阿麻和利(方言)

概要

この阿麻和利は、幼い項とても体がひよわで、七歳になってから歩き出したという話がある。その頃まで外に出ることもできず、他の子供達と一緒に遊ぶこともできなかった。毎日、自分ひとりで淋しく暮らしていたようだ。ある時のこと、芭蕉の木が茂っている所に座っていると、蜘蛛が巣を作るありさまを見て、「これは、何か役にたちそうだ。」と考え始めた。それから、考え出したのが、海で使う網を作ったわけだ。成長した阿麻和利は、「仲間を集めることが第一だ。」「御万人のためにすることが第一だ。」と考えて、毎日、海へ行って魚を獲り、御万人に分け与え、いつも人々から喜ばれていた。このように阿麻和利は、普段から、御万人のためを思っていた。そしてまた、御万人からも、その行いを見込まれていた。阿麻和利は、「何かことが起これば、この仲間を利用しよう。」と、ある企みをした。勝連の阿麻和利は、国王の婿になった。昔から、ムークアマンジャナーと言って、知恵が働き、賢い人にはアマンジャナーのようだという言葉がある。阿麻和利は、いつの日か首里城を攻め滅ぼし、琉球国王になりたいと、悪企みをした。その計画において、中城護佐丸は、邪魔な存在であり、憎らしく思っていた。ある時、謀い企み、「中城の護佐丸は、常に武勇の稽古をしている。いつかは、首里城に押し寄せて来ることは間違いありません。」と、国王へ報告した。 それ以来、首里城では、中城へ使いの者を行かせ、色々と偵察した。やはり、護佐丸は朝夕、武勇の稽古をしていることに間違いなかった。しかし、これは何かを企んでの武勇の稽古ではなく、普段からの武士としてのたしなみのためであった。そして、このようすを見た首里城からの使者は、「阿麻和利の言うことに間違いありません。今の状態では、護佐丸はいつ、首里城へ戦いを押し寄せて来るかわからない。」と報告した。これを合点した国王は、さっそく阿麻和利を戦大将にして、中城の護佐丸を攻略することにさせた。その時、普段から、魚を獲って分け食べさせた仲間を集めて、夜中に、松明をつけ中城城を押し攻めようとした。このことを知らない護佐丸は、「何事だろう。」と思って、物見やぐらから見降ろしてみると、国王の旗印が立っているのがみえた。忠臣護佐丸とまで言われている人なので、自ら国王へ弓を放つことはできないと思い、阿麻和利に攻められ、阿麻和利の手にかけられて死ぬよりはと、護佐丸は、切腹なさって世を失ったと、いう話がある。それから、阿麻和利は、人民、御万人の為につくしてこられた。悪者ではない、とても良い人であったと言われている。そのかわり、護佐丸は悪かったのでは、と色々と意見が対立している。今になってまでも、どちらが良かったか、区別することはむつかしい。

再生時間:1:30

民話詳細DATA

レコード番号 47O370463
CD番号 47O37C022
決定題名 阿麻和利(方言)
話者がつけた題名 阿麻和利
話者名 長浜真一
話者名かな ながはましんいち
生年月日 19101012
性別
出身地 沖縄県読谷村長浜
記録日 19810221
記録者の所属組織 読谷ゆうがおの会
元テープ番号 読谷村長浜T12B03
元テープ管理者 読谷村立歴史民俗資料館
分類 20
発句(ほっく)
伝承事情
文字化資料 読谷村民話資料集3長浜の民話 P203
キーワード 阿麻和利,幼い項とても体がひよわ,七歳に歩き出した,芭蕉の木,蜘蛛が巣を作る,網を作った,魚を獲り御万人に分け与えた,勝連の阿麻和利,国王の婿,ムークアマンジャナー,首里城を滅ぼす,琉球国王,悪企み,中城護佐丸は邪魔な存在,首里城に押し寄せる,松明,護佐丸は切腹
梗概(こうがい) この阿麻和利は、幼い項とても体がひよわで、七歳になってから歩き出したという話がある。その頃まで外に出ることもできず、他の子供達と一緒に遊ぶこともできなかった。毎日、自分ひとりで淋しく暮らしていたようだ。ある時のこと、芭蕉の木が茂っている所に座っていると、蜘蛛が巣を作るありさまを見て、「これは、何か役にたちそうだ。」と考え始めた。それから、考え出したのが、海で使う網を作ったわけだ。成長した阿麻和利は、「仲間を集めることが第一だ。」「御万人のためにすることが第一だ。」と考えて、毎日、海へ行って魚を獲り、御万人に分け与え、いつも人々から喜ばれていた。このように阿麻和利は、普段から、御万人のためを思っていた。そしてまた、御万人からも、その行いを見込まれていた。阿麻和利は、「何かことが起これば、この仲間を利用しよう。」と、ある企みをした。勝連の阿麻和利は、国王の婿になった。昔から、ムークアマンジャナーと言って、知恵が働き、賢い人にはアマンジャナーのようだという言葉がある。阿麻和利は、いつの日か首里城を攻め滅ぼし、琉球国王になりたいと、悪企みをした。その計画において、中城護佐丸は、邪魔な存在であり、憎らしく思っていた。ある時、謀い企み、「中城の護佐丸は、常に武勇の稽古をしている。いつかは、首里城に押し寄せて来ることは間違いありません。」と、国王へ報告した。 それ以来、首里城では、中城へ使いの者を行かせ、色々と偵察した。やはり、護佐丸は朝夕、武勇の稽古をしていることに間違いなかった。しかし、これは何かを企んでの武勇の稽古ではなく、普段からの武士としてのたしなみのためであった。そして、このようすを見た首里城からの使者は、「阿麻和利の言うことに間違いありません。今の状態では、護佐丸はいつ、首里城へ戦いを押し寄せて来るかわからない。」と報告した。これを合点した国王は、さっそく阿麻和利を戦大将にして、中城の護佐丸を攻略することにさせた。その時、普段から、魚を獲って分け食べさせた仲間を集めて、夜中に、松明をつけ中城城を押し攻めようとした。このことを知らない護佐丸は、「何事だろう。」と思って、物見やぐらから見降ろしてみると、国王の旗印が立っているのがみえた。忠臣護佐丸とまで言われている人なので、自ら国王へ弓を放つことはできないと思い、阿麻和利に攻められ、阿麻和利の手にかけられて死ぬよりはと、護佐丸は、切腹なさって世を失ったと、いう話がある。それから、阿麻和利は、人民、御万人の為につくしてこられた。悪者ではない、とても良い人であったと言われている。そのかわり、護佐丸は悪かったのでは、と色々と意見が対立している。今になってまでも、どちらが良かったか、区別することはむつかしい。
全体の記録時間数 1:30
物語の時間数 1:30
言語識別 方言
音源の質
テープ番号
予備項目1

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