
この赤犬子(あかいんこ)とおっしゃる人は、大昔、初めて沖縄に三味線を持っていらっしゃった人です。それで、その三味線を伝えるために、この人は村々里々、沖縄中をこうして巡って、「これは、三味線というものだよ。」と、人々に披露するために、あちらこちらを巡って歩いておられた。丁度、東海岸を巡って西海岸の瀬良垣部落を通りかかると、浜の方で、もう大勢の人々が集まって、 ぐゎさぐゎさしているのをこの赤大子とおっしゃる人が見て、「なんだろうあんなに大勢の人が集まって、浜に集まっているのはどうしたんだろう。」と、近寄って見てみると、瀬良垣の村人たちが山の木で、大変大きな船を造って、船は造ったのだが名前のつけ方がわからない。村人が「さあ、これはどうしたらよいものかと皆集まっているのだが。」、ということを赤大子に話すと、赤犬子は「なあんだ、そのくらいの名前すらつけることができないのか。」と言ったので、「お前が。うすぎたない物乞のような者に、名付けのことがわかるものか。」と、ばかにしてかかったらしい。この赤大子も感じは良くなかったのでしょう。「では、私が名前を付けよう。」「それでは、何とつけるか。」と言ったので、「瀬良垣、これは水の上から走るので、その船というのは瀬良垣水船とつけなさい。」と、このように付けたらしい。すると、もう瀬良垣の人は「これは不思議なやつだどう見ても乞食のようだが、この名前もこんなに簡単にこうしてつけて。そうだ、これはあいつが言うように水の上に浮くのだから水船がいいかもしれない。」と。それで、その船の一番旅は、山からのものを積んで那覇へ向け、海に浮かべて出発したようだ。すると、丁度(ちょうど)、残波岬の沖あいを通過しようとした時に、船はひっくり返ってしまった、その船は。これを知った瀬良垣の村中の人々は怒って、「あいつは、くわせものだ。これはいつかやつの所に行って、楚辺だと言っていたから、楚辺まで行って殺してこなければならない。」と言って、村中で語り合っていたようだ。さて、そんなことがあって後から、赤大子とおっしゃる人は、恩納を越え、屋嘉田も越えて、今度は谷茶にさしかかると、やはり谷茶でも浜に人が集っていて、瀬良垣のようにぐゎさぐゎさしているので「あれ、ここも不思議だ。」と思って「どうしてこんなに大勢、浜に集まって、わさわさしているのか。」と、聞いてみると、「はい、旅の御方、じつはこうこういう訳で、船は造ったのですが、この船の名前を付けることができなくてそれぞれ言いあい、このようにしているのですよ。」「ああ、そういう訳なのか。」と。もう谷茶の人は、やっぱり親切な所ですから、「御茶をさしあげましょう。」というふうに、大変もてなしたらしいですよ、赤大子を。そしたら、その赤犬子という人は、ちょうど考えた。「そうだ、これはいい考えだ。」というと、「それでは、どのように付けてくださるのか。」と、聞かれたので、「谷茶水船、いや、走(はい)船だ。谷茶走船(はいふね)。」と、名をつけたらしいですよ、谷茶走船、これは有名ですよ。そしたら、さあ、その船のよく走ったこと、止まるどころじゃないですよお、とても走ったというんですから。そういう伝説があってですね。そういうことがあって後、この赤犬子を、以前に船の名をつけてやった瀬良垣の村中の人が、皆、手に手に棒から何から、鎌やいろんな道具を持って、大昔の事ですから、その赤犬子を殺しにと、楚辺に来たらしいですよ。そこで呼び出して、赤犬子を呼び出して、もちろん殺すつもりですからね、それで「お前は、そこに居るのか。」と、もちろん、この赤犬子はわかっているわけですよ。「ああ、こいつらは私を殺しに来ているのだな。」と。「おい、お前らは私を殺しに来たのだろう。」と、聞くと、「そうだ。お前は今日限り許すわけにはいかぬ、お前を殺す。」というので「では、殺せるものなら殺してみる。」と、言うと同時に、煙になって消えてしまったのですからね。この話は、あくまでも三味線を教えてもらった、私の先生から聞いた話です。
| レコード番号 | 47O376369 |
|---|---|
| CD番号 | 47O37C256 |
| 決定題名 | 赤犬子(共通語混) |
| 話者がつけた題名 | - |
| 話者名 | 名城一郎 |
| 話者名かな | なしろいちろう |
| 生年月日 | 19080509 |
| 性別 | 男 |
| 出身地 | 沖縄県恩納村山田 |
| 記録日 | 19760516 |
| 記録者の所属組織 | 沖縄口承文芸学術調査団 |
| 元テープ番号 | 恩納村T39A11 |
| 元テープ管理者 | 沖縄伝承話資料センター |
| 分類 | 20 |
| 発句(ほっく) | - |
| 伝承事情 | 三線の先生から聞いた。 |
| 文字化資料 | 『恩納村の民話・伝説編』P91 |
| キーワード | 赤犬子,三味線,瀬良垣部落,浜,船,物乞,瀬良垣水船,船はひっくり返った,楚辺,恩納,屋嘉田も,谷茶,大変もてなした,谷茶走船 |
| 梗概(こうがい) | この赤犬子(あかいんこ)とおっしゃる人は、大昔、初めて沖縄に三味線を持っていらっしゃった人です。それで、その三味線を伝えるために、この人は村々里々、沖縄中をこうして巡って、「これは、三味線というものだよ。」と、人々に披露するために、あちらこちらを巡って歩いておられた。丁度、東海岸を巡って西海岸の瀬良垣部落を通りかかると、浜の方で、もう大勢の人々が集まって、 ぐゎさぐゎさしているのをこの赤大子とおっしゃる人が見て、「なんだろうあんなに大勢の人が集まって、浜に集まっているのはどうしたんだろう。」と、近寄って見てみると、瀬良垣の村人たちが山の木で、大変大きな船を造って、船は造ったのだが名前のつけ方がわからない。村人が「さあ、これはどうしたらよいものかと皆集まっているのだが。」、ということを赤大子に話すと、赤犬子は「なあんだ、そのくらいの名前すらつけることができないのか。」と言ったので、「お前が。うすぎたない物乞のような者に、名付けのことがわかるものか。」と、ばかにしてかかったらしい。この赤大子も感じは良くなかったのでしょう。「では、私が名前を付けよう。」「それでは、何とつけるか。」と言ったので、「瀬良垣、これは水の上から走るので、その船というのは瀬良垣水船とつけなさい。」と、このように付けたらしい。すると、もう瀬良垣の人は「これは不思議なやつだどう見ても乞食のようだが、この名前もこんなに簡単にこうしてつけて。そうだ、これはあいつが言うように水の上に浮くのだから水船がいいかもしれない。」と。それで、その船の一番旅は、山からのものを積んで那覇へ向け、海に浮かべて出発したようだ。すると、丁度(ちょうど)、残波岬の沖あいを通過しようとした時に、船はひっくり返ってしまった、その船は。これを知った瀬良垣の村中の人々は怒って、「あいつは、くわせものだ。これはいつかやつの所に行って、楚辺だと言っていたから、楚辺まで行って殺してこなければならない。」と言って、村中で語り合っていたようだ。さて、そんなことがあって後から、赤大子とおっしゃる人は、恩納を越え、屋嘉田も越えて、今度は谷茶にさしかかると、やはり谷茶でも浜に人が集っていて、瀬良垣のようにぐゎさぐゎさしているので「あれ、ここも不思議だ。」と思って「どうしてこんなに大勢、浜に集まって、わさわさしているのか。」と、聞いてみると、「はい、旅の御方、じつはこうこういう訳で、船は造ったのですが、この船の名前を付けることができなくてそれぞれ言いあい、このようにしているのですよ。」「ああ、そういう訳なのか。」と。もう谷茶の人は、やっぱり親切な所ですから、「御茶をさしあげましょう。」というふうに、大変もてなしたらしいですよ、赤大子を。そしたら、その赤犬子という人は、ちょうど考えた。「そうだ、これはいい考えだ。」というと、「それでは、どのように付けてくださるのか。」と、聞かれたので、「谷茶水船、いや、走(はい)船だ。谷茶走船(はいふね)。」と、名をつけたらしいですよ、谷茶走船、これは有名ですよ。そしたら、さあ、その船のよく走ったこと、止まるどころじゃないですよお、とても走ったというんですから。そういう伝説があってですね。そういうことがあって後、この赤犬子を、以前に船の名をつけてやった瀬良垣の村中の人が、皆、手に手に棒から何から、鎌やいろんな道具を持って、大昔の事ですから、その赤犬子を殺しにと、楚辺に来たらしいですよ。そこで呼び出して、赤犬子を呼び出して、もちろん殺すつもりですからね、それで「お前は、そこに居るのか。」と、もちろん、この赤犬子はわかっているわけですよ。「ああ、こいつらは私を殺しに来ているのだな。」と。「おい、お前らは私を殺しに来たのだろう。」と、聞くと、「そうだ。お前は今日限り許すわけにはいかぬ、お前を殺す。」というので「では、殺せるものなら殺してみる。」と、言うと同時に、煙になって消えてしまったのですからね。この話は、あくまでも三味線を教えてもらった、私の先生から聞いた話です。 |
| 全体の記録時間数 | 4:16 |
| 物語の時間数 | 4:16 |
| 言語識別 | 混在 |
| 音源の質 | △ |
| テープ番号 | - |
| 予備項目1 | - |