多幸山フェーレー 歌い骸骨(方言)

概要

(多幸山)フェーレーの話だがね。ウシクビリといって、そこで、子供の頃山を歩くときに聞いた話だがね。〈健在だとしたら、百歳になられる人から、歌を歌いながら一緒によく歩いたものだ。〉、その多幸山に行くとき、歌を歌ってくれた。その人から教えてもらった話だが、私が、「歌の意味を教えて下さい。」とその人に言ったら、わけを話してくれた。それは、フェーレーが向こうから来ると、道から通る人をフェーレーが捕え、殺し、田の側へ投げ捨てていた。田の側へ投げ捨てられているのだが、それを誰も見る人もいない、気づく人もいなかった。頭蓋骨になるまで、地面にあったようだね。地面に田のあぜに、山の側の田にあったようだ。それが、その頭蓋骨の下から竹の子が生えてきて、頭蓋骨を上にのし上げていった。天井くらいの高さまで上げていたようだ。上がっていったので、もう道ゆく人が見えるくらいになっていた。すると、「穀雨風が吹くと 頭がいたいよ。」と、その頭蓋骨が歌を歌ったようだ。「人里は恋しいけれども 自由にできない。」と、また聞こえてきた。そこへ、その田の主人が、その広大な田の主人が来て、「あれ、どこかで歌を歌っているようだが。」と、思ってみても、助けようとはしなかった。(今度は)その田の主人に雇われている下男が、田まわりをしにやって来た。その下男が、「あれ、歌が聞こえるようだが。」と、見上げてみると、なるほど、こんな山奥で、フェーレーに殺され投げ捨てられた頭蓋骨があった。本当にこの頭蓋骨が歌っているのかと思い、「もう一度聞かしてくれ。」と、下男が言った。その田の主人は波平の人であったそうだが、田は、ずうっと遠い多幸山の近くにあった。そこに、頭蓋骨が天井にのし上げられて、こう風に吹かれてゆらゆらゆれ、髪も痛そうだった。さも、「髪が引っぱられ痛いよ、助けてくれ。」と、いっているようである。しかし、田の主人は、その様子を見て気づいてはいたが、助けようとはしなかった。そこに雇われている下男は、顔を上げ(竹の先の方を)見て、頭蓋骨を助けようと考えた。そしてのこぎりを持って来て、その竹を切り、竹の先から頭蓋骨をとりおろして、そこに葬むった。するとその葬むった恩義として、その下男が作った米は、主人が田まわりに来たら全然なくて、穂も上がらなかったそうだが、頭蓋骨を助けてあげた下男が来ると、とてもよく実り、その田の米は豊作だったそうだ。実ったわけは、「私に何の恩返しができようか、お前が一生涯幸福に暮らせるよう、私が守ってやる。これが私にできる恩返しだ。」と、その葬むってあげた頭蓋骨が言った。「お前が一生涯、また子孫の代までも、助けてくれた恩義として幸福に暮らせるようにする。」と、また言った。主人が田まわりにやって来ても、田には何にもない、穂も上がらなかった。また、下男が来ると、よく実っていた。そして、主人が、「今年の米はなんにもできないので、刈りて馬に喰わすといい。」と、雇っている下男に言い付けた。「変だなあ、私が行くとあんなに実っているのに。」と、思ってみても、主人が行くと全然、穂は一つも上がっていないわけだから。そんなわけで、「何の恩返しができようか、お前が一生涯幸福で、子孫の代までも豊かに暮らせるようにするから、これが私の恩返しと思いなさい。」と、いわれていたので、その悪として、よく実った穂を下男は与えられた。また、田の主人は何もかもなくなり、ほとんどその下男のものになったという話だ。それから、多幸山のフェーレーの話だが、フェーレーは、道行く人が近づくと、こう着物包みを頭にのせて歩くと、それを(上から)ひっかけて捕え、すぐに殺し、イシクビリに投げ捨てた。そこを通るときにはフェーレーに捕まえられると大変だということで‥‥。  多幸山にフェーレーがいるぞ 喜名番所に泊まろうか、「女だてらに番所に泊まるか 急げ急げ島をめざして。」と、歌を歌いながら、そこを通ったものだ。〈私は九十歳になるが、今、生きていらしたら百歳余まりのおばあさんと一緒に多幸山を歩くときに歌い、またその意味を聞いて覚えているんだよ。〉また、そこはクチャラベー山とも言われていて、「穀雨風が吹くと 頭がいたいよ 人里は恋しいけれども‥‥。」山を見て、珍しくはするけれども、私を助けてくれる人はいない、というわけだったんだね。

再生時間:5:23

民話詳細DATA

レコード番号 47O370753
CD番号 47O37C035
決定題名 多幸山フェーレー 歌い骸骨(方言)
話者がつけた題名 多幸山フェーレー
話者名 儀保ナビ
話者名かな ぎぼなび
生年月日 18920415
性別
出身地 沖縄県読谷村瀬名波
記録日 19810425
記録者の所属組織 読谷ゆうがおの会
元テープ番号 読谷村瀬名波T10A02
元テープ管理者 読谷村立歴史民俗資料館
分類 20
発句(ほっく)
伝承事情
文字化資料 読谷村民話資料集4瀬名波の民話 P260
キーワード フェーレー,ウシクビリ,多幸山,人を殺す,田の側へ投げ捨てていた,頭蓋骨,田,竹の子,穀雨風が吹くと頭がいたい,頭蓋骨が歌を歌った,下男,主人は波平の人,葬むった恩義,豊作,多幸山のフェーレー,喜名番所
梗概(こうがい) (多幸山)フェーレーの話だがね。ウシクビリといって、そこで、子供の頃山を歩くときに聞いた話だがね。〈健在だとしたら、百歳になられる人から、歌を歌いながら一緒によく歩いたものだ。〉、その多幸山に行くとき、歌を歌ってくれた。その人から教えてもらった話だが、私が、「歌の意味を教えて下さい。」とその人に言ったら、わけを話してくれた。それは、フェーレーが向こうから来ると、道から通る人をフェーレーが捕え、殺し、田の側へ投げ捨てていた。田の側へ投げ捨てられているのだが、それを誰も見る人もいない、気づく人もいなかった。頭蓋骨になるまで、地面にあったようだね。地面に田のあぜに、山の側の田にあったようだ。それが、その頭蓋骨の下から竹の子が生えてきて、頭蓋骨を上にのし上げていった。天井くらいの高さまで上げていたようだ。上がっていったので、もう道ゆく人が見えるくらいになっていた。すると、「穀雨風が吹くと 頭がいたいよ。」と、その頭蓋骨が歌を歌ったようだ。「人里は恋しいけれども 自由にできない。」と、また聞こえてきた。そこへ、その田の主人が、その広大な田の主人が来て、「あれ、どこかで歌を歌っているようだが。」と、思ってみても、助けようとはしなかった。(今度は)その田の主人に雇われている下男が、田まわりをしにやって来た。その下男が、「あれ、歌が聞こえるようだが。」と、見上げてみると、なるほど、こんな山奥で、フェーレーに殺され投げ捨てられた頭蓋骨があった。本当にこの頭蓋骨が歌っているのかと思い、「もう一度聞かしてくれ。」と、下男が言った。その田の主人は波平の人であったそうだが、田は、ずうっと遠い多幸山の近くにあった。そこに、頭蓋骨が天井にのし上げられて、こう風に吹かれてゆらゆらゆれ、髪も痛そうだった。さも、「髪が引っぱられ痛いよ、助けてくれ。」と、いっているようである。しかし、田の主人は、その様子を見て気づいてはいたが、助けようとはしなかった。そこに雇われている下男は、顔を上げ(竹の先の方を)見て、頭蓋骨を助けようと考えた。そしてのこぎりを持って来て、その竹を切り、竹の先から頭蓋骨をとりおろして、そこに葬むった。するとその葬むった恩義として、その下男が作った米は、主人が田まわりに来たら全然なくて、穂も上がらなかったそうだが、頭蓋骨を助けてあげた下男が来ると、とてもよく実り、その田の米は豊作だったそうだ。実ったわけは、「私に何の恩返しができようか、お前が一生涯幸福に暮らせるよう、私が守ってやる。これが私にできる恩返しだ。」と、その葬むってあげた頭蓋骨が言った。「お前が一生涯、また子孫の代までも、助けてくれた恩義として幸福に暮らせるようにする。」と、また言った。主人が田まわりにやって来ても、田には何にもない、穂も上がらなかった。また、下男が来ると、よく実っていた。そして、主人が、「今年の米はなんにもできないので、刈りて馬に喰わすといい。」と、雇っている下男に言い付けた。「変だなあ、私が行くとあんなに実っているのに。」と、思ってみても、主人が行くと全然、穂は一つも上がっていないわけだから。そんなわけで、「何の恩返しができようか、お前が一生涯幸福で、子孫の代までも豊かに暮らせるようにするから、これが私の恩返しと思いなさい。」と、いわれていたので、その悪として、よく実った穂を下男は与えられた。また、田の主人は何もかもなくなり、ほとんどその下男のものになったという話だ。それから、多幸山のフェーレーの話だが、フェーレーは、道行く人が近づくと、こう着物包みを頭にのせて歩くと、それを(上から)ひっかけて捕え、すぐに殺し、イシクビリに投げ捨てた。そこを通るときにはフェーレーに捕まえられると大変だということで‥‥。  多幸山にフェーレーがいるぞ 喜名番所に泊まろうか、「女だてらに番所に泊まるか 急げ急げ島をめざして。」と、歌を歌いながら、そこを通ったものだ。〈私は九十歳になるが、今、生きていらしたら百歳余まりのおばあさんと一緒に多幸山を歩くときに歌い、またその意味を聞いて覚えているんだよ。〉また、そこはクチャラベー山とも言われていて、「穀雨風が吹くと 頭がいたいよ 人里は恋しいけれども‥‥。」山を見て、珍しくはするけれども、私を助けてくれる人はいない、というわけだったんだね。
全体の記録時間数 5:23
物語の時間数 5:23
言語識別 方言
音源の質
テープ番号
予備項目1

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