
首里には昔、ノロというのがあったが知ってるかな。女達のノロといって…。ウマチーが盛んな頃に、白帽子をかぶって嶽々を拝み歩いている人がいたよ。それがあれば、チージン御殿といってね、この家を借りていた。県中のノロで、村にも幾人かいた。読谷山にも二、三人はいたんじゃないでしょうか。ヌール殿内といってあるが、ヌール殿内という所は、このノロの家のことである。この人たちは時々城に行って祈願したり、国の願いごとだけどね、ノロたちを神として信じていたので、服装もこの人たちは神の服装をさせて歩かせていたね。村でも、読谷山でいえば、宇座に一人、喜名にもおり、楚辺にもいたし、読谷山だけでも三人は居たよヌールが。それだけいたが、県中のノロが、何か用事があるとき、皆な城に集まって御願いをすることもあるし、また、何やかんや願い事があれば祝いもし踊ったりなどもしたそうだ。こうして、殆んど県中の仕事をする女もいた。それは無料ではなかった。ヌール地として多くの土地を県から与えられていた。そうだったので、首里にはノロが居たが、ぺークーは国頭の方に連れて行ったので、しまいには、国頭という所は、首里に比較すると、淋しいでしょう。八歳だけど、すぐ頭髪も乱れるほど急いで首里にやって来たそうだ。珍らしいことに、早熟だったんでしょうね。八歳になる子どもが、国頭から首里まで来たそうだから…。もうその時は、親たちに「叔父さんの所は淋しくてたまりませんので、ここで勉強しますから、どうか許して下さい。」と言った。「そうだったらそうしなさい。」と親は言った。このように、少年の頃は、わんぱくで早熟なペークーは親たちに面倒をかけたそうである。私は、元気でいる間はね。無理だと思うことは全然してないからね。武勇でも、学問においても、彼より秀れた者は居なかったという話である。沖縄では…。そうだからと言って、他人を苦しめることは絶対になかったそうだ。「私の子孫に馬鹿なことをするのは出ないはずだ。」という遺言を残したそうだ。遺言だけれども、私話者が今、調べて見たんだけど、監獄とか、警察などに入れられて罪を受けた人は、私達の子孫にはいない。それはもう実際には居ないということである。
| レコード番号 | 47O370128 |
|---|---|
| CD番号 | 47O37C006 |
| 決定題名 | 渡嘉敷ペークー(方言) |
| 話者がつけた題名 | 渡嘉敷ペークー |
| 話者名 | 渡嘉敷兼求 |
| 話者名かな | とかしきけんきゅう |
| 生年月日 | 18800619 |
| 性別 | 男 |
| 出身地 | 沖縄県読谷村喜名 |
| 記録日 | 19770619 |
| 記録者の所属組織 | 読谷村民話調査団第1班 |
| 元テープ番号 | 読谷村喜名T07A04 |
| 元テープ管理者 | 読谷村立歴史民俗資料館 |
| 分類 | 13 |
| 発句(ほっく) | - |
| 伝承事情 | - |
| 文字化資料 | 読谷村民話資料集2喜名の民話 P102 |
| キーワード | ヌール,ウマチー,チージン御殿,読谷山,楚辺,喜名 |
| 梗概(こうがい) | 首里には昔、ノロというのがあったが知ってるかな。女達のノロといって…。ウマチーが盛んな頃に、白帽子をかぶって嶽々を拝み歩いている人がいたよ。それがあれば、チージン御殿といってね、この家を借りていた。県中のノロで、村にも幾人かいた。読谷山にも二、三人はいたんじゃないでしょうか。ヌール殿内といってあるが、ヌール殿内という所は、このノロの家のことである。この人たちは時々城に行って祈願したり、国の願いごとだけどね、ノロたちを神として信じていたので、服装もこの人たちは神の服装をさせて歩かせていたね。村でも、読谷山でいえば、宇座に一人、喜名にもおり、楚辺にもいたし、読谷山だけでも三人は居たよヌールが。それだけいたが、県中のノロが、何か用事があるとき、皆な城に集まって御願いをすることもあるし、また、何やかんや願い事があれば祝いもし踊ったりなどもしたそうだ。こうして、殆んど県中の仕事をする女もいた。それは無料ではなかった。ヌール地として多くの土地を県から与えられていた。そうだったので、首里にはノロが居たが、ぺークーは国頭の方に連れて行ったので、しまいには、国頭という所は、首里に比較すると、淋しいでしょう。八歳だけど、すぐ頭髪も乱れるほど急いで首里にやって来たそうだ。珍らしいことに、早熟だったんでしょうね。八歳になる子どもが、国頭から首里まで来たそうだから…。もうその時は、親たちに「叔父さんの所は淋しくてたまりませんので、ここで勉強しますから、どうか許して下さい。」と言った。「そうだったらそうしなさい。」と親は言った。このように、少年の頃は、わんぱくで早熟なペークーは親たちに面倒をかけたそうである。私は、元気でいる間はね。無理だと思うことは全然してないからね。武勇でも、学問においても、彼より秀れた者は居なかったという話である。沖縄では…。そうだからと言って、他人を苦しめることは絶対になかったそうだ。「私の子孫に馬鹿なことをするのは出ないはずだ。」という遺言を残したそうだ。遺言だけれども、私話者が今、調べて見たんだけど、監獄とか、警察などに入れられて罪を受けた人は、私達の子孫にはいない。それはもう実際には居ないということである。 |
| 全体の記録時間数 | 3:44 |
| 物語の時間数 | 3:44 |
| 言語識別 | 方言 |
| 音源の質 | ◎ |
| テープ番号 | - |
| 予備項目1 | - |