理由を話してくれないか。」と言った。「こういうわけで、継母に粗末にされて、このままでは生きていくことは出来ない。」と、仲順大主に言った。すると仲順大主が「あなたのお母さんは日頃は見ることは出来ないよ。」と言うと、「いつになったら見られるんですか。」と聞き返すと、「七月の七夕に来なさい。その時は見ることができるから、七本のクーダグーシの竹を切って持ってきなさい。」とと言った。それで、その継子は七節のクーダグーシを脇にはさんで、一本ずつ取り出して見たらしい。最初ので見えなければ次の物、それで見えなければまた次の物というふうに見ていると、七本目にお母さんが現れて話をすることが出来た。その子はお母さんに、「こういうわけで、私は今の継母とは生活することは出来ない。どうかお母さんと一緒に連れて行って下さい。」と頼んだ。するとお母さんは、「あなたはそういうよりも、あそこの家の長男だ。私は七月や正月には帰ってくるんだから、祖先の孝行だと思って辛抱しなさい。だから七月や正月にはお茶やたばこも供えてね。そういうのも忘れないでちゃんと供えてほしい。また夏には急に、にわか雨が降ることもあるでしょう。冬になると寒い日には小雨の降ることもあるでしょう。その時はお母さんの涙と思って辛抱しなさい。」と話した。そういうぐあいにお母さんと話して、その子は、「そうかな。」と思いなおして引き返し辛抱すことにしたそうだ。これは昔の念仏といって、歌もあるよ。そうして、継子を粗末にして殺そうとしたが、どうしても殺すことができなかった。もう終いには夫に頼みこむことにした。その後妻は仮病をつかって、夫に、「私の病気は継子の生肝を食べなと治らないよ、だから私に継子の生肝を隠れて食べさせて下さい。」と頼んだ。夫は、もうやっぱり妻を愛していたんでしょうね。ついつい妻の言う通りにして、その子を殺すということになってしまった。継子を殺しに、墓の上まで行くときはね、昔はムイングヮ、ムイアナーというのがあったでしょう。そのヤカー〔乳母〕というムイアナーを使って、ムイングヮである継子を処分させようとした。しかしヤカーは、自分で育てた子供だから、どうしても殺すことができなかった。それでその子を隠して、継母たちには、「殺してきた。」と話した。そして隠して育てた継子は、いい子に成長した。そういうことから、こんな継子を殺すようなことはしていけないという、世間への戒めの場面を部落の芝居でやっていたよ。 |
| 全体の記録時間数 | 1:21 |
| 物語の時間数 | 1:21 |
| 言語識別 | 共通語 |
| 音源の質 | △ |
| テープ番号 | - |
| 予備項目1 | - |