藁しべ長者(方言)

わらしべちょうじゃ(ほうげん)

概要

昔、佐敷の小按司という按司が居られたそうだ。その按司加那志は、親の譲りを取りたがっていた。女親の育てであったが、母親は、また財産はなく、藁一本があった。母親が、「あなたは、譲りを取りたるが譲りというのはこれだから、早く、取りなさい。」と言った。すると「どうも有難うございます。」と藁一本を拝み取りした。「もう親の譲りを取ってしまった。」と安心した。それから、味噌屋へ行って、味噌屋の前に立った。もう昔の味噌屋は、あの紐の代わりに藁一本を(利用して)包んだものだ。今では、ゴム紐で包む。それで、藁で包もうとしたら、紐がなくなり「あの子が持っている藁一本を貰えば?」と言った。ところが「これは親の譲りだから、あげることは出来ない。でも、あの味噌となら交換して下さい。」と言って、九年母くらいの味噌と交換した。それから、また味噌を持って歩き出した。ナービナクーといって鍋を修理する所の前に立った。そこは修理につける味噌がなくなったので、「あの童が持っている味噌を買おう。」と言った。「これは親の譲りだから、上げる事はできない。もしだめでしたらあの鍋の鉄と交換して下さい、鍋の鉄と換えて下さい。」と言って、鍋を造る鉄と交換した。また、どんどん行くと鍛冶屋の前に立った。地鉄と鋼と合わす地鉄がなくなった。そこで「あの童が持って居る、鉄を買おう。」と言った。「これは親の譲りだから、ただで上げることはできない。この鉄で切れる小刀を造って下さい。一つは貴方達の物、もう一つは私に下さい。」と言った。「そうするか。」と言って、小刀を造ってやった。その小刀は、磨きもしないのにすごく切れる小刀になった。今度は、与那原に線香を積んで来た唐船がいた。家に帰る時間になったが、簡単には動かなかった「あの童が、持っている小刀を貰え。」と言った.小按司は)「ああこれは、あげることはできない、親の譲りだから、あの金の屏風と換えて下さるなら。」と言って、金の屏風と換えた。それから、小按司の家は汚なかった。(そのことを南山王が聞きつけ)南山王が、「佐敷の小按司は、金の屏風を持っているとのことだが、あんな汚れた家に飾っても、何も値打ちもないから、ここに(按司を)呼び寄せ、相談して、(その屏風は)御城に飾ってはどうだ。」と。そこの掟の頭達を佐敷の小按司のところへ相談しに行かせた。すると小按司は「はあ、いかに王様であっても、このように臣下を苦しめてはいけません。これは、親の譲りだから、ただで上げることはできません。」「でも王様のおっしゃることだから、一緒に王様の所へ行ってくれ。」と(頼んだ。)そうして南山城に、(小按司は)金の屏風を持ってやって来た。「おい小按司よ」「ハイサイ」「この金の屏風は、あなたの家に飾っては値打ちがないから、どう?この御城に飾ってはどうか。」と王様がおっしゃった。「はあ、(小按司は)いくら王様でございましても、ただで上げるわけにはいきません。」と言った。「私に望みがありますが、それと換えて下さい。」「何だ、何の望みがあるか。」「与座井戸と交換して下さい。」「あの、湧き出ている与座井戸とか。」「よしやろう。」(童は金の屏風と与座井戸とを換えた。)その後、「この与座井戸は、私の物だ。ここから水を使用する者は、いくら取る。」と、看板を立てた。すると島尻郡は、あの井戸水を利用しないと、もうどうする事もできない。生活に不自由し困った。その後、王様は後継ぎがいなくて、王様は「今度の王様は誰に定めようか。」と人民に訴えた。そこで島尻郡の人々は「佐敷の小按司にしか、南山王はできない。」と言った。それで南山王になられた。その後、また小按司さんは、「こんなに小さい琉球に三人の按司が立つのはよくない。」三山和睦と言うのは、あの方がおっしゃった言葉だ。それで、南山の王位につき、中山を攻め落とし、又中山から、北山と。最後に自分は、臣下から中山の王になられた。

再生時間:5:22

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民話詳細DATA

レコード番号 47O370207
CD番号 47O37C009
決定題名 藁しべ長者(方言)
話者がつけた題名 藁しべ長者
話者名 金城太郎
話者名かな きんじょうたろう
生年月日 18860920
性別
出身地 沖縄県読谷村長浜
記録日 19750518
記録者の所属組織 読谷村民話調査団
元テープ番号 読谷村長浜T01A04
元テープ管理者 読谷村立歴史民俗資料館
分類 12
発句(ほっく) あるむかし
伝承事情
文字化資料 読谷村民話資料集3長浜の民話 P86
キーワード 佐敷の小按司,藁しんぶー,味噌屋,親の譲り,ナービナクー,鍋鉄,鍛冶屋,小刀,与那原,線香,金の屏風,掟,王様,南山城,与座川,中山,北山
梗概(こうがい) 昔、佐敷の小按司という按司が居られたそうだ。その按司加那志は、親の譲りを取りたがっていた。女親の育てであったが、母親は、また財産はなく、藁一本があった。母親が、「あなたは、譲りを取りたるが譲りというのはこれだから、早く、取りなさい。」と言った。すると「どうも有難うございます。」と藁一本を拝み取りした。「もう親の譲りを取ってしまった。」と安心した。それから、味噌屋へ行って、味噌屋の前に立った。もう昔の味噌屋は、あの紐の代わりに藁一本を(利用して)包んだものだ。今では、ゴム紐で包む。それで、藁で包もうとしたら、紐がなくなり「あの子が持っている藁一本を貰えば?」と言った。ところが「これは親の譲りだから、あげることは出来ない。でも、あの味噌となら交換して下さい。」と言って、九年母くらいの味噌と交換した。それから、また味噌を持って歩き出した。ナービナクーといって鍋を修理する所の前に立った。そこは修理につける味噌がなくなったので、「あの童が持っている味噌を買おう。」と言った。「これは親の譲りだから、上げる事はできない。もしだめでしたらあの鍋の鉄と交換して下さい、鍋の鉄と換えて下さい。」と言って、鍋を造る鉄と交換した。また、どんどん行くと鍛冶屋の前に立った。地鉄と鋼と合わす地鉄がなくなった。そこで「あの童が持って居る、鉄を買おう。」と言った。「これは親の譲りだから、ただで上げることはできない。この鉄で切れる小刀を造って下さい。一つは貴方達の物、もう一つは私に下さい。」と言った。「そうするか。」と言って、小刀を造ってやった。その小刀は、磨きもしないのにすごく切れる小刀になった。今度は、与那原に線香を積んで来た唐船がいた。家に帰る時間になったが、簡単には動かなかった「あの童が、持っている小刀を貰え。」と言った.小按司は)「ああこれは、あげることはできない、親の譲りだから、あの金の屏風と換えて下さるなら。」と言って、金の屏風と換えた。それから、小按司の家は汚なかった。(そのことを南山王が聞きつけ)南山王が、「佐敷の小按司は、金の屏風を持っているとのことだが、あんな汚れた家に飾っても、何も値打ちもないから、ここに(按司を)呼び寄せ、相談して、(その屏風は)御城に飾ってはどうだ。」と。そこの掟の頭達を佐敷の小按司のところへ相談しに行かせた。すると小按司は「はあ、いかに王様であっても、このように臣下を苦しめてはいけません。これは、親の譲りだから、ただで上げることはできません。」「でも王様のおっしゃることだから、一緒に王様の所へ行ってくれ。」と(頼んだ。)そうして南山城に、(小按司は)金の屏風を持ってやって来た。「おい小按司よ」「ハイサイ」「この金の屏風は、あなたの家に飾っては値打ちがないから、どう?この御城に飾ってはどうか。」と王様がおっしゃった。「はあ、(小按司は)いくら王様でございましても、ただで上げるわけにはいきません。」と言った。「私に望みがありますが、それと換えて下さい。」「何だ、何の望みがあるか。」「与座井戸と交換して下さい。」「あの、湧き出ている与座井戸とか。」「よしやろう。」(童は金の屏風と与座井戸とを換えた。)その後、「この与座井戸は、私の物だ。ここから水を使用する者は、いくら取る。」と、看板を立てた。すると島尻郡は、あの井戸水を利用しないと、もうどうする事もできない。生活に不自由し困った。その後、王様は後継ぎがいなくて、王様は「今度の王様は誰に定めようか。」と人民に訴えた。そこで島尻郡の人々は「佐敷の小按司にしか、南山王はできない。」と言った。それで南山王になられた。その後、また小按司さんは、「こんなに小さい琉球に三人の按司が立つのはよくない。」三山和睦と言うのは、あの方がおっしゃった言葉だ。それで、南山の王位につき、中山を攻め落とし、又中山から、北山と。最後に自分は、臣下から中山の王になられた。
全体の記録時間数 5:22
物語の時間数 5:22
言語識別 方言
音源の質
テープ番号
予備項目1

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