護佐丸と阿麻和利(シマグチ)

概要

(護佐丸は)本当は中山王であった。首里の王であったわけ。沖縄には、北山、南山、中山と三カ所あった。勝連城もあることはあったし、それから中城城もあった。護佐丸は忠臣で、誠な人であった。阿麻和利は、また悪臣で屋良の生まれであった。北谷屋良の生まれであったそうだ。阿麻和利が謀反を企んでいた。阿麻和利は、七歳まで大変体が弱く這うこともできなかったが、やっぱり頭はよかったわけだね。それで蜘蛛がこうして巣を作っているのを見て、網を作り出したのは阿麻和利である。屋良のアマンジャナー、勝連の按司と言われているのでね。そうして、蜘蛛が巣を作っているのを見て、網を考え出し、その網を、ただで漁師達にもらわしていた。そうすると、「それではいけない。貴方の恩義はどうして返せばよいでしょうか。」と言った。「私の恩義は今は返さなくてもいいから、私が何月何日にたいまつに火をつけて、与那原の浜に船共々こういうふうに突き出して、私が言う通りにさえすれば、恩義は返したということになるから、それでいいよ。」と言った。この漁師達、百姓達は、やっぱり網を作ってもらい、この網で魚を取って食べているでしょう。この恩義として阿麻和利の言う通りにしたようである。それから、この阿麻和利は勝連城に行った。前もってもう謀反を企んで、部下達も集めてあった。必ず勝連の按司を殺して、勝連の大将になってみせると。それで勝連では、もうこの百姓達に前で網等を作ってただであげていたので、何月何日に、与那原の浜に船と一緒に、たいまつをつけて集まりなさいと言ってあった。中山城からこの勝連城に、船で戦、夜、船で戦いを挑んでくるよと、勝連の按司に嘘をついた。この勝連の按司は本気にして、物見台に登った。前もって、この謀反、悪は企んでいるんだから。按司が物見台に登ると、与那原の浜はたいまつの火で、もう大変明るくなっていた。「これが言っているのは本当だね。」と、それを見ている時に、この按司は崖に突き落とされた。物見台から崖下に落とされたので、部下達も全員、対抗する人は殺されて、そうでない人はまた自分の味方にした。そしてまた、中山、首里城を滅ぼそうと企んでいたようだ。それから阿麻和利と、この護佐丸とは婿兄弟であった。中山の娘を妻にしていたが、阿麻和利はたぶん姉さんを妻にしていたようだ。また妹は、中城の護佐丸が妻にしていた。 この場合、護佐丸は、やっぱりこの城を築いたのから見ると、最初護佐丸は、山田城を築くために、準備をして石垣も積み始めていた。しかし、読谷村の座喜味城がいいということで、そこに山田城から、城に積んである石を集めて部下が手渡しで運んだ。昔はもう、担ごうとしても山道であるし難しいので、こういうふうにして手渡しで転がしながら運び、座喜味城は築いたという話であるわけだ。そうして、この阿麻和利が中山城を滅ぼそうと謀反を企んでいるという話を、護佐丸は少し耳にした。そうなると親に対抗するわけだから、これはそうさせてはいけないと考えた。そして中城からは勝連城を見渡すことができるので、戦を寄せて来るのも分かるということで、今度は座喜味城はこのまま捨ててしまわれた。そこで、中城城を造ろうとしている時であった。城壁はでき上がり家造りの場合に鍛冶屋を集めていた。〈昔は家を作る時に、今のように釘はないので、鍛冶屋の打った四角い釘、鍛冶屋の作っている釘を尖らして、昔はこれで打たれていたのである。〉だから、家造りするために、鍛冶屋とか石大工を集めていた。そうして家造りの真最中に、これはいい機会だと阿麻和利は、また中山に、「護佐丸は今首里城、この中山に謀反を企んで、戦争を寄せようと、昼も夜も戦の準備をしています。もう鍛冶屋を集めて鍛冶屋大工を集めて、もう準備に真っ最中であります。」と言った。家作りの最中であるから、実際には戦の準備ではなく、家を造っているのだが、いい口実だと嘘をついて、首里に上って行き、そういうふうに嘘をついたわけである。そうしたので、中山の按司はそこに使いの者をやった。「西原ぬひゃー」という部下達を使いに出した。この部下達は意地が弱くて遠く離れて、ただもう城の所まで行っただけで、詳しくは調べてはいなかった。やっぱり中城は高いので、遠くから見ていた。遠くでカンカンする音を聞いて、確かにそうであると思った。そのまま帰って行き、首里の中山ではやっぱりそういうふうに話をしたそうだ。また、勝連の按司の所へ(中山の娘が嫁いで)いくのであれば大城大主を勝連按司の妻の見守りとして、お供として行かせてあった。やっぱり、このことを(勝連の按司は)分かっていたので、中山に嘘をついて中山を滅ぼした。中城の按司は、「これは、私は何も親に対抗しようという気持ちはない。正直、誠であるからして戦をすることはできない。」と、部下達も全員切腹し、按司も自ら切腹した。 また一番末の子、カミジューという護佐丸の子も殺そうとしたが、カミジューの乳母が、「殺すよりはこの子は私にもらわして下さい。」と言った。そして、その子をもらって裏の山道を通って逃げて行き、国吉ぬヒャーの屋取りで、このカミジューは育てられたという話である。そうして戦争は寄せてきたが、護佐丸は戦いもせずに自分で切腹して、妻や子供達も殺した。自分は、誠であるから戦争をすれば、自分の誠の心は分からないからということで戦わずに、切腹して亡くなった。そうしてこの世を終わったわけである。そこで、中山の戦大将は大城大主という人であるがこの戦大将がこれは阿麻和利の謀反であるから、今度は阿麻和利を許してはいけないということになった。それから逆に勝連に戦を寄せて行った。勝連の按司は、もう嘘をついているわけだから負けて、中山に勝連城を落とされて逃げていった。北谷へ逃げて、そこに来ている時に、そこでは昔、臼太鼓といって、みんな集まって踊りをするのがあったらしい。その時に、女の着物を奪って着けて、女に化けてみんなと一緒に踊りに出たので見つけることができなかった。そしてそこからも逃がしてしまって、大城大主はずっと追っているんだが、見失なって逃がしてしまった。今度は読谷山に逃げてきた。道で草刈りをしている人、草刈りしている人の蓑笠を奪い取ってかぶり、キビ畑の中に入り、それで目を騙した。やっぱり追われて、そういうふうに形を変えているが、こっちに居るのもあぶないと、楚辺の前の闘牛場、楚辺の戦前の闘牛場は、エンミノモーといってそこにあった。そこで阿麻和利は、殺されたという話であるわけだ。

再生時間:13:10

民話詳細DATA

レコード番号 47O372214
CD番号 47O37C096
決定題名 護佐丸と阿麻和利(シマグチ)
話者がつけた題名 護佐丸と阿麻和利
話者名 福地祭良
話者名かな ふくじさいりょう
生年月日 18941206
性別
出身地 沖縄県読谷村渡慶次
記録日 19840405
記録者の所属組織 読谷ゆうがおの会
元テープ番号 読谷村渡慶次T09A06
元テープ管理者 読谷村立歴史民俗資料館
分類 20
発句(ほっく)
伝承事情
文字化資料 読谷村民話資料集7渡慶次の民話 P148
キーワード 中山王,首里の王,北山,南山,中山,勝連城,中城城,護佐丸は忠臣,阿麻和利は悪臣,屋良の生まれ,蜘蛛,網,屋良のアマンジャナー,勝連の按司,与那原の浜,婿兄弟,中山の娘,山田城,座喜味城,鍛冶屋,西原ぬひゃー,カミジュー,エンミノモー
梗概(こうがい) (護佐丸は)本当は中山王であった。首里の王であったわけ。沖縄には、北山、南山、中山と三カ所あった。勝連城もあることはあったし、それから中城城もあった。護佐丸は忠臣で、誠な人であった。阿麻和利は、また悪臣で屋良の生まれであった。北谷屋良の生まれであったそうだ。阿麻和利が謀反を企んでいた。阿麻和利は、七歳まで大変体が弱く這うこともできなかったが、やっぱり頭はよかったわけだね。それで蜘蛛がこうして巣を作っているのを見て、網を作り出したのは阿麻和利である。屋良のアマンジャナー、勝連の按司と言われているのでね。そうして、蜘蛛が巣を作っているのを見て、網を考え出し、その網を、ただで漁師達にもらわしていた。そうすると、「それではいけない。貴方の恩義はどうして返せばよいでしょうか。」と言った。「私の恩義は今は返さなくてもいいから、私が何月何日にたいまつに火をつけて、与那原の浜に船共々こういうふうに突き出して、私が言う通りにさえすれば、恩義は返したということになるから、それでいいよ。」と言った。この漁師達、百姓達は、やっぱり網を作ってもらい、この網で魚を取って食べているでしょう。この恩義として阿麻和利の言う通りにしたようである。それから、この阿麻和利は勝連城に行った。前もってもう謀反を企んで、部下達も集めてあった。必ず勝連の按司を殺して、勝連の大将になってみせると。それで勝連では、もうこの百姓達に前で網等を作ってただであげていたので、何月何日に、与那原の浜に船と一緒に、たいまつをつけて集まりなさいと言ってあった。中山城からこの勝連城に、船で戦、夜、船で戦いを挑んでくるよと、勝連の按司に嘘をついた。この勝連の按司は本気にして、物見台に登った。前もって、この謀反、悪は企んでいるんだから。按司が物見台に登ると、与那原の浜はたいまつの火で、もう大変明るくなっていた。「これが言っているのは本当だね。」と、それを見ている時に、この按司は崖に突き落とされた。物見台から崖下に落とされたので、部下達も全員、対抗する人は殺されて、そうでない人はまた自分の味方にした。そしてまた、中山、首里城を滅ぼそうと企んでいたようだ。それから阿麻和利と、この護佐丸とは婿兄弟であった。中山の娘を妻にしていたが、阿麻和利はたぶん姉さんを妻にしていたようだ。また妹は、中城の護佐丸が妻にしていた。 この場合、護佐丸は、やっぱりこの城を築いたのから見ると、最初護佐丸は、山田城を築くために、準備をして石垣も積み始めていた。しかし、読谷村の座喜味城がいいということで、そこに山田城から、城に積んである石を集めて部下が手渡しで運んだ。昔はもう、担ごうとしても山道であるし難しいので、こういうふうにして手渡しで転がしながら運び、座喜味城は築いたという話であるわけだ。そうして、この阿麻和利が中山城を滅ぼそうと謀反を企んでいるという話を、護佐丸は少し耳にした。そうなると親に対抗するわけだから、これはそうさせてはいけないと考えた。そして中城からは勝連城を見渡すことができるので、戦を寄せて来るのも分かるということで、今度は座喜味城はこのまま捨ててしまわれた。そこで、中城城を造ろうとしている時であった。城壁はでき上がり家造りの場合に鍛冶屋を集めていた。〈昔は家を作る時に、今のように釘はないので、鍛冶屋の打った四角い釘、鍛冶屋の作っている釘を尖らして、昔はこれで打たれていたのである。〉だから、家造りするために、鍛冶屋とか石大工を集めていた。そうして家造りの真最中に、これはいい機会だと阿麻和利は、また中山に、「護佐丸は今首里城、この中山に謀反を企んで、戦争を寄せようと、昼も夜も戦の準備をしています。もう鍛冶屋を集めて鍛冶屋大工を集めて、もう準備に真っ最中であります。」と言った。家作りの最中であるから、実際には戦の準備ではなく、家を造っているのだが、いい口実だと嘘をついて、首里に上って行き、そういうふうに嘘をついたわけである。そうしたので、中山の按司はそこに使いの者をやった。「西原ぬひゃー」という部下達を使いに出した。この部下達は意地が弱くて遠く離れて、ただもう城の所まで行っただけで、詳しくは調べてはいなかった。やっぱり中城は高いので、遠くから見ていた。遠くでカンカンする音を聞いて、確かにそうであると思った。そのまま帰って行き、首里の中山ではやっぱりそういうふうに話をしたそうだ。また、勝連の按司の所へ(中山の娘が嫁いで)いくのであれば大城大主を勝連按司の妻の見守りとして、お供として行かせてあった。やっぱり、このことを(勝連の按司は)分かっていたので、中山に嘘をついて中山を滅ぼした。中城の按司は、「これは、私は何も親に対抗しようという気持ちはない。正直、誠であるからして戦をすることはできない。」と、部下達も全員切腹し、按司も自ら切腹した。 また一番末の子、カミジューという護佐丸の子も殺そうとしたが、カミジューの乳母が、「殺すよりはこの子は私にもらわして下さい。」と言った。そして、その子をもらって裏の山道を通って逃げて行き、国吉ぬヒャーの屋取りで、このカミジューは育てられたという話である。そうして戦争は寄せてきたが、護佐丸は戦いもせずに自分で切腹して、妻や子供達も殺した。自分は、誠であるから戦争をすれば、自分の誠の心は分からないからということで戦わずに、切腹して亡くなった。そうしてこの世を終わったわけである。そこで、中山の戦大将は大城大主という人であるがこの戦大将がこれは阿麻和利の謀反であるから、今度は阿麻和利を許してはいけないということになった。それから逆に勝連に戦を寄せて行った。勝連の按司は、もう嘘をついているわけだから負けて、中山に勝連城を落とされて逃げていった。北谷へ逃げて、そこに来ている時に、そこでは昔、臼太鼓といって、みんな集まって踊りをするのがあったらしい。その時に、女の着物を奪って着けて、女に化けてみんなと一緒に踊りに出たので見つけることができなかった。そしてそこからも逃がしてしまって、大城大主はずっと追っているんだが、見失なって逃がしてしまった。今度は読谷山に逃げてきた。道で草刈りをしている人、草刈りしている人の蓑笠を奪い取ってかぶり、キビ畑の中に入り、それで目を騙した。やっぱり追われて、そういうふうに形を変えているが、こっちに居るのもあぶないと、楚辺の前の闘牛場、楚辺の戦前の闘牛場は、エンミノモーといってそこにあった。そこで阿麻和利は、殺されたという話であるわけだ。
全体の記録時間数 13:10
物語の時間数 13:10
言語識別 方言
音源の質
テープ番号
予備項目1

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