尚巴志と喜名(方言)

概要

あれは三百年になるでしょうね。三百年、四百年ばかりなるでしょうね。日本にね、薩摩に戦争負けてしまって、もう城から、王様は城から降りるでしょう。城は占領されるでしょう。あのね(尚巴志は)浦添ユードリにおられたようだ。それで、浦添ユードリは那覇からも首里からも内地からも近いので、佐敷からも近いので、「読谷方面にいらして下さい。」と言った。そしたら、夜担いで、生きている時に夜担いで、ここに、伊良皆のはなれ(別棟)の下に入れられたようだ。〈この人は佐敷王子。それは尚巴志のことかな?位は尚巴志(王)になっているでしよう。)それで生きておられる時にお連れした。だから水を、井戸から掘らないといけないので、伊良皆のサシジャーは夜掘ったらしい。夜ね。水がないと生きることはできないといって、サシジャーは夜掘った。伊良皆のサシジャーはね。佐敷王子のために。この尚巴志王は佐敷(知念村)の人だったのでね。それから、浦添ユードリにもいらしたそうだが、ここ(伊良皆)に担(かつ)いでいらしたので、もう浦添は世はうすれた、世うすり、世うすりといって、世はうすれたといってね。それから、伊良皆の部落に、もうまた偉い人達が、この人(尚巴志)の敵が伊良皆の部落に(他所から)いらしたが、この伊良皆の部落は寄留は誰も入れてありません。道の東側からここに按司がおられたようだが、(追手が)「情報を知らしてくれ。」と言ったようだ。〈伊良皆のその人達は区長だったのでしょうね〉だから、「伊良皆の部落には寄留民(きりゅうみん)はいないですよ。」と言った。「それでは来たしるしに何でも下さい。」「何もくれなかったら、私達は来たかいがない。どのように上の(人に)返答したらいいか。」と言った。すると、「それではもう」と言ってすぐラッキョウを持ってこられた。〈昔からラッキョウはあった。このラッキョウは有名だった。〉それで、伊良皆の部落は寄留民は住みつかない。寄留民は住みつかなくなった。このような習慣から。今はもう世も経てアメリカ世になった。そんなことで、伊良皆の大親一門はあそこから(浦添)逃げてきた。夜暗に乗じて。そして、ここには尚巴志王の墓や(サシジャー)森など(関係するものが)四つも五つもあるはずだが。〈山内のおじいさんはこんな事よく知っているはずだが。私は半分しか分らない。〉それで、寄留は入らなかった。「私達の部落は寄留は育ちません。この部落から北の喜名の部落は、村の人からも寄留は歓迎されるので、あそこにいらして下さい。」と言った。これで、喜名の部落は各地からの寄留も成功した。伊良皆はその時から、佐久川というのと野村という二世帯が加入されたが、子も生まれない、金も儲けられなくて帰って行った。それで、私達の部落からちょっと、すこし歩いて、すぐ上に行かれたら、沢山の寄留があっちからもこっちからも寄ってできた部落なのだが(尚巴志を敵から守るために)その人は寄留はしてないと言う為に、「私達の部落は寄留は入っておりません。寄留民は住んでおりません。喜名の部落にいらして下さい。」(と言った。)それから、この喜名の部落には寄留がどんどん来て、部落は栄えていた。〈昔から崎浜ではね、私達のおじいさんは区長だったようだが、私の夫の祖父が昔、言われていたのだが。それから(寄留には)タゲーウヤ(互親)というのが必要だった。その人が保証人。タゲーウヤと言ってね。 それで今は、崎浜のように、この比嘉のおばあさんが(元気で)いらっしゃる間は、私達も年頭に行っていた。あの人達が幼い間は崎浜からよくいらしていたよ。現在は(先に来た)一人々を頼りに誰でも来たら、どんどん入れるでしょう。昔はそうではなかったそうだ。村の人の前にこのように寄って来るのだから、この人が何かやらかしたら、あなたが(責任者という)保証。だから喜名の部落はとても栄えて、あそこは(伊良皆)ちょっとむずかしかったようだ。伊良皆の部落には、寄留民は絶対誰もいらっしゃいません。と寄留を断わる為に言った。「寄留は育ちません。喜名に行って下さい。喜名へどうぞ」と断わった。「それではあなたの部落に来たしるしに何でも持たせて下さい。」と言ったら、何も持たせるものはないでしょう。もうこのラッキョウだったらあげることができるということだった。伊良皆のその時の区長が議員だったのでしょうね。伊波上地のおじいさんだったようだ。私はこんなことを聞いたよ。ラッキョウを何株かね。必ず数を決めてね。七、五、三とかで、ラッキョウを掘って(あげたら)帰って行かれた。それで、喜名の部落は寄留が沢山いた。本当のことですよ。伊良皆には早くいらしたようだが、仲吉家の側に、野村や佐久川という二世帯がいらしたが、亡くなられたようだ。部落では子供もできなかったし金(かね)儲(もー)けもできないままに亡くなってしまった。もう、部落の西側になっているからね。元の部落ではないから。伊良皆の部落の三叉路から尚巴志は入っているからね。それに、夜、井戸を掘った。佐敷の部落をつくった王だったのでサシガー、サシジャーという井戸の名をつけたということだ。(尚巴志が)生きているうちに(ここへ)いらしたので。

再生時間:6:59

民話詳細DATA

レコード番号 47O370038
CD番号 47O37C002
決定題名 尚巴志と喜名(方言)
話者がつけた題名 浦添ユードゥリ
話者名 松田ナエ
話者名かな まつだなえ
生年月日 18970422
性別
出身地 沖縄県読谷村喜名
記録日 19761017
記録者の所属組織 読谷村民話調査団第三班
元テープ番号 読谷村喜名T02B04
元テープ管理者 読谷村立歴史民俗資料館
分類 20
発句(ほっく)
伝承事情
文字化資料 読谷村民話資料集2喜名の民話 P154
キーワード 浦添ユードゥリ,尚巴志,佐敷王子,伊良皆サシジャー
梗概(こうがい) あれは三百年になるでしょうね。三百年、四百年ばかりなるでしょうね。日本にね、薩摩に戦争負けてしまって、もう城から、王様は城から降りるでしょう。城は占領されるでしょう。あのね(尚巴志は)浦添ユードリにおられたようだ。それで、浦添ユードリは那覇からも首里からも内地からも近いので、佐敷からも近いので、「読谷方面にいらして下さい。」と言った。そしたら、夜担いで、生きている時に夜担いで、ここに、伊良皆のはなれ(別棟)の下に入れられたようだ。〈この人は佐敷王子。それは尚巴志のことかな?位は尚巴志(王)になっているでしよう。)それで生きておられる時にお連れした。だから水を、井戸から掘らないといけないので、伊良皆のサシジャーは夜掘ったらしい。夜ね。水がないと生きることはできないといって、サシジャーは夜掘った。伊良皆のサシジャーはね。佐敷王子のために。この尚巴志王は佐敷(知念村)の人だったのでね。それから、浦添ユードリにもいらしたそうだが、ここ(伊良皆)に担(かつ)いでいらしたので、もう浦添は世はうすれた、世うすり、世うすりといって、世はうすれたといってね。それから、伊良皆の部落に、もうまた偉い人達が、この人(尚巴志)の敵が伊良皆の部落に(他所から)いらしたが、この伊良皆の部落は寄留は誰も入れてありません。道の東側からここに按司がおられたようだが、(追手が)「情報を知らしてくれ。」と言ったようだ。〈伊良皆のその人達は区長だったのでしょうね〉だから、「伊良皆の部落には寄留民(きりゅうみん)はいないですよ。」と言った。「それでは来たしるしに何でも下さい。」「何もくれなかったら、私達は来たかいがない。どのように上の(人に)返答したらいいか。」と言った。すると、「それではもう」と言ってすぐラッキョウを持ってこられた。〈昔からラッキョウはあった。このラッキョウは有名だった。〉それで、伊良皆の部落は寄留民は住みつかない。寄留民は住みつかなくなった。このような習慣から。今はもう世も経てアメリカ世になった。そんなことで、伊良皆の大親一門はあそこから(浦添)逃げてきた。夜暗に乗じて。そして、ここには尚巴志王の墓や(サシジャー)森など(関係するものが)四つも五つもあるはずだが。〈山内のおじいさんはこんな事よく知っているはずだが。私は半分しか分らない。〉それで、寄留は入らなかった。「私達の部落は寄留は育ちません。この部落から北の喜名の部落は、村の人からも寄留は歓迎されるので、あそこにいらして下さい。」と言った。これで、喜名の部落は各地からの寄留も成功した。伊良皆はその時から、佐久川というのと野村という二世帯が加入されたが、子も生まれない、金も儲けられなくて帰って行った。それで、私達の部落からちょっと、すこし歩いて、すぐ上に行かれたら、沢山の寄留があっちからもこっちからも寄ってできた部落なのだが(尚巴志を敵から守るために)その人は寄留はしてないと言う為に、「私達の部落は寄留は入っておりません。寄留民は住んでおりません。喜名の部落にいらして下さい。」(と言った。)それから、この喜名の部落には寄留がどんどん来て、部落は栄えていた。〈昔から崎浜ではね、私達のおじいさんは区長だったようだが、私の夫の祖父が昔、言われていたのだが。それから(寄留には)タゲーウヤ(互親)というのが必要だった。その人が保証人。タゲーウヤと言ってね。 それで今は、崎浜のように、この比嘉のおばあさんが(元気で)いらっしゃる間は、私達も年頭に行っていた。あの人達が幼い間は崎浜からよくいらしていたよ。現在は(先に来た)一人々を頼りに誰でも来たら、どんどん入れるでしょう。昔はそうではなかったそうだ。村の人の前にこのように寄って来るのだから、この人が何かやらかしたら、あなたが(責任者という)保証。だから喜名の部落はとても栄えて、あそこは(伊良皆)ちょっとむずかしかったようだ。伊良皆の部落には、寄留民は絶対誰もいらっしゃいません。と寄留を断わる為に言った。「寄留は育ちません。喜名に行って下さい。喜名へどうぞ」と断わった。「それではあなたの部落に来たしるしに何でも持たせて下さい。」と言ったら、何も持たせるものはないでしょう。もうこのラッキョウだったらあげることができるということだった。伊良皆のその時の区長が議員だったのでしょうね。伊波上地のおじいさんだったようだ。私はこんなことを聞いたよ。ラッキョウを何株かね。必ず数を決めてね。七、五、三とかで、ラッキョウを掘って(あげたら)帰って行かれた。それで、喜名の部落は寄留が沢山いた。本当のことですよ。伊良皆には早くいらしたようだが、仲吉家の側に、野村や佐久川という二世帯がいらしたが、亡くなられたようだ。部落では子供もできなかったし金(かね)儲(もー)けもできないままに亡くなってしまった。もう、部落の西側になっているからね。元の部落ではないから。伊良皆の部落の三叉路から尚巴志は入っているからね。それに、夜、井戸を掘った。佐敷の部落をつくった王だったのでサシガー、サシジャーという井戸の名をつけたということだ。(尚巴志が)生きているうちに(ここへ)いらしたので。
全体の記録時間数 6:59
物語の時間数 6:59
言語識別 方言
音源の質
テープ番号
予備項目1

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