楚辺の赤犬子(方言)

概要

これは、楚辺の赤犬子の話だがね。楚辺の赤犬子の話は、赤犬の子なんだけど、これは、読谷楚辺にあった話だが、楚辺暗川を探したのもこの犬が探したということだ。どういうことかというと、この女というのは、結婚はしたが、夫の家から実家に戻って来て、親と一緒に暮らしていた。この赤犬は、どこにでも連れて行き、言わば、自分の番犬としてさ。番犬のつもりが、いつの間にか情が移ってしまい、夫のようなものになっていた。それから、水汲みに行った時のことだが、楚辺部落では、井戸を掘っても水が出なかった。それで、伊良皆に水汲みに行っていたんだがね。そこへ行く途中に、楚辺暗川といって、岩のずっと奥の方に泉があるが、そこへ、犬がどんどん先に行って、そこで水浴びしてずぶ濡れになって来た。「これは、赤犬が水浴びをして来るところを見ると、その辺に水があるのでは。」と思った。この赤犬が探してくれたのが現在の楚辺暗川である。それからは、楚辺はそこで水を汲むようになった。そのうちに、女は犬と密通してしまったので、楚辺には住めなくなり、東の島に逃げた。東の島というのは、浜比嘉島、平安座島か伊計島、宮城島かはっきり分らないがそこで暮らしたようだ。女が赤犬と密通して子どもを生み東の島で暮らしていたようだが、また元の家に帰って来た。すると、「あなたが、子どもを産んでくれて有難く思うよ。お祝いは家で催そうか。」と言った。この犬というのは、犬ではなく、確かに何かの神ではなかったかといわれている。お祝いの日には、この犬は外へおいていて、女は家の内に入って、赤ん坊と一緒に出産祝いをしたようだ。その犬は、赤ちゃんの父親として、お祝いも終えたようだ。それ以来、この女が生んだ子どもが赤犬子とされ、現在の赤犬子の宮に祀られている。その赤犬子という人はあちらこちらの村々をめぐり歩き、そして赤犬子が三味線を初めて作った。それには歌もあるが。「昔 歌 三味線は 赤犬子様がおつくりになった。」この母親は「他の人々は働いて野菜も作り、あのように食べることもできるのに。おまえというものは、いつも朝から晩まで三味線ばかり弾いて。それではいけないでしょう。」と言った。すると赤犬子は「それでは、私が野菜を沢山つくるから、お母さんはそれを取って食べなさいね。」と言った。彼が作った野菜というのは野ビルだった。この赤犬子が野ビルの種子を蒔いて広めたので、野ビルの出所は楚辺だということになった。野ビルとこの紫カタバミは持ち込まれた理由は似ているようである。ムラサキカタバミは花木として他国から持って来て首里汀良で作ったようだ。ムラサキカタバミには、別名、スイテーラグサ(首里汀良草)とも言うようだ。野ビルを最初に楚辺に持って来たのは赤犬子である。野菜を欲しがるので、「それでは沢山つくるから取って食べなさい。」とすすめた。野ビルは楚辺の赤犬子によって広められた。

再生時間:4:55

民話詳細DATA

レコード番号 47O370518
CD番号 47O37C024
決定題名 楚辺の赤犬子(方言)
話者がつけた題名 楚辺の赤犬子
話者名 屋良朝助
話者名かな やらちょうすけ
生年月日 19070608
性別
出身地 沖縄県読谷村瀬名波
記録日 19461114
記録者の所属組織 読谷村民話調査団第3班
元テープ番号 読谷村瀬名波T02A11
元テープ管理者 読谷村立歴史民俗資料館
分類 20
発句(ほっく)
伝承事情
文字化資料 読谷村民話資料集4瀬名波の民話 P204
キーワード 楚辺の赤犬子,楚辺暗川,伊良皆に水汲み,犬が水浴び赤犬が発見,女が犬と密通,東の島に逃げた,浜比嘉島,平安座島,伊計島,宮城島,神,赤犬子宮,三味線,ネービル,紫カタバミ,首里汀良
梗概(こうがい) これは、楚辺の赤犬子の話だがね。楚辺の赤犬子の話は、赤犬の子なんだけど、これは、読谷楚辺にあった話だが、楚辺暗川を探したのもこの犬が探したということだ。どういうことかというと、この女というのは、結婚はしたが、夫の家から実家に戻って来て、親と一緒に暮らしていた。この赤犬は、どこにでも連れて行き、言わば、自分の番犬としてさ。番犬のつもりが、いつの間にか情が移ってしまい、夫のようなものになっていた。それから、水汲みに行った時のことだが、楚辺部落では、井戸を掘っても水が出なかった。それで、伊良皆に水汲みに行っていたんだがね。そこへ行く途中に、楚辺暗川といって、岩のずっと奥の方に泉があるが、そこへ、犬がどんどん先に行って、そこで水浴びしてずぶ濡れになって来た。「これは、赤犬が水浴びをして来るところを見ると、その辺に水があるのでは。」と思った。この赤犬が探してくれたのが現在の楚辺暗川である。それからは、楚辺はそこで水を汲むようになった。そのうちに、女は犬と密通してしまったので、楚辺には住めなくなり、東の島に逃げた。東の島というのは、浜比嘉島、平安座島か伊計島、宮城島かはっきり分らないがそこで暮らしたようだ。女が赤犬と密通して子どもを生み東の島で暮らしていたようだが、また元の家に帰って来た。すると、「あなたが、子どもを産んでくれて有難く思うよ。お祝いは家で催そうか。」と言った。この犬というのは、犬ではなく、確かに何かの神ではなかったかといわれている。お祝いの日には、この犬は外へおいていて、女は家の内に入って、赤ん坊と一緒に出産祝いをしたようだ。その犬は、赤ちゃんの父親として、お祝いも終えたようだ。それ以来、この女が生んだ子どもが赤犬子とされ、現在の赤犬子の宮に祀られている。その赤犬子という人はあちらこちらの村々をめぐり歩き、そして赤犬子が三味線を初めて作った。それには歌もあるが。「昔 歌 三味線は 赤犬子様がおつくりになった。」この母親は「他の人々は働いて野菜も作り、あのように食べることもできるのに。おまえというものは、いつも朝から晩まで三味線ばかり弾いて。それではいけないでしょう。」と言った。すると赤犬子は「それでは、私が野菜を沢山つくるから、お母さんはそれを取って食べなさいね。」と言った。彼が作った野菜というのは野ビルだった。この赤犬子が野ビルの種子を蒔いて広めたので、野ビルの出所は楚辺だということになった。野ビルとこの紫カタバミは持ち込まれた理由は似ているようである。ムラサキカタバミは花木として他国から持って来て首里汀良で作ったようだ。ムラサキカタバミには、別名、スイテーラグサ(首里汀良草)とも言うようだ。野ビルを最初に楚辺に持って来たのは赤犬子である。野菜を欲しがるので、「それでは沢山つくるから取って食べなさい。」とすすめた。野ビルは楚辺の赤犬子によって広められた。
全体の記録時間数 4:55
物語の時間数 4:55
言語識別 方言
音源の質
テープ番号
予備項目1

トップに戻る

TOP