吉屋チルー(方言)

概要

昔、吉屋チルーというジュリがいたようだが、その吉屋チルーは読谷の生まれだともいわれている。昔は山田まで読谷村の範囲だったので、山田あたりの生まれであったのか分らないが。「恨めしい比謝橋は誰が架けたのだろうか 無情の人が架けておいたのであろうか。」と、私が小さい頃、そのような歌を聞いたことがある。それからジュリ売りされたんだがね、またチルーが幼ない頃、家でのことだが、セミがかまきりにつかまってジャージャー鳴いたらね、その吉屋チルーは、「鳴かなくてもいいよセミ 喰うつもりではなく かわいそうに思って 抱いてみただけだよ。」と言うと、そのときに(かまきりは)セミを離したので、それも飛んで行くことができたという話もあるがね。〈昔、タマガーギーというのがあって、私達はその実をもぎとって、針を通し玉飾りを作り、首にかけて遊んだものだ。〉そのように玉飾りを作っているときに、糸が切れてしまった。切れたので吉屋チルーは、「黒染めの糸が 今切れると思えば 百八の玉も通すことはなかったのに。」と、歌を詠んだ。その玉は百八個あったそうだ。それで玉飾りというものは、ほとんど百八個の玉でできているそうだ。それからまた、吉屋は、皆のように遊びにも出て、辻においてもたいへんすばらしいジュリだったという話であった。ある時のこと、チルーが親のもとへ帰る途中、多幸山を通るとき、多幸山フェーレーがいた。そのフェーレーは牛を盗んできて、山の中につないであった。そしてチルーがきたのでからかってやろうと思った。すると、吉屋は、「島もしいんとして静かで 風もかすかにそよぎ つながれた牛も寂しさに耐えかねて鳴くであろう。」と歌を詠んだので、そのときに牛は、ンモーと鳴いた。それで、吉屋をからかおうとした盗人は捕えられたという話である。

再生時間:3:15

民話詳細DATA

レコード番号 47O370774
CD番号 47O37C035
決定題名 吉屋チルー(方言)
話者がつけた題名 吉屋チルー
話者名 神谷カマド
話者名かな かみやかまど
生年月日 19020608
性別
出身地 沖縄県読谷村瀬名波
記録日 19810425
記録者の所属組織 読谷ゆうがおの会
元テープ番号 読谷村瀬名波T10B01
元テープ管理者 読谷村立歴史民俗資料館
分類 20
発句(ほっく) んかし
伝承事情
文字化資料 読谷村民話資料集4瀬名波の民話 P274
キーワード 吉屋チルー,ジュリ,読谷,山田,比謝橋,セミ,かまきり,タマガーギー,玉飾り,百八の玉,辻,多幸山フェーレー,牛泥棒
梗概(こうがい) 昔、吉屋チルーというジュリがいたようだが、その吉屋チルーは読谷の生まれだともいわれている。昔は山田まで読谷村の範囲だったので、山田あたりの生まれであったのか分らないが。「恨めしい比謝橋は誰が架けたのだろうか 無情の人が架けておいたのであろうか。」と、私が小さい頃、そのような歌を聞いたことがある。それからジュリ売りされたんだがね、またチルーが幼ない頃、家でのことだが、セミがかまきりにつかまってジャージャー鳴いたらね、その吉屋チルーは、「鳴かなくてもいいよセミ 喰うつもりではなく かわいそうに思って 抱いてみただけだよ。」と言うと、そのときに(かまきりは)セミを離したので、それも飛んで行くことができたという話もあるがね。〈昔、タマガーギーというのがあって、私達はその実をもぎとって、針を通し玉飾りを作り、首にかけて遊んだものだ。〉そのように玉飾りを作っているときに、糸が切れてしまった。切れたので吉屋チルーは、「黒染めの糸が 今切れると思えば 百八の玉も通すことはなかったのに。」と、歌を詠んだ。その玉は百八個あったそうだ。それで玉飾りというものは、ほとんど百八個の玉でできているそうだ。それからまた、吉屋は、皆のように遊びにも出て、辻においてもたいへんすばらしいジュリだったという話であった。ある時のこと、チルーが親のもとへ帰る途中、多幸山を通るとき、多幸山フェーレーがいた。そのフェーレーは牛を盗んできて、山の中につないであった。そしてチルーがきたのでからかってやろうと思った。すると、吉屋は、「島もしいんとして静かで 風もかすかにそよぎ つながれた牛も寂しさに耐えかねて鳴くであろう。」と歌を詠んだので、そのときに牛は、ンモーと鳴いた。それで、吉屋をからかおうとした盗人は捕えられたという話である。
全体の記録時間数 3:15
物語の時間数 3:15
言語識別 方言
音源の質
テープ番号
予備項目1

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