サングヮナーの始まり(方言)

概要

「やなサングヮナーや」という言葉があるでしょう。これはどうして始まったのか。このサングヮナーという言葉はね。(貧乏人の子が)女郎に身売りされてね。昔は、貧乏人の子供達は皆身売りされた。この身売りされた子供は容貌が悪かったようだ。それから、ジュリアンマーが「どうして、他の人は借金も納めるのに、どうしてお前は客もとらないし、借金も納めないか。」と言ったら、「それにもう、私はこのようにあなたに恩義もあるのですが、客もいらしてもらえず、無礼になっています。どうしても、あなたのお金は情のこもっているお金、恩義のあるお金だからどんなにしてもかせいで払うつもりです」(と言った。)すると、(ジュリアンマーが)「それでは、お前には払える可能性はあるか。」と言ったら、「払える可能性はあるが金儲けができません。無礼な話ではありますが、どうか暇を下さい。アンマー、どうしてもあなたのお金はかせいで払いますので。」(とお願いした。)もうこれは女郎なので、「そういうことであれば、ここで金儲けができないのなら、(別のところで)儲けて元金だけでも返してちょうだいね。」と言って、もうアンマーも情をかけて暇をくれてやったという物語なんだよ。そういうことで、辻では金儲けはできなかった。それから渡地というのは、現在の明治橋、あそこにも辻、(と同様な)中島、渡地と言って、あそこにも遊郭があった。そこは、この渡地は、(辻よりも)おくれて、この女が行ってから遊郭は始まったようだ。この容貌の悪い女が行ってから。そこで、この金儲けというものは、美人であろうと不美人であろうと関係なく、知恵のある限り出しきって、どのようにしたら儲けてアンマーのお金は返せるだろうかと、もう恥も外聞もないのだからね。もう恥も振り捨ててね。また、ここは、渡地は、昔の帆船の船着き場だったので、「渡地女郎のあわれさよ 裾のきれた袴に、肩のおちた着物を着て 山原船に通うよ。」という歌があるでしょう。〈その(歌)から、商売女が肩のおちた着物を着て、裾もきれている袴を着け、この山原船に客をとりにいく姿は、どれほどのみじめさだったのかと、自分達は思わずにはいられない。〉 それから、このお茶屋、茶屋をした。それで船が着くと、「お茶をお上がり下さい。」と言うと、この船で来た人達は、人の茶はただでは飲まず、一銭か二銭は置いて行くでしょう。これで日々の生活はしていたようだ。毎日の三度の食事もね。そこで、もう茶屋から始めて、今度は「あなたは食事を作ってくれないか、姉さん。」と言われたら、「はい」(と言い)「どうしよう、食事代も(ろくに)無いが、このぐらいで作って下さいませんか。」と言えば、「はい」と答えた。また、この客は「それでは米はこのぐらい買ってきなさい。豆腐一丁買っておいで。」と、金は渡した。それから「つり銭はもらいなさい。」と言った。もうこの人達もこれ(女)の生活はわかっているのだから、かわいそうに思いおつりはとらなかったようだ。おつりはね、それから少しづつ貯えていった。もうお茶屋から食堂にかえたのでね。 そうこうして、(船乗りが)「さあ、たまには、今日は寂しくもあるし、女郎でもかってこようか。」と言ったら(仲間達は)「そうしようか。」ということになった。当時は中島、辻では女郎の値が十銭だった。その泊まり賃が十銭なので、「ここにお泊まりになって下さい。私達は三貫でよろしいです。」と、この容貌のわるい女が言ったようだ。そこで、男にも欲はあるでしょう。金の欲はね、あそこ(辻、中島)に一晩泊まるよりはあと二銭を加えたら、ここ(渡地)に二晩泊まることができる。この船の荷物を積むまでだからね。実は、男も(むだな)金は使いたくないし、ただ飲み食い、寂しさをまぎらす為に辻に行くし、中島に行くのである。「それでは、あそこにいらっしゃるよりは、ここに泊まって下さい。私達は三貫もらってよろしいです。」と言った。その時から渡地は三貫で(女郎を)呼ぶことができるし、辻、中島は五貫もとるので、あそこ(辻、中島)よりは渡地の方がいいということであった。それに、ここは港でもあるので多勢の船乗り達は皆ここに入りこんできて、辻、中島は不景気になったそうだ。それからもう(辻、中島の)ジュリアンマー達が揃って、「これは、客の入らないのは不思議なことだ。」といって吟味した。「賎しい渡地にサングヮナー達がいるから、自分達のところは不景気になって客も皆あそこにうばわれてしまった。」と。それは、その時の「私達は三貫でよろしい。」という言葉は、自分の知恵のあるだけ、もうしぼり出して、どうしたら金儲けができるか、知恵のある限り出して(考えた言葉)であった。この時のサングヮナーというのは、「私達は三貫でいいですよ。」ということであった。それは、別にはやらないように、金をまきあげるために、「三貫でいいですよ。ここにお泊まりになって下さい。」と言ったのだが、辻、中島での言葉はまた、「賎しい渡地にサングヮナー達がいるから。」ということで、それからこのサングヮナーという言葉は、現在につけて賎(いや)しい言葉になったそうだ。

再生時間:8:52

民話詳細DATA

レコード番号 47O370145
CD番号 47O37C006
決定題名 サングヮナーの始まり(方言)
話者がつけた題名 サングヮナーの言葉の始まり
話者名 松田栄清
話者名かな まつだえいせい
生年月日 18950220
性別
出身地 沖縄県読谷村喜名
記録日 19770619
記録者の所属組織 読谷村民話調査団第4班
元テープ番号 読谷村喜名T08A03
元テープ管理者 読谷村立歴史民俗資料館
分類 20
発句(ほっく)
伝承事情 年寄りの集まりで聞く
文字化資料 読谷村民話資料集2喜名の民話 P148
キーワード サングヮナー,ジュリアンマー,身売り,渡地,辻,明治橋,遊郭,山原船,茶屋,中島,三貫
梗概(こうがい) 「やなサングヮナーや」という言葉があるでしょう。これはどうして始まったのか。このサングヮナーという言葉はね。(貧乏人の子が)女郎に身売りされてね。昔は、貧乏人の子供達は皆身売りされた。この身売りされた子供は容貌が悪かったようだ。それから、ジュリアンマーが「どうして、他の人は借金も納めるのに、どうしてお前は客もとらないし、借金も納めないか。」と言ったら、「それにもう、私はこのようにあなたに恩義もあるのですが、客もいらしてもらえず、無礼になっています。どうしても、あなたのお金は情のこもっているお金、恩義のあるお金だからどんなにしてもかせいで払うつもりです」(と言った。)すると、(ジュリアンマーが)「それでは、お前には払える可能性はあるか。」と言ったら、「払える可能性はあるが金儲けができません。無礼な話ではありますが、どうか暇を下さい。アンマー、どうしてもあなたのお金はかせいで払いますので。」(とお願いした。)もうこれは女郎なので、「そういうことであれば、ここで金儲けができないのなら、(別のところで)儲けて元金だけでも返してちょうだいね。」と言って、もうアンマーも情をかけて暇をくれてやったという物語なんだよ。そういうことで、辻では金儲けはできなかった。それから渡地というのは、現在の明治橋、あそこにも辻、(と同様な)中島、渡地と言って、あそこにも遊郭があった。そこは、この渡地は、(辻よりも)おくれて、この女が行ってから遊郭は始まったようだ。この容貌の悪い女が行ってから。そこで、この金儲けというものは、美人であろうと不美人であろうと関係なく、知恵のある限り出しきって、どのようにしたら儲けてアンマーのお金は返せるだろうかと、もう恥も外聞もないのだからね。もう恥も振り捨ててね。また、ここは、渡地は、昔の帆船の船着き場だったので、「渡地女郎のあわれさよ 裾のきれた袴に、肩のおちた着物を着て 山原船に通うよ。」という歌があるでしょう。〈その(歌)から、商売女が肩のおちた着物を着て、裾もきれている袴を着け、この山原船に客をとりにいく姿は、どれほどのみじめさだったのかと、自分達は思わずにはいられない。〉 それから、このお茶屋、茶屋をした。それで船が着くと、「お茶をお上がり下さい。」と言うと、この船で来た人達は、人の茶はただでは飲まず、一銭か二銭は置いて行くでしょう。これで日々の生活はしていたようだ。毎日の三度の食事もね。そこで、もう茶屋から始めて、今度は「あなたは食事を作ってくれないか、姉さん。」と言われたら、「はい」(と言い)「どうしよう、食事代も(ろくに)無いが、このぐらいで作って下さいませんか。」と言えば、「はい」と答えた。また、この客は「それでは米はこのぐらい買ってきなさい。豆腐一丁買っておいで。」と、金は渡した。それから「つり銭はもらいなさい。」と言った。もうこの人達もこれ(女)の生活はわかっているのだから、かわいそうに思いおつりはとらなかったようだ。おつりはね、それから少しづつ貯えていった。もうお茶屋から食堂にかえたのでね。 そうこうして、(船乗りが)「さあ、たまには、今日は寂しくもあるし、女郎でもかってこようか。」と言ったら(仲間達は)「そうしようか。」ということになった。当時は中島、辻では女郎の値が十銭だった。その泊まり賃が十銭なので、「ここにお泊まりになって下さい。私達は三貫でよろしいです。」と、この容貌のわるい女が言ったようだ。そこで、男にも欲はあるでしょう。金の欲はね、あそこ(辻、中島)に一晩泊まるよりはあと二銭を加えたら、ここ(渡地)に二晩泊まることができる。この船の荷物を積むまでだからね。実は、男も(むだな)金は使いたくないし、ただ飲み食い、寂しさをまぎらす為に辻に行くし、中島に行くのである。「それでは、あそこにいらっしゃるよりは、ここに泊まって下さい。私達は三貫もらってよろしいです。」と言った。その時から渡地は三貫で(女郎を)呼ぶことができるし、辻、中島は五貫もとるので、あそこ(辻、中島)よりは渡地の方がいいということであった。それに、ここは港でもあるので多勢の船乗り達は皆ここに入りこんできて、辻、中島は不景気になったそうだ。それからもう(辻、中島の)ジュリアンマー達が揃って、「これは、客の入らないのは不思議なことだ。」といって吟味した。「賎しい渡地にサングヮナー達がいるから、自分達のところは不景気になって客も皆あそこにうばわれてしまった。」と。それは、その時の「私達は三貫でよろしい。」という言葉は、自分の知恵のあるだけ、もうしぼり出して、どうしたら金儲けができるか、知恵のある限り出して(考えた言葉)であった。この時のサングヮナーというのは、「私達は三貫でいいですよ。」ということであった。それは、別にはやらないように、金をまきあげるために、「三貫でいいですよ。ここにお泊まりになって下さい。」と言ったのだが、辻、中島での言葉はまた、「賎しい渡地にサングヮナー達がいるから。」ということで、それからこのサングヮナーという言葉は、現在につけて賎(いや)しい言葉になったそうだ。
全体の記録時間数 8:52
物語の時間数 8:52
言語識別 方言
音源の質
テープ番号
予備項目1

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