喜屋武ミーぐゎー(方言)

概要

あまり昔の話ではない。自分が覚えている話である。喜屋武ミーぐゎーといって、沖繩でも有名な武士。喜屋武ミーぐゎーと本部サールーとは大変に評判になっている武士だった。その人については、自分もよく知っているが、元の比謝矼の南の橋の所に住んでいらした。その人の妻は屋良の人だった。屋良の娘だったが、その喜屋武ミー小というのは、私でもよく覚えていて、いまから四十年前の人なんです。四十年前まで生きていらした。お風呂にも一緒に入って、お風呂屋まで一緒になったが、見る目には、何も、体重でも、八十五、六斤はあるだろうか。また見た目にも、あまり肉も固くなく、やわやわと、すぐ見たところでは頑丈そうな人ではなかった。けれども、いざという時、(例えば)この武勇に出る場合は、丁度、あの読谷村の原山勝負といって、毎年役場前に集まって空手を披露する事があった。その際、腕を固くし、身体を硬直させる姿は丁度鉄のようで、不思議なくらい頑丈でいらした。その人の話だけど、以前、比謝矼で馬車引きをしていらした。馬車引きをしていたが、それで、馬車を引いて仕事をしていた。〈昔の米俵はかますに入っているでしょう。藁のかますに入っているのもあった。〉(ある日喜屋武ミー小は)その卸商に行って馬車に米を積みに行ったらしい。そうしたら、その折に、与那原の馬車引き達も一緒になった。〈あの、与那原というと、恐ろしい馬車引き達で、気の慌い人達のいる所である。〉そこで爺さんも、喜屋武ミー小爺さんも一緒になった。初めのうちは(喜屋武ミー小は)身長にしてもあまり大きな人ではなく、だいたい体重でも八十五斤、九十斤以内だから、平生は力がなく、その米を降ろすにもだいぶ手間が掛かり、ゆっくり行ったようだ。すると与那原の馬車引き達が、腹を立て、「くそ爺、後の方になりやがれ!、俺達から先に積むから。」どんどん自分の物から積もうとしたそうだ。自分の物から積もうとしたので、その、また、喜屋武の爺さんは癪にさわり、「君達はこんなにするのか。ここは順番があるのに、こんなにするのか!」と見ている前ですぐ米俵を前に置き足で蹴って、馬車に見る間に馬車のいっぱい積んであったそうだ。それで、「この人は恐ろしい力の或る人だ。」といって、もう、与那原の馬車引き達は、逃げたという、こわごわ走って逃げたという話がある。それから、また、この馬車を引く時、その馬の事ですが、馬は黒毛で、実際に私は見ましたので、分かりますよ。黒毛だが、黒毛の大変太った大きい馬で、元のジジャー馬がよ。じじゃー馬だけど、この馬は暴れ馬であるうえに、力持ちなので、〈その、元はサクワイ掛けというのがあってサクワイというのはこの〈馬の)後の尾を掛けるもの、これを掛けるのは〉容易に別の人には、その馬を扱うことができず。サクワイを掛ける事ができなかったそうだ。だけど、この爺さんが、喜屋武殿内には、平生ならよく掛けることができた。ある時に(喜屋武がサクワイを)掛けようとしたら、掛けられなくなってしまったので、喜屋武さんは、またすぐ馬の背中に飛び乗って、馬をヒーヒー言わせながらサクワイ掛けて鞍かけたという話である。それから、また以前の話だが、この奥さんを探した折に、その人は屋良の出で、屋良の人であった。元のその屋良の津波古での話だけど。(喜屋武ミーぐゎーが)屋良に忍んで行ってみると、屋良の青年達が奮い立って、「こいつは他所の村の女の元へ通っている。これは許せない。」といって屋良の村中の人達が集まって、喜屋武の武士を謀で持って皆で取り囲んだそうだ。(村人が)取り囲むと、)喜屋武ミーぐゎーは)支えをして、何かを支えにして、しまいにはその土手を支えにして(飛び上がって)しまった。大勢の村中の人たちは、もうこの人に向かって行く事は、誰にも出来なかった。そうして逃げようとしたので、逃げると、すかさず屋根へ、丁度飛ぶ鳥と同じように屋根から屋根へと、逃げて行ったという、その人(喜屋武ミー)は。 それからまた、そのたびにこの人の武勇を見ているが、板で、七分板を五枚、七枚ずつ重ねて、すぐ二つにも三つにもたたき割ったそうである。それは大変見事で、本当の達人だということは、その人の武勇を見て、大変恐れ入った。また青年達が、「人を食う武士だというから、どれくらいの力があるか。」と試した。普段は見たところ、頑丈そうでもないし、行く人かでふざげて、しばらくは天川坂でふざけていた。青年達がかかって来たので、すぐほおかぶりして(けんかを)仕掛けて来たが、たちまち喜屋武殿内に押さえつけられてしまった。 また、これは実際の話だが、自分の屋敷の隣に青年が店を営んでいた。青年が店をしていたのを私もよく知っているが。そうして、この屋敷の事で言い争いになって、喧嘩になったそうだ。喧嘩になるとこの青年が初め、すぐ喜屋武に仕掛けてきた。青年は力もあり、とっさに押し倒して、この喜屋武を押さえたそうだ。(この喜屋武を)押さえて負かした。押さえて勝ちはしたものの、その青年は一ヶ年ばかり過ぎてから、この世を去った。喜屋武は(負けて)下にはなったけれども(相手に)勝った。〈本当に達人というものは恐ろしいものであり、大変感心する。本当にもう、喜屋武という人は、話より以上にすごい達人であるということを察した。〉

再生時間:9:28

民話詳細DATA

レコード番号 47O370986
CD番号 47O37C044
決定題名 喜屋武ミーぐゎー(方言)
話者がつけた題名 喜屋武ミーぐゎー
話者名 松田信正
話者名かな まつだしんしょう
生年月日 18961027
性別
出身地 沖縄県読谷村伊良皆
記録日 19770223
記録者の所属組織 読谷村民話調査団第14班
元テープ番号 読谷村伊良皆T06A15
元テープ管理者 読谷村立歴史民俗資料館
分類 20
発句(ほっく)
伝承事情
文字化資料 読谷村民話資料集1伊良皆の民話 P192
キーワード 喜屋武ミーぐゎー,有名な武士,本部サールー,比謝矼,妻は屋良の人,体重は八十五、六斤,頑丈そうな人ではない,武勇,読谷村の原山勝負,空手を披露,腕を固く,身体を硬直,丁度鉄,馬車引き,米を積みに,与那原の馬車引き,米俵を足で蹴る,ジジャー馬,暴れ馬,力持ち,サクワイ,喜屋武殿内,七分板,天川坂
梗概(こうがい) あまり昔の話ではない。自分が覚えている話である。喜屋武ミーぐゎーといって、沖繩でも有名な武士。喜屋武ミーぐゎーと本部サールーとは大変に評判になっている武士だった。その人については、自分もよく知っているが、元の比謝矼の南の橋の所に住んでいらした。その人の妻は屋良の人だった。屋良の娘だったが、その喜屋武ミー小というのは、私でもよく覚えていて、いまから四十年前の人なんです。四十年前まで生きていらした。お風呂にも一緒に入って、お風呂屋まで一緒になったが、見る目には、何も、体重でも、八十五、六斤はあるだろうか。また見た目にも、あまり肉も固くなく、やわやわと、すぐ見たところでは頑丈そうな人ではなかった。けれども、いざという時、(例えば)この武勇に出る場合は、丁度、あの読谷村の原山勝負といって、毎年役場前に集まって空手を披露する事があった。その際、腕を固くし、身体を硬直させる姿は丁度鉄のようで、不思議なくらい頑丈でいらした。その人の話だけど、以前、比謝矼で馬車引きをしていらした。馬車引きをしていたが、それで、馬車を引いて仕事をしていた。〈昔の米俵はかますに入っているでしょう。藁のかますに入っているのもあった。〉(ある日喜屋武ミー小は)その卸商に行って馬車に米を積みに行ったらしい。そうしたら、その折に、与那原の馬車引き達も一緒になった。〈あの、与那原というと、恐ろしい馬車引き達で、気の慌い人達のいる所である。〉そこで爺さんも、喜屋武ミー小爺さんも一緒になった。初めのうちは(喜屋武ミー小は)身長にしてもあまり大きな人ではなく、だいたい体重でも八十五斤、九十斤以内だから、平生は力がなく、その米を降ろすにもだいぶ手間が掛かり、ゆっくり行ったようだ。すると与那原の馬車引き達が、腹を立て、「くそ爺、後の方になりやがれ!、俺達から先に積むから。」どんどん自分の物から積もうとしたそうだ。自分の物から積もうとしたので、その、また、喜屋武の爺さんは癪にさわり、「君達はこんなにするのか。ここは順番があるのに、こんなにするのか!」と見ている前ですぐ米俵を前に置き足で蹴って、馬車に見る間に馬車のいっぱい積んであったそうだ。それで、「この人は恐ろしい力の或る人だ。」といって、もう、与那原の馬車引き達は、逃げたという、こわごわ走って逃げたという話がある。それから、また、この馬車を引く時、その馬の事ですが、馬は黒毛で、実際に私は見ましたので、分かりますよ。黒毛だが、黒毛の大変太った大きい馬で、元のジジャー馬がよ。じじゃー馬だけど、この馬は暴れ馬であるうえに、力持ちなので、〈その、元はサクワイ掛けというのがあってサクワイというのはこの〈馬の)後の尾を掛けるもの、これを掛けるのは〉容易に別の人には、その馬を扱うことができず。サクワイを掛ける事ができなかったそうだ。だけど、この爺さんが、喜屋武殿内には、平生ならよく掛けることができた。ある時に(喜屋武がサクワイを)掛けようとしたら、掛けられなくなってしまったので、喜屋武さんは、またすぐ馬の背中に飛び乗って、馬をヒーヒー言わせながらサクワイ掛けて鞍かけたという話である。それから、また以前の話だが、この奥さんを探した折に、その人は屋良の出で、屋良の人であった。元のその屋良の津波古での話だけど。(喜屋武ミーぐゎーが)屋良に忍んで行ってみると、屋良の青年達が奮い立って、「こいつは他所の村の女の元へ通っている。これは許せない。」といって屋良の村中の人達が集まって、喜屋武の武士を謀で持って皆で取り囲んだそうだ。(村人が)取り囲むと、)喜屋武ミーぐゎーは)支えをして、何かを支えにして、しまいにはその土手を支えにして(飛び上がって)しまった。大勢の村中の人たちは、もうこの人に向かって行く事は、誰にも出来なかった。そうして逃げようとしたので、逃げると、すかさず屋根へ、丁度飛ぶ鳥と同じように屋根から屋根へと、逃げて行ったという、その人(喜屋武ミー)は。 それからまた、そのたびにこの人の武勇を見ているが、板で、七分板を五枚、七枚ずつ重ねて、すぐ二つにも三つにもたたき割ったそうである。それは大変見事で、本当の達人だということは、その人の武勇を見て、大変恐れ入った。また青年達が、「人を食う武士だというから、どれくらいの力があるか。」と試した。普段は見たところ、頑丈そうでもないし、行く人かでふざげて、しばらくは天川坂でふざけていた。青年達がかかって来たので、すぐほおかぶりして(けんかを)仕掛けて来たが、たちまち喜屋武殿内に押さえつけられてしまった。 また、これは実際の話だが、自分の屋敷の隣に青年が店を営んでいた。青年が店をしていたのを私もよく知っているが。そうして、この屋敷の事で言い争いになって、喧嘩になったそうだ。喧嘩になるとこの青年が初め、すぐ喜屋武に仕掛けてきた。青年は力もあり、とっさに押し倒して、この喜屋武を押さえたそうだ。(この喜屋武を)押さえて負かした。押さえて勝ちはしたものの、その青年は一ヶ年ばかり過ぎてから、この世を去った。喜屋武は(負けて)下にはなったけれども(相手に)勝った。〈本当に達人というものは恐ろしいものであり、大変感心する。本当にもう、喜屋武という人は、話より以上にすごい達人であるということを察した。〉
全体の記録時間数 9:28
物語の時間数 9:28
言語識別 方言
音源の質
テープ番号
予備項目1

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