阿麻和利の話(方言混)

概要

七歳になっても阿麻和利は立つことが出来なかったので、親が川端に捨てて放って、あったそうだ。だけども親としては気の毒に思い、三度の食事は持って行ってあげたようだ。すると、阿麻和利は頭はすばらしく働いたが体が悪く足が立たなかった。今で言う健康不良児だね。彼は七歳になっても立てず、這って歩いていた。親が捨てたが、食事はその都度持って行って食べさせていた。ある時蛛の巣が張ってあるのを見て、親に、「こんな網を作りたいから、糸でも何でも持って来て。」と言うと、お母さんは、持って来てくれた。また、それに、暇もあるから、大きい網を作って、これで魚を獲ったそうです。そして彼はだんだん大きくなり丈夫になった。それで、今度は、屋慶名に行って作った網で魚を獲り、そこの部落の人達にあげると、「あなたの恩に何で報いましょうか。」と村人が言うと、「私にいざということがある時に男の人は出て来て欲しい。」と言った。後に阿麻和利はやはり、狙っていた勝連城を陥落したと言っておりました。阿麻和利は、頭はよかったが欲が深くて、今度は首里の王様から隅に置けない人だと目をつけられた。それで、自分の娘の百十踏揚(ももとふみあがり)を嫁にやれば、首里の中山に弓を引くことはないだろうと娘を彼に嫁がせた。娘に必ず何かが起こりそうな気がして王は隅に置けないことを知って、首里城から、ヤカーという子守り役と乳母をつけ、それに今でいうお手伝いと三名つけて、娘の結婚の時に送ったそうです。それは娘がお洗濯ができないという理由で洗濯をしたり、ヤカーお側付きは鬼大城(おにうふぐしく)がした。彼は一番大将だった。結婚後、阿麻和利はだんだん様子が変わっていった。それに気付いた鬼大城は、床下に隠れて寝泊りして、阿麻和利の様子を探った。すると、もう自分が気に入った役人たちを三名ぐらい集めて、あの首里城を攻める話をしていたそうです。それを聞いて鬼大城は百十踏揚に、「あなたは首里に帰った方が良い。」と言うと、しかし、「いったん嫁いでからは、百姓の嫁であってもよい。私はアマンジャナー(阿麻和利)の妻だから、あの城には帰りません。」と言った。だけどね、「この阿麻和利は、きっとあなたの親元の首里城に必ず弓を引くから、今のうちに私が背負ってあげるから逃げなさい」と言っても、百十踏揚は聞かなかった。今度はこの鬼大城が、「じゃ私は先になって行くから。」と歩いて行ったんでしょうね、首里まで歩いて三日かかり、六日で勝連に戻って来た。すると今度は、この鬼大城がそんな攻められる警戒けいかいをするように言っていたが、それが事実となって首里から攻めて来たそうだよ。それで鬼大城は、百十踏揚を背負って逃げたといわれている。逃げながらも、大きな石を投げて敵の兵隊を殺すほどに鬼大城は力が強かったそうだ。阿麻和利も、どうしてこんなに頭が良く、力のある私なのに、自分の妻に鬼大城がついて来たのだろうと、不思議がっていたらしい。だから、妻にも阿麻和利はあまり話さないようにしていた。いつでも妻が寝た時分に、こっそり三名集まって話していたそうだね。それから、阿麻和利が首里城の旗を掲げてやって来たので、護佐丸はそれが親の王様の旗印であることを知り、手向うことはしなかった。「その旗印がなければお前には負けないが、首里城の旗印だから、親に弓を引くわけにはいかない。自分の妻は向うの長女だから、親に弓を引くとは出来ない。私が切腹する。」と言って戦わなかった。妻子も殺してみんな死んでしまう。一番未っ子のカミジャーを、護佐丸が太刀を持ってこうして首を切ろうとした時はちょうど九月の十三夜だった。月の照る中でにっこり笑ったので、いじらしくて護佐丸もちょっと手をゆるめた、その隙に乳母が奪い取りおんぶして逃げたそうです。彼が成長して敵討するそのヤカーの家にですね、乳母と子守りが育て、その成長後に敵討ちをする。

再生時間:5:57

民話詳細DATA

レコード番号 47O370041
CD番号 47O37C002
決定題名 阿麻和利の話(方言混)
話者がつけた題名 屋良の阿麻和利
話者名 吉田ツル
話者名かな よしだつる
生年月日 19051010
性別
出身地 沖縄県読谷村喜名
記録日 19761017
記録者の所属組織 読谷村民話調査団第三班
元テープ番号 読谷村喜名T02B06
元テープ管理者 読谷村立歴史民俗資料館
分類 20
発句(ほっく)
伝承事情
文字化資料 読谷村民話資料集2喜名の民話 P186
キーワード 阿麻和利,勝連城跡,首里城,護佐丸,百十踏揚
梗概(こうがい) 七歳になっても阿麻和利は立つことが出来なかったので、親が川端に捨てて放って、あったそうだ。だけども親としては気の毒に思い、三度の食事は持って行ってあげたようだ。すると、阿麻和利は頭はすばらしく働いたが体が悪く足が立たなかった。今で言う健康不良児だね。彼は七歳になっても立てず、這って歩いていた。親が捨てたが、食事はその都度持って行って食べさせていた。ある時蛛の巣が張ってあるのを見て、親に、「こんな網を作りたいから、糸でも何でも持って来て。」と言うと、お母さんは、持って来てくれた。また、それに、暇もあるから、大きい網を作って、これで魚を獲ったそうです。そして彼はだんだん大きくなり丈夫になった。それで、今度は、屋慶名に行って作った網で魚を獲り、そこの部落の人達にあげると、「あなたの恩に何で報いましょうか。」と村人が言うと、「私にいざということがある時に男の人は出て来て欲しい。」と言った。後に阿麻和利はやはり、狙っていた勝連城を陥落したと言っておりました。阿麻和利は、頭はよかったが欲が深くて、今度は首里の王様から隅に置けない人だと目をつけられた。それで、自分の娘の百十踏揚(ももとふみあがり)を嫁にやれば、首里の中山に弓を引くことはないだろうと娘を彼に嫁がせた。娘に必ず何かが起こりそうな気がして王は隅に置けないことを知って、首里城から、ヤカーという子守り役と乳母をつけ、それに今でいうお手伝いと三名つけて、娘の結婚の時に送ったそうです。それは娘がお洗濯ができないという理由で洗濯をしたり、ヤカーお側付きは鬼大城(おにうふぐしく)がした。彼は一番大将だった。結婚後、阿麻和利はだんだん様子が変わっていった。それに気付いた鬼大城は、床下に隠れて寝泊りして、阿麻和利の様子を探った。すると、もう自分が気に入った役人たちを三名ぐらい集めて、あの首里城を攻める話をしていたそうです。それを聞いて鬼大城は百十踏揚に、「あなたは首里に帰った方が良い。」と言うと、しかし、「いったん嫁いでからは、百姓の嫁であってもよい。私はアマンジャナー(阿麻和利)の妻だから、あの城には帰りません。」と言った。だけどね、「この阿麻和利は、きっとあなたの親元の首里城に必ず弓を引くから、今のうちに私が背負ってあげるから逃げなさい」と言っても、百十踏揚は聞かなかった。今度はこの鬼大城が、「じゃ私は先になって行くから。」と歩いて行ったんでしょうね、首里まで歩いて三日かかり、六日で勝連に戻って来た。すると今度は、この鬼大城がそんな攻められる警戒けいかいをするように言っていたが、それが事実となって首里から攻めて来たそうだよ。それで鬼大城は、百十踏揚を背負って逃げたといわれている。逃げながらも、大きな石を投げて敵の兵隊を殺すほどに鬼大城は力が強かったそうだ。阿麻和利も、どうしてこんなに頭が良く、力のある私なのに、自分の妻に鬼大城がついて来たのだろうと、不思議がっていたらしい。だから、妻にも阿麻和利はあまり話さないようにしていた。いつでも妻が寝た時分に、こっそり三名集まって話していたそうだね。それから、阿麻和利が首里城の旗を掲げてやって来たので、護佐丸はそれが親の王様の旗印であることを知り、手向うことはしなかった。「その旗印がなければお前には負けないが、首里城の旗印だから、親に弓を引くわけにはいかない。自分の妻は向うの長女だから、親に弓を引くとは出来ない。私が切腹する。」と言って戦わなかった。妻子も殺してみんな死んでしまう。一番未っ子のカミジャーを、護佐丸が太刀を持ってこうして首を切ろうとした時はちょうど九月の十三夜だった。月の照る中でにっこり笑ったので、いじらしくて護佐丸もちょっと手をゆるめた、その隙に乳母が奪い取りおんぶして逃げたそうです。彼が成長して敵討するそのヤカーの家にですね、乳母と子守りが育て、その成長後に敵討ちをする。
全体の記録時間数 5:57
物語の時間数 5:57
言語識別 混在
音源の質
テープ番号
予備項目1

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