百姓の恩人伊平屋美留ンメー(方言)

概要

伊平屋美留ンーメーの祖先は西上地家にまつられているが、もともとは儀間からいらしたといふうに話は聞いていますが。この伊平屋美留ンーメー、どうして伊平屋美留ンーメーと、名が付いたかということである。現在、長浜部落東方にある宇加地との境にある川、そこの堤防積みのとき、読谷山按司が、「百姓は月の二十日間は、堤防積みの仕事に出なさい。」と命令を出した。そこで、伊平屋美留ンーメーは、「百姓が二十日もこの仕事に出たら食っていけない。」と断わった。「どうして、どういう理由があって私の命令にそむくか。」と読谷山按司は言った。「どういうことであってもそれはできません。」とかたくなに断わった。そのことが国王の耳にはいり、国王様としては、「それは上地の言う通り、百姓も自分の生活をしながら仕事もせねばならないのでその通りにしなさい。」とおっしゃった。そして、読谷山按司は島流しにされた。そのとき、伊平屋美留ンーメーは、「自分の主人が島流しにされたので、自分だけここにとどまっていることはできない。」と言って、現在の美留港から夜中、舟に乗って伊平屋島に行ったそうだ。そういうわけで、美留港から出て、伊平屋に着いたので伊平屋美留ンーメーと名が付いたということである。いまでも伊平屋に、伊平屋美留ンーメーの血筋ではないが、とにかくあそこで生まれた女の人からの子孫がいるようだ。ときどきこの長浜にも拝みやら、あれこれしにいらっしゃる時がある。伊平屋美留ンーメーというのは、私たちの長浜では百姓の恩人というふうに伝えられているわけです。

再生時間:3:20

民話詳細DATA

レコード番号 47O370443
CD番号 47O37C021
決定題名 百姓の恩人伊平屋美留ンメー(方言)
話者がつけた題名 イハビルウンメー
話者名 長浜真一
話者名かな ながはましんいち
生年月日 19101012
性別
出身地 沖縄県読谷村長浜
記録日 19810219
記録者の所属組織 読谷ゆうがおの会
元テープ番号 読谷村長浜T11B07
元テープ管理者 読谷村立歴史民俗資料館
分類 20
発句(ほっく)
伝承事情
文字化資料 読谷村民話資料集3長浜の民話 P272
キーワード 伊平屋美留ンーメーの祖先は西上地家に祭られている,元は儀間から来た,長浜部落東方,宇加地の境にある川,堤防積み,読谷山按司,百姓は月の二十日は堤防積みの仕事に出なさいと命令,伊平屋美留ンーメーは断わった,読谷山按司は島流し,美留港,伊平屋島に,長浜では百姓の恩人
梗概(こうがい) 伊平屋美留ンーメーの祖先は西上地家にまつられているが、もともとは儀間からいらしたといふうに話は聞いていますが。この伊平屋美留ンーメー、どうして伊平屋美留ンーメーと、名が付いたかということである。現在、長浜部落東方にある宇加地との境にある川、そこの堤防積みのとき、読谷山按司が、「百姓は月の二十日間は、堤防積みの仕事に出なさい。」と命令を出した。そこで、伊平屋美留ンーメーは、「百姓が二十日もこの仕事に出たら食っていけない。」と断わった。「どうして、どういう理由があって私の命令にそむくか。」と読谷山按司は言った。「どういうことであってもそれはできません。」とかたくなに断わった。そのことが国王の耳にはいり、国王様としては、「それは上地の言う通り、百姓も自分の生活をしながら仕事もせねばならないのでその通りにしなさい。」とおっしゃった。そして、読谷山按司は島流しにされた。そのとき、伊平屋美留ンーメーは、「自分の主人が島流しにされたので、自分だけここにとどまっていることはできない。」と言って、現在の美留港から夜中、舟に乗って伊平屋島に行ったそうだ。そういうわけで、美留港から出て、伊平屋に着いたので伊平屋美留ンーメーと名が付いたということである。いまでも伊平屋に、伊平屋美留ンーメーの血筋ではないが、とにかくあそこで生まれた女の人からの子孫がいるようだ。ときどきこの長浜にも拝みやら、あれこれしにいらっしゃる時がある。伊平屋美留ンーメーというのは、私たちの長浜では百姓の恩人というふうに伝えられているわけです。
全体の記録時間数 3:20
物語の時間数 3:20
言語識別 方言
音源の質
テープ番号
予備項目1

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