
座喜味城はですね、山田から座喜味溝を造らなければいけない。あそこに城を造ってやろうと言って造ったようだ。その時の王様は、私たちの波平部落の(現在の)バス乗場の所にイットゥカグシクというのがありますけど、現在の原名ですね。その王様はそこで、座喜味城は二二九年までに落成はしたが、護佐丸はそこにはお住みにはならなかった。国頭からの戦より、中央からの戦が恐いということで、彼はぜひ中城(注 )を守ってもらいたいということで、護佐丸は中城へ移って行かれたので、座喜味城は座喜味大主という方に譲ったという話である。その時の王様は、各国から人夫を徴用して城は完成したが、食糧がなかった。配給して食べさせるものがなかった。ほとんどの人がバタバタと死んでいったということだ。死者が次々と出た。もう食糧があってはじめて生きていけるでしょう。私たちの村のチブガマに人骨がありますね。それはその当時の徴用した人夫のものだそうです。私たちの村のチビチリ洞穴でもまな板や包丁があったという話です。その時の徴用人夫が帰ることが出来ないで死んだ人々の骨で、長浜の岩の下は一杯ですよね。そこで、その当時の王様は、「世の衰え」食べさすものがなくて世の中が衰えたので、王様は、「私は死んでも先祖のいる玉陵へ葬られることは出来ない。行ったら無礼になるので、浦添ようどれに私を葬って下さい。」と、いう伝えだったそうだ。そこで、今は二二九年しかならないが、二二九年、三〇年は来年にはなるが、それだけしかならない。その時の王様は、浦添ようどれに入った。浦添ようどれは、世の衰えた時の王様が葬られた墓という意味だそうだ。そこで、座喜味城は、座喜味大主に譲った。そこで、座喜味の東上地という方が、粟俵を解いて、その城の広場に残らず粟の種を蒔いた。その粟が実ったので、生き残った人々は、その粟飯で命拾いをしたようだ。「ウートートゥ、東上地の富貴は万代まで続くことをお祈りします。」と(人々は感謝したようだ。)現在でも、東上地は金持ちだよ。座喜味の東上地はね、その自分の粟俵を蒔いた。城は広場になっていて、粟は実ったので、生き残っている人々に配給して与えたので、それで「ウートートゥ、東上地の富貴は万代まで続けさせて下さい。」と感謝されたそうだ。
| レコード番号 | 47O372333 |
|---|---|
| CD番号 | 47O37C102 |
| 決定題名 | 東上地と座喜味城(シマグチ) |
| 話者がつけた題名 | 座喜味城を造った話 |
| 話者名 | 比嘉徳太郎 |
| 話者名かな | ひがとくたろう |
| 生年月日 | 18920102 |
| 性別 | 男 |
| 出身地 | 沖縄県読谷村高志保 |
| 記録日 | 19770222 |
| 記録者の所属組織 | 読谷村民話調査団第14班 |
| 元テープ番号 | 読谷村高志保T02B06 |
| 元テープ管理者 | 読谷村立歴史民俗資料館 |
| 分類 | 20 |
| 発句(ほっく) | - |
| 伝承事情 | - |
| 文字化資料 | 読谷村民話資料集8高志保の民話 P169 |
| キーワード | 座喜味城,山田,王様,波平部落,イットゥカグシク,護佐丸,国頭からの戦,中城,チブガマに人骨,玉陵,浦添ようどれ,東上地は金持ち |
| 梗概(こうがい) | 座喜味城はですね、山田から座喜味溝を造らなければいけない。あそこに城を造ってやろうと言って造ったようだ。その時の王様は、私たちの波平部落の(現在の)バス乗場の所にイットゥカグシクというのがありますけど、現在の原名ですね。その王様はそこで、座喜味城は二二九年までに落成はしたが、護佐丸はそこにはお住みにはならなかった。国頭からの戦より、中央からの戦が恐いということで、彼はぜひ中城(注 )を守ってもらいたいということで、護佐丸は中城へ移って行かれたので、座喜味城は座喜味大主という方に譲ったという話である。その時の王様は、各国から人夫を徴用して城は完成したが、食糧がなかった。配給して食べさせるものがなかった。ほとんどの人がバタバタと死んでいったということだ。死者が次々と出た。もう食糧があってはじめて生きていけるでしょう。私たちの村のチブガマに人骨がありますね。それはその当時の徴用した人夫のものだそうです。私たちの村のチビチリ洞穴でもまな板や包丁があったという話です。その時の徴用人夫が帰ることが出来ないで死んだ人々の骨で、長浜の岩の下は一杯ですよね。そこで、その当時の王様は、「世の衰え」食べさすものがなくて世の中が衰えたので、王様は、「私は死んでも先祖のいる玉陵へ葬られることは出来ない。行ったら無礼になるので、浦添ようどれに私を葬って下さい。」と、いう伝えだったそうだ。そこで、今は二二九年しかならないが、二二九年、三〇年は来年にはなるが、それだけしかならない。その時の王様は、浦添ようどれに入った。浦添ようどれは、世の衰えた時の王様が葬られた墓という意味だそうだ。そこで、座喜味城は、座喜味大主に譲った。そこで、座喜味の東上地という方が、粟俵を解いて、その城の広場に残らず粟の種を蒔いた。その粟が実ったので、生き残った人々は、その粟飯で命拾いをしたようだ。「ウートートゥ、東上地の富貴は万代まで続くことをお祈りします。」と(人々は感謝したようだ。)現在でも、東上地は金持ちだよ。座喜味の東上地はね、その自分の粟俵を蒔いた。城は広場になっていて、粟は実ったので、生き残っている人々に配給して与えたので、それで「ウートートゥ、東上地の富貴は万代まで続けさせて下さい。」と感謝されたそうだ。 |
| 全体の記録時間数 | 4:13 |
| 物語の時間数 | 4:13 |
| 言語識別 | 方言 |
| 音源の質 | 〇 |
| テープ番号 | - |
| 予備項目1 | - |