
銘苅子と言う伝え話には、浦添謝名の生まれだと言われている訳だ。大謝名のね。この人も貧乏人の家庭でどん底な生活をしていたので、妻になる人もいなかった。ここは、真志喜大川というか、そこに山羊の草を刈りに行っていたそうだ。それから、ある女が、着物を木の枝にかけて、大川で浴びているので、その着物を取って隠してね、奥間大親という人がね。すると、もう、女は裸になってはどこへも行けないので、今度は、自分が裸になって、自分のぼろの着物は女に着せて、「もう、こんなでは歩けないので、今日一晩は私達の家で泊まって下さい。」と言った。そして、謝名の奥間という人が連れて行った。もう着物がないので帰ることが出来ずに、ここで夫婦になって生活をしたという物語なんだがね。それがね、貧乏者なので、赤ちゃんが生まれてその子が成長したとき、女が思うには、こんな生活をしていたら、親に追い打ちされるのではと思った。これは天女といっているが、〈天女というのは、昔の按司の子孫なんだがね。よく、あの大新城芝居で、「誠に、黄金加那志は天人のようだ。」という言葉が出るでしょう〉そうだから、首里の大名達の子供達が、どこそこには、良い水があるといって、おそらく言いふらして、そこから来たんでしょうね。それから、この着物は、その子守歌に、稲倉の下に隠されていることを、子守人がこの話を聞かせたそうだ。すると、子供も、もう二歳、三歳にもなっていたんだろうね。それで、この着物のことを、ようやく子守人から聞いて探し出して着けて、すぐに女は飛び立ったようだ、首里にね。そうすると、その子は、もういつも、一日と十五日には、海に行って魚を釣ったり、また、満潮の時には、山から薪を拾って来て、日々の生活をしていたようだがね。それから、その子が魚釣りをするこの浜は宇地泊の何ていう岩だったのか、今もこの岩はあるというのだが、その子が海で魚を釣った岩がね。そうして、その子が成長した時、また、勝連や与那城方面で〈そこの半島のことを東浜崎と言ったようだ。昔、昔の大昔はね〉それで、そこには福人がいて。もうあそこでも、魚釣りして、満潮になると。山から薪を拾って、あそこでも同じ生活だったそうだ。この天女との間に生まれた奥間大親の長男はね。すると、ちょうどここに、福人親雲上という人がいた。この人が、婿調べをするといって、婿探しをするということだった。福人親雲上のところに、すばらしいお嬢さんがいて、それで、首里、那覇からも、身分のある人達がその娘をもらいに来た。また、この奥間人親が産んだ子は、変な赤毛で、それは、いつも海で日焼けして、山を歩いたりするときも日に焼けるので。(色が黒かった)そして、この人も、「婿調べがあるんだったら、私もまず行ってみよう。」と。その人は、天女の子なので身長が高かった。それで、ここで男の親が思うには、天は一つの腹のごとくで、天の下では、私のような福を持っている人はいない。裕福な人は他にはいないという額をかけたそうだ。また、この娘の婿調びの時にかけてある絵は、それに、「富貴裕天」と書いてあった。この富貴裕天(ふうきゆうてん)という意味は、どういう意味だろうか。スートゥクにめぐりあわないと金儲けは出来ないという言い分である。この幸運というものはね、幸運に恵まれないと病気になったり、周囲の人たちとも仲が悪くなるそうだ。だから、私は、これが本当だと思っている。また、父親が言うには、「それでは、幸運の来るのを待って働かなくても金儲けができるか。」と父親が言うと、「なるほど、あなたがおっしゃるのも最もだが、私は、幸運の訪れによって金儲けは出来ると思っております。」と子は言った。「あぁそうか、そうと思うのなら、今日の婿調べの結果でね。」と親は言った。これは、親の言ってることも本当、子の言うのも本当なんだ。勿論、優しい家庭に生まれたからとて、今日、明日にでも金儲けが出来るわけでもないし。働いてこそ金儲けは出来る。男の親は、「働いてこそ金は儲かる。幸運があれば、ただその金は、どこからでも来るということではないんだよ。」これもごもっとも。また、子供が言うことも、あのお金というのは、世のまわりものである。幸運に恵まれない限り、金儲けはできないと思っております。」なるほど、金持ちがいつも病院へ行ったりきたりして、金をいくら使った、どれだけ使ったと嘆くことがある。この貧乏者で健康体の者達は、金はなくてもどうにか暮らしているでしょう。ここら辺で今でも。だから、あのことは、親の言ってることももっとも、子が言ってることも最もだね。だから、二つとも理屈に叶っているんだから。そんなこんなで、(その娘は)あれも嫌い、これも嫌いと言い、しまいには、この奥間大親の長男で、その日暮らしの日雇い人夫をしている男を、その娘が選んだわけだ。「お前みたいな奴は、お前は、何と言っても女は、楽で裕福になるために婿を選ぶというのにお前は、そんな日雇い人夫の妻になるのか。お前は、家には置かない。今日から家を出て行け。」と、父上は怒って言った。 それから、両親は、「それじゃお前は彼の妻になって行け。」と言われて、家から二人して出て行った。だがね、親元では、食物やら、何でもかんでも沢山あるので、母親は、忍び難く、そこを訪ねて、米を包んで持って行った。娘夫婦の食糧として。それにお産もしているというので。それから、黄金も昔の黄金を一握持って行くと、「どう?ずっと元気でいるか。」と言うと、「ずっと元気でいるよお母さん。」と言い、親子はここで涙を流して語り合った。「ねぇお母さんどうしてあなたの夫ではなく、私の夫なのに、私達の心配までしないで下さい。」と、その娘に言われたらしい。「ああそうか、そういうことなら、あなた達も夫婦だけでいいなら、夫婦で元気に暮らしなさい。」と言った。そして、親は自分の家に帰って行った。「ほら、こんなに沢山、私のお母さんは、お米を持ってきて下さったよ。」と誇りげに言うと、夫は、この黄金に「なんだこんな小石までも、枡の口を満たすつもりで入れたんだな。なるほど、金儲けをする人は変わっているね。こんな小石、何ができるか。」と、この夫がその小石を取って捨てようとすると、「あら、貴男は、これを何だと思っていらっしゃるのですか。これは黄金(おうごん)なのよ。それだけあれば、二人は生涯これだけで暮らせるんだよ。」と言った。すると夫は、「何たることだ、こんな石ころ何になるか、私が魚釣りしている所は、これが黄金なら、そこは全部、黄金だな。」と言った。「冗談はしないで下さい。」というと、「じゃあ、論より証拠、行ってみよう。」と言って夫婦は行ってみた。この人が坐って魚を釣った所は、全部黄金で、その上に坐って魚を釣ったというわけだ。そして、それから、その黄金を掘り出してきて、家に貯わえた。今度は、このお金で、〈その頃までは、このヘラとか、鍬などは、沖縄にはなかった。それで、雨が降ると、ティビクと言って、山から木を切って来て、それに立派にカンナをかけ、これでかずらを植えたり、芋掘りに使っていたそうだ〉こんなふうでは、農業はできないと、それからこの人が、この黄金で、内地に行き、鉄と物々交換して持って来て、沖縄の鍬、へラを集めたり、また、あのイーザイの刃を作るなどして…。この人が沖縄の農業を進歩させたというわけだ。そうして、〈何という王の後だったかな〉王を立てることになった。この人は、察度王という。察度王の時代から、沖縄の農業は、鍬やへラを集めて始まったという物語なんだよ。
| レコード番号 | 47O370146 |
|---|---|
| CD番号 | 47O37C006 |
| 決定題名 | 察度王の話(方言) |
| 話者がつけた題名 | 銘苅子 |
| 話者名 | 松田栄清 |
| 話者名かな | まつだえいせい |
| 生年月日 | 18950220 |
| 性別 | 男 |
| 出身地 | 沖縄県読谷村喜名 |
| 記録日 | 19770619 |
| 記録者の所属組織 | 読谷村民話調査団第4班 |
| 元テープ番号 | 読谷村喜名T08A04 |
| 元テープ管理者 | 読谷村立歴史民俗資料館 |
| 分類 | 20 |
| 発句(ほっく) | んかしぬつたえばなしねー |
| 伝承事情 | 祖父 比嘉トクタイから聞く |
| 文字化資料 | 読谷村民話資料集2喜名の民話 P148 |
| キーワード | 銘苅子,山羊の草刈,奥間大親,阿司,大新城,黄金前加那志,首里の大名,宇地泊,婿調べ,黄金,鍬,ヘラ,イーザイ,察度王,農業 |
| 梗概(こうがい) | 銘苅子と言う伝え話には、浦添謝名の生まれだと言われている訳だ。大謝名のね。この人も貧乏人の家庭でどん底な生活をしていたので、妻になる人もいなかった。ここは、真志喜大川というか、そこに山羊の草を刈りに行っていたそうだ。それから、ある女が、着物を木の枝にかけて、大川で浴びているので、その着物を取って隠してね、奥間大親という人がね。すると、もう、女は裸になってはどこへも行けないので、今度は、自分が裸になって、自分のぼろの着物は女に着せて、「もう、こんなでは歩けないので、今日一晩は私達の家で泊まって下さい。」と言った。そして、謝名の奥間という人が連れて行った。もう着物がないので帰ることが出来ずに、ここで夫婦になって生活をしたという物語なんだがね。それがね、貧乏者なので、赤ちゃんが生まれてその子が成長したとき、女が思うには、こんな生活をしていたら、親に追い打ちされるのではと思った。これは天女といっているが、〈天女というのは、昔の按司の子孫なんだがね。よく、あの大新城芝居で、「誠に、黄金加那志は天人のようだ。」という言葉が出るでしょう〉そうだから、首里の大名達の子供達が、どこそこには、良い水があるといって、おそらく言いふらして、そこから来たんでしょうね。それから、この着物は、その子守歌に、稲倉の下に隠されていることを、子守人がこの話を聞かせたそうだ。すると、子供も、もう二歳、三歳にもなっていたんだろうね。それで、この着物のことを、ようやく子守人から聞いて探し出して着けて、すぐに女は飛び立ったようだ、首里にね。そうすると、その子は、もういつも、一日と十五日には、海に行って魚を釣ったり、また、満潮の時には、山から薪を拾って来て、日々の生活をしていたようだがね。それから、その子が魚釣りをするこの浜は宇地泊の何ていう岩だったのか、今もこの岩はあるというのだが、その子が海で魚を釣った岩がね。そうして、その子が成長した時、また、勝連や与那城方面で〈そこの半島のことを東浜崎と言ったようだ。昔、昔の大昔はね〉それで、そこには福人がいて。もうあそこでも、魚釣りして、満潮になると。山から薪を拾って、あそこでも同じ生活だったそうだ。この天女との間に生まれた奥間大親の長男はね。すると、ちょうどここに、福人親雲上という人がいた。この人が、婿調べをするといって、婿探しをするということだった。福人親雲上のところに、すばらしいお嬢さんがいて、それで、首里、那覇からも、身分のある人達がその娘をもらいに来た。また、この奥間人親が産んだ子は、変な赤毛で、それは、いつも海で日焼けして、山を歩いたりするときも日に焼けるので。(色が黒かった)そして、この人も、「婿調べがあるんだったら、私もまず行ってみよう。」と。その人は、天女の子なので身長が高かった。それで、ここで男の親が思うには、天は一つの腹のごとくで、天の下では、私のような福を持っている人はいない。裕福な人は他にはいないという額をかけたそうだ。また、この娘の婿調びの時にかけてある絵は、それに、「富貴裕天」と書いてあった。この富貴裕天(ふうきゆうてん)という意味は、どういう意味だろうか。スートゥクにめぐりあわないと金儲けは出来ないという言い分である。この幸運というものはね、幸運に恵まれないと病気になったり、周囲の人たちとも仲が悪くなるそうだ。だから、私は、これが本当だと思っている。また、父親が言うには、「それでは、幸運の来るのを待って働かなくても金儲けができるか。」と父親が言うと、「なるほど、あなたがおっしゃるのも最もだが、私は、幸運の訪れによって金儲けは出来ると思っております。」と子は言った。「あぁそうか、そうと思うのなら、今日の婿調べの結果でね。」と親は言った。これは、親の言ってることも本当、子の言うのも本当なんだ。勿論、優しい家庭に生まれたからとて、今日、明日にでも金儲けが出来るわけでもないし。働いてこそ金儲けは出来る。男の親は、「働いてこそ金は儲かる。幸運があれば、ただその金は、どこからでも来るということではないんだよ。」これもごもっとも。また、子供が言うことも、あのお金というのは、世のまわりものである。幸運に恵まれない限り、金儲けはできないと思っております。」なるほど、金持ちがいつも病院へ行ったりきたりして、金をいくら使った、どれだけ使ったと嘆くことがある。この貧乏者で健康体の者達は、金はなくてもどうにか暮らしているでしょう。ここら辺で今でも。だから、あのことは、親の言ってることももっとも、子が言ってることも最もだね。だから、二つとも理屈に叶っているんだから。そんなこんなで、(その娘は)あれも嫌い、これも嫌いと言い、しまいには、この奥間大親の長男で、その日暮らしの日雇い人夫をしている男を、その娘が選んだわけだ。「お前みたいな奴は、お前は、何と言っても女は、楽で裕福になるために婿を選ぶというのにお前は、そんな日雇い人夫の妻になるのか。お前は、家には置かない。今日から家を出て行け。」と、父上は怒って言った。 それから、両親は、「それじゃお前は彼の妻になって行け。」と言われて、家から二人して出て行った。だがね、親元では、食物やら、何でもかんでも沢山あるので、母親は、忍び難く、そこを訪ねて、米を包んで持って行った。娘夫婦の食糧として。それにお産もしているというので。それから、黄金も昔の黄金を一握持って行くと、「どう?ずっと元気でいるか。」と言うと、「ずっと元気でいるよお母さん。」と言い、親子はここで涙を流して語り合った。「ねぇお母さんどうしてあなたの夫ではなく、私の夫なのに、私達の心配までしないで下さい。」と、その娘に言われたらしい。「ああそうか、そういうことなら、あなた達も夫婦だけでいいなら、夫婦で元気に暮らしなさい。」と言った。そして、親は自分の家に帰って行った。「ほら、こんなに沢山、私のお母さんは、お米を持ってきて下さったよ。」と誇りげに言うと、夫は、この黄金に「なんだこんな小石までも、枡の口を満たすつもりで入れたんだな。なるほど、金儲けをする人は変わっているね。こんな小石、何ができるか。」と、この夫がその小石を取って捨てようとすると、「あら、貴男は、これを何だと思っていらっしゃるのですか。これは黄金(おうごん)なのよ。それだけあれば、二人は生涯これだけで暮らせるんだよ。」と言った。すると夫は、「何たることだ、こんな石ころ何になるか、私が魚釣りしている所は、これが黄金なら、そこは全部、黄金だな。」と言った。「冗談はしないで下さい。」というと、「じゃあ、論より証拠、行ってみよう。」と言って夫婦は行ってみた。この人が坐って魚を釣った所は、全部黄金で、その上に坐って魚を釣ったというわけだ。そして、それから、その黄金を掘り出してきて、家に貯わえた。今度は、このお金で、〈その頃までは、このヘラとか、鍬などは、沖縄にはなかった。それで、雨が降ると、ティビクと言って、山から木を切って来て、それに立派にカンナをかけ、これでかずらを植えたり、芋掘りに使っていたそうだ〉こんなふうでは、農業はできないと、それからこの人が、この黄金で、内地に行き、鉄と物々交換して持って来て、沖縄の鍬、へラを集めたり、また、あのイーザイの刃を作るなどして…。この人が沖縄の農業を進歩させたというわけだ。そうして、〈何という王の後だったかな〉王を立てることになった。この人は、察度王という。察度王の時代から、沖縄の農業は、鍬やへラを集めて始まったという物語なんだよ。 |
| 全体の記録時間数 | 14:02 |
| 物語の時間数 | 14:02 |
| 言語識別 | 方言 |
| 音源の質 | ◎ |
| テープ番号 | - |
| 予備項目1 | - |