坊主御主の国めぐり(方言)

概要

坊主御主という方で、この人の名前は尚?王と言ったそうだ。ちょうどその頃は、現在のあの水飢饉と同じように、食糧がなくなって餓死年だったようだね。それから、食糧に困まり、栄養不良になり病人が多く出るようになったということさ。それから、「百姓がいるから、国は立てるのだから、今で栄養不良になって死なないうちに、その倉にある米倉を開いて、その百姓達に分けて食べさせてあげなさい。」と、この尚王が言った。すると、「そうはできない。政治家がいるから国は立つ。」と政治家は言った。そこで、何度いっても聞かなかったので、この坊主御主は、しまいには、「人が死んでからでは、何の意味もないから、死なないうちにその米を分けてあげなさい。その米というのは自分達が作ったものではない、百姓達がここに上納として納めてある物だったから。」それから、田舎を通る時は、銭の代わりに米を持って行くとか、芋をもって行くとか、田舎は餓死になって、米もなく、買って食べようと思っても銭もなかった。私が貸した銭も、相手が死なないうちに今とらなくては、といって百姓達の間ではこんな問答が始まったそうだ。坊主御主が、「そういうふうにさせてはいけないから、その米は分けてあげなさい。」「はい」とは言うがしかし、ちっとも分けて上げなかった。「こうしてじっとしていてはいけない。私がここにいると大変だから。」と言って、王は自分の子に王位をゆずり自分は外交しながらこの世の中の暮しは、どうなっているだろうか。また、政治はどうなっているのだろうかと旅に出た。この坊主御主には、現在でいうならば何といったらいいかな、内地では大官と言ってるようだがね。ここでは沖縄語では、何が適当かな。殿内の子も国の政治にたずさわっていたが、ちょうどそれは以前の学校の職員に当たると思うが。それから、「うーん、これは私が王につくよりも国の今の政治や地頭達がどのような暮らしをしているかを確かめなければ。」と思った。王位を退めてね。「それではいけません。ぜひ、貴殿がここにおられるべきです。」と言っても坊主御主はそれからは、断固として役人達が言うのも聞き入れなかった。又、役人達はこの尚?王の言う事も聞かなかったし、「死なない前に分けて上げれば命も助かるのだが死んでからでは、もう何も必要としない、百姓ももう殆んど死んでしまったよ。」と言ってもまた、「その米は、百姓達が集めた米だから分けて上げなさい。」と、「それではもしそれが無くなったらどうするか。」と言った。「百姓も自分達も皆枕を並べて一緒に死んでもいいさ。」と、この坊主御主が言ったそうだ。「それはできない。」と坊主御主の願いを聞いてくれなかった。その後田舎におりて、坊主御主は百姓になられたそうだ。そして最初に城間で百姓になって野菜づくりを始めた。身分のある人だから、その土地の人達を使って、シブイやチブルが豊作になり、それ等を町に出して売った。その時自分は村入口に立ち止まって、「今日の町の様子はどうだったか。」と村人に聞いたら、「そうだね、坊主御主のチブルがたくさん出されて売れませんでした。」と言った。するとその坊主御主は短気者だから「ああ、人民に怒られてはいけない。」と、こんなに多くのそのシブイ畑、チブル畑に馬を連れて行って全部踏み潰させてね、そして島の人達が出て行くと、「さあ、踏み潰して残った物は、あなた達がとって食べなさい。」と言った。それから、その人は国のあらゆる所を歩いた。その後、読谷山に、すぐ読谷山にこられて、読谷山の喜名の西の方にいらした。現在もそこに観音堂の側に坊主井戸というのがあるがね。飲料水にできる井戸がね。ここでの話が、この石嶺とこの喜名の東の方に木を前にして建っている家があり、そこに子供を育てている母親がいたそうだ。そして、その人が家で、現在のあの喜名のウガドンにトゥサシンが歩く時にその家の門を通る時に、その長男が、やんちゃをして叱られ、泣こうとすると、「ほらっ!坊主御主が通るよ、泣いたりすると。」と言ったら、坊主御主は、すぐ家の中へ入って来られてね、「ちよっと、ばあさん。」と言った。おばあさんは、「はい」と答えた。「どうして坊主御主が歩くと、何か罪になるのか、あなたは、坊主御主がやって来るよ、と言っているようだが、どうしてなのか。」とそのお母さんは叱られたそうだ。「この子がひどくやんちゃ者なので、坊主がやって来るよと言えば、止まるのではないかと思い、この子供をおとなしくさせるためなんです。」と言うと「ああ、そういうわけか、でも、そういう風には言わないでくれ。御主というのは皆の代表だから子供達にこわがらせてはいけない。子供達には良い教え方をして下さい。」と言った。おばあさんは、「どうもすみませんでした。」と謝まった。それから、お茶を沸かして出した。その時から話がはずんだようだ。この坊主御主に話かけた人はいなかったので。坊主御主は偉大な琉球王で誰も近づかなかった。この人の家の周辺は客が取引き先から戻る途中になっていた。それから、この御拝領と言って。田舎には、その仏壇の上に水引き言うものが敷かれている家はどこにもなかったようだね。それで、御主と語った人に、七月のお盆になったので、その人に、褒美として、水引きを下さったそうだ。「さあ、これは祝日や七月にかけなさいね。」と。そういうことで貰った水引きを、その田舎では、そのような布を見たことがないので、その水引きをときほどいて、娘には、着物の衿につけてやり、又男の子には袖につけて着けさせたら、その人は物事はすべてにうまくいかなかったそうだ。それは、その御拝領着物で鼻をかんだので、その人はあのようになったんだと。その人はずっとあとで神経衰弱になったそうだ。この人が神経衰弱になっていたことは自分達でも覚えているよ。石嶺に礼拝のため出入りしていたので。娘は衿に(水引きの布)を着けてやったので、それで鼻をかむのはなかなか居ないでしょう。それが、男の子は着物の袖だったのでそれで鼻をかんだために狂乱者になったんではないかという物語が、今でもこの辺まで流れ伝わっているようだね。

再生時間:10:46

民話詳細DATA

レコード番号 47O370147
CD番号 47O37C006
決定題名 坊主御主の国めぐり(方言)
話者がつけた題名 坊主御主
話者名 松田栄清
話者名かな まつだえいせい
生年月日 18950220
性別
出身地 沖縄県読谷村喜名
記録日 19770619
記録者の所属組織 読谷村民話調査団第4班
元テープ番号 読谷村喜名T08A05
元テープ管理者 読谷村立歴史民俗資料館
分類 20
発句(ほっく)
伝承事情 年寄りの集まりで聞く
文字化資料 読谷村民話資料集2喜名の民話 P206
キーワード 坊主御主,尚?王,地頭,城間,チブル,シブイ,読谷山,喜名,観音堂,御拝領,衿花
梗概(こうがい) 坊主御主という方で、この人の名前は尚?王と言ったそうだ。ちょうどその頃は、現在のあの水飢饉と同じように、食糧がなくなって餓死年だったようだね。それから、食糧に困まり、栄養不良になり病人が多く出るようになったということさ。それから、「百姓がいるから、国は立てるのだから、今で栄養不良になって死なないうちに、その倉にある米倉を開いて、その百姓達に分けて食べさせてあげなさい。」と、この尚王が言った。すると、「そうはできない。政治家がいるから国は立つ。」と政治家は言った。そこで、何度いっても聞かなかったので、この坊主御主は、しまいには、「人が死んでからでは、何の意味もないから、死なないうちにその米を分けてあげなさい。その米というのは自分達が作ったものではない、百姓達がここに上納として納めてある物だったから。」それから、田舎を通る時は、銭の代わりに米を持って行くとか、芋をもって行くとか、田舎は餓死になって、米もなく、買って食べようと思っても銭もなかった。私が貸した銭も、相手が死なないうちに今とらなくては、といって百姓達の間ではこんな問答が始まったそうだ。坊主御主が、「そういうふうにさせてはいけないから、その米は分けてあげなさい。」「はい」とは言うがしかし、ちっとも分けて上げなかった。「こうしてじっとしていてはいけない。私がここにいると大変だから。」と言って、王は自分の子に王位をゆずり自分は外交しながらこの世の中の暮しは、どうなっているだろうか。また、政治はどうなっているのだろうかと旅に出た。この坊主御主には、現在でいうならば何といったらいいかな、内地では大官と言ってるようだがね。ここでは沖縄語では、何が適当かな。殿内の子も国の政治にたずさわっていたが、ちょうどそれは以前の学校の職員に当たると思うが。それから、「うーん、これは私が王につくよりも国の今の政治や地頭達がどのような暮らしをしているかを確かめなければ。」と思った。王位を退めてね。「それではいけません。ぜひ、貴殿がここにおられるべきです。」と言っても坊主御主はそれからは、断固として役人達が言うのも聞き入れなかった。又、役人達はこの尚?王の言う事も聞かなかったし、「死なない前に分けて上げれば命も助かるのだが死んでからでは、もう何も必要としない、百姓ももう殆んど死んでしまったよ。」と言ってもまた、「その米は、百姓達が集めた米だから分けて上げなさい。」と、「それではもしそれが無くなったらどうするか。」と言った。「百姓も自分達も皆枕を並べて一緒に死んでもいいさ。」と、この坊主御主が言ったそうだ。「それはできない。」と坊主御主の願いを聞いてくれなかった。その後田舎におりて、坊主御主は百姓になられたそうだ。そして最初に城間で百姓になって野菜づくりを始めた。身分のある人だから、その土地の人達を使って、シブイやチブルが豊作になり、それ等を町に出して売った。その時自分は村入口に立ち止まって、「今日の町の様子はどうだったか。」と村人に聞いたら、「そうだね、坊主御主のチブルがたくさん出されて売れませんでした。」と言った。するとその坊主御主は短気者だから「ああ、人民に怒られてはいけない。」と、こんなに多くのそのシブイ畑、チブル畑に馬を連れて行って全部踏み潰させてね、そして島の人達が出て行くと、「さあ、踏み潰して残った物は、あなた達がとって食べなさい。」と言った。それから、その人は国のあらゆる所を歩いた。その後、読谷山に、すぐ読谷山にこられて、読谷山の喜名の西の方にいらした。現在もそこに観音堂の側に坊主井戸というのがあるがね。飲料水にできる井戸がね。ここでの話が、この石嶺とこの喜名の東の方に木を前にして建っている家があり、そこに子供を育てている母親がいたそうだ。そして、その人が家で、現在のあの喜名のウガドンにトゥサシンが歩く時にその家の門を通る時に、その長男が、やんちゃをして叱られ、泣こうとすると、「ほらっ!坊主御主が通るよ、泣いたりすると。」と言ったら、坊主御主は、すぐ家の中へ入って来られてね、「ちよっと、ばあさん。」と言った。おばあさんは、「はい」と答えた。「どうして坊主御主が歩くと、何か罪になるのか、あなたは、坊主御主がやって来るよ、と言っているようだが、どうしてなのか。」とそのお母さんは叱られたそうだ。「この子がひどくやんちゃ者なので、坊主がやって来るよと言えば、止まるのではないかと思い、この子供をおとなしくさせるためなんです。」と言うと「ああ、そういうわけか、でも、そういう風には言わないでくれ。御主というのは皆の代表だから子供達にこわがらせてはいけない。子供達には良い教え方をして下さい。」と言った。おばあさんは、「どうもすみませんでした。」と謝まった。それから、お茶を沸かして出した。その時から話がはずんだようだ。この坊主御主に話かけた人はいなかったので。坊主御主は偉大な琉球王で誰も近づかなかった。この人の家の周辺は客が取引き先から戻る途中になっていた。それから、この御拝領と言って。田舎には、その仏壇の上に水引き言うものが敷かれている家はどこにもなかったようだね。それで、御主と語った人に、七月のお盆になったので、その人に、褒美として、水引きを下さったそうだ。「さあ、これは祝日や七月にかけなさいね。」と。そういうことで貰った水引きを、その田舎では、そのような布を見たことがないので、その水引きをときほどいて、娘には、着物の衿につけてやり、又男の子には袖につけて着けさせたら、その人は物事はすべてにうまくいかなかったそうだ。それは、その御拝領着物で鼻をかんだので、その人はあのようになったんだと。その人はずっとあとで神経衰弱になったそうだ。この人が神経衰弱になっていたことは自分達でも覚えているよ。石嶺に礼拝のため出入りしていたので。娘は衿に(水引きの布)を着けてやったので、それで鼻をかむのはなかなか居ないでしょう。それが、男の子は着物の袖だったのでそれで鼻をかんだために狂乱者になったんではないかという物語が、今でもこの辺まで流れ伝わっているようだね。
全体の記録時間数 10:46
物語の時間数 10:46
言語識別 方言
音源の質
テープ番号
予備項目1

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