坊主御主とタカハンジャー(共通語)

概要

浦添の小湾という所、今の拓南製鉄のある所に、坊主御主の別荘があった。そして、そこで野菜づくりをして那覇の市場に出していた。また、百姓も出していたが、坊主御主の作物が上出来だったので、百姓のものは売れなかった。それで、捨てるわけにもいかず、作物を持ち帰る途中で、「あの坊主御主の夕顔(ゆうがお)が上出来して、田舎の物が売れない。」と話しているのを坊主御主が聞いてその晩、馬に乗って野菜畑に行き、その野菜を踏みつぶしてしまった。それから、また昔の王は、こっちの喜名に来た時もすべて王の勝手だから、沖縄でも名高い美人の翁長マジルーも自分の手に入れようとしたが、それは難かしかった。それから、「アラティチュラナビー」という人も手に入れようとしたが出来なかった。それで喜名に那覇の壷屋から瓦を焼く人を連れて来た。沖縄の壷屋はこっちが最初で、喜名焼といって有名だが、こっちから始まった。坊主御主が色々なことをして美人たちを惑わしたので、ナビーも夫婦別れして逃げてしまったそうだ。このタカハンジャーという人は、今の水戸黄門のようなものだった。女に悪いこともしなかった。だから坊主御主とは仲が良かった。沖縄には私(タカハンジャー)より強い人はいないと思うが、王に勝たせて喜ばせ、何でも得になろうと考え、王との相撲に意図的に負けて、私に勝った人は居ないがなぁと残念がってみせたが、坊主御主はその人の心の中を知らなかった。それで壷屋も持って来たが、これはタカハンジャーの計画だった。そして壷屋は喜名から始まり、那覇や知花にも及んだ。知花焼といって有名である。壷屋の元祖は喜名にあるが、坊主御主はいつまでも自分勝手ではいけないと思ったのかまた小湾に帰り、そこで世を去ったのでしょう。あの坊主御主は偉かったそうだ。

再生時間:4:27

民話詳細DATA

レコード番号 47O370007
CD番号 47O37C001
決定題名 坊主御主とタカハンジャー(共通語)
話者がつけた題名 坊主御主
話者名 比嘉正貞
話者名かな ひがせいてい
生年月日 19000925
性別
出身地 沖縄県読谷村喜名
記録日 19761017
記録者の所属組織 読谷村民話調査団第一班
元テープ番号 読谷村喜名T01A06
元テープ管理者 読谷村立歴史民俗資料館
分類 20
発句(ほっく)
伝承事情
文字化資料 読谷村民話資料集2喜名の民話 P213
キーワード 喜名焼き,タカハンジャー,坊主御主,知花焼き,壷屋
梗概(こうがい) 浦添の小湾という所、今の拓南製鉄のある所に、坊主御主の別荘があった。そして、そこで野菜づくりをして那覇の市場に出していた。また、百姓も出していたが、坊主御主の作物が上出来だったので、百姓のものは売れなかった。それで、捨てるわけにもいかず、作物を持ち帰る途中で、「あの坊主御主の夕顔(ゆうがお)が上出来して、田舎の物が売れない。」と話しているのを坊主御主が聞いてその晩、馬に乗って野菜畑に行き、その野菜を踏みつぶしてしまった。それから、また昔の王は、こっちの喜名に来た時もすべて王の勝手だから、沖縄でも名高い美人の翁長マジルーも自分の手に入れようとしたが、それは難かしかった。それから、「アラティチュラナビー」という人も手に入れようとしたが出来なかった。それで喜名に那覇の壷屋から瓦を焼く人を連れて来た。沖縄の壷屋はこっちが最初で、喜名焼といって有名だが、こっちから始まった。坊主御主が色々なことをして美人たちを惑わしたので、ナビーも夫婦別れして逃げてしまったそうだ。このタカハンジャーという人は、今の水戸黄門のようなものだった。女に悪いこともしなかった。だから坊主御主とは仲が良かった。沖縄には私(タカハンジャー)より強い人はいないと思うが、王に勝たせて喜ばせ、何でも得になろうと考え、王との相撲に意図的に負けて、私に勝った人は居ないがなぁと残念がってみせたが、坊主御主はその人の心の中を知らなかった。それで壷屋も持って来たが、これはタカハンジャーの計画だった。そして壷屋は喜名から始まり、那覇や知花にも及んだ。知花焼といって有名である。壷屋の元祖は喜名にあるが、坊主御主はいつまでも自分勝手ではいけないと思ったのかまた小湾に帰り、そこで世を去ったのでしょう。あの坊主御主は偉かったそうだ。
全体の記録時間数 4:27
物語の時間数 4:27
言語識別 共通語
音源の質
テープ番号
予備項目1

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