吉屋チルー(共通語)

概要

親から聞いた話ですね。吉屋(ゆしや)は、名護(なご)ぬビーマタの人であった、名護ぬビーマタ。それでですね、ビーマタの人であってですね、あれが六歳の時にですよ、家がひじょうに貧困してですね、心配して、それで、もう人に身売りをしなければいけないというふうで、読谷(よみたん)のですね、座喜味(ざきみ)ぬ楚辺(すび)祝女殿内(ぬるどぅんち)という所に身売りされたそうですよ。その身売りがですよ、あんたがたがお知りないでしょうが、芋かすですね、芋をすってつくった芋かすのですね、三升、袋に入れた三升、あれと交換されたそうですよ。あぬ楚辺祝女殿内と、芋かす三升と交換され、そして、交換されてむこうに行く時ですよ。「餓死年(がしどぅし)に生(う)まり 食(か)むる物(むん)無(ね)らん〔餓死の年に生まれ食べる物もないので〕芋(うむ)かすぬ三升(さんじょ) 身売(みう)りさりてい〔芋かす三升で身売りされてしまった。〕」と歌やったそうですよ。それで、その歌をやってむこうに行ってですよ。それで子守りしておる時にですね。それからしし玉というのがあるが、あんたがたおわかりですか。あれをですね、昔糸にぬいてここにはいて子供が遊びよったんですよ。それをね、ぬいて遊ぶ時にですよ、その吉屋がやった歌がですね、「結(むす)でぃある糸(いとう)ぬ 今(なま)切(ち)りんやりば〔結んである糸がすぐに切れるものなら〕百八(ひゃくはち)ぬ玉(たま) 貫(ぬ)かんたしが〔百八の玉は貫かなかったのに〕。」それで、百八の玉といって吉屋が歌やったんですよ。それを家族の人がですね、その玉をよんだら百八あったという。そこで成長してですよ。それから辻仲島(ちーじなかしま)という店が昔の那覇にあってですね、あそこに身売りされて連れていかれる時にやっぱり、「恨(うら)む比謝橋(ひじゃばし)や 情(なさき)無(ね)ん人(ひとう)ぬ(恨むこの比謝橋は情もない人が) 我身(わん)渡(わた)さたみに 架(か)きてぃうちぇら(私を渡すために架けておいてあるのか)。」といって、歌やったそうです。だから、いろいろそのふる読谷山(ゆみたんじゃ)とか、どことかかんとか言(い)うんですがね、私が聞いた話は名護のビーマタであったという話ですね。それでその吉屋がやった歌ですよ。「君(いやー)やうが近(ちちゃ)さ 銭(じん)ぐちぐ通(かゆ)わ〔お前はこんなに近くで銭で通ってこれるのに〕私身(わん)やあが遠(とう)さなぬ 名護ぬビーマタ〔私ははるか遠くの名護のビーマタである〕。」と言って、その歌もやったそうですよ。だから今、新聞なんか芝居なんかがやる歌はですね、これはわれらが聞いた昔の時代とは正反対ではないかと思いますね。それから身売りされて、辻(ちじ)に行ってですね、渡地(わたんじ)に行ってですよ、むこうでジュリアンマーがですよ、いろいろ金儲けのために、乞食といいますか、昔のですね、今で言えば、もうルンペン、乞食ですね、あれにですよ、吉屋を買わしたそうですよ。よばしてですね、で、朝早くお客さんは皆早く、いい人の客は早く出て行ったそうですよ。出て行くと、この吉屋は、「これは日頃のお客さんとは変っているが、これはめずらしいもんだ。」と思ったんですね。そしたらやっぱり乞食であった。それで悔んで飯も食わずにですね、餓死して、それから戸棚といいますか、タンスの中でくるまって死んだ。死んでですよ、ジュリアンマーは、茶びんを持って行って、毎日その御茶湯(うちゃとー)といいましょうか、わかるでしょう、それを供えた時に吉屋が墓の中でですね、「生(い)ちちうる間(うえだ)や 我身(わん)すそにしちょてぃ〔生きている間は、私をそまつにしておいて〕死(し)にばかんさどぅ 通(かゆ)てぃぬすが〔死んでしまって後に通って何になるか〕。」と言って、吉屋が、死んでおる吉屋が歌やったという。これもうそかも知れませんがね、由来だから、はい。それでですね、それっきりアンマーもその後から行かなかったという話ですね。

再生時間:5:18

民話詳細DATA

レコード番号 47O376340
CD番号 47O37C255
決定題名 吉屋チルー(共通語)
話者がつけた題名
話者名 大城健繁
話者名かな おおしろけんぱん
生年月日 18970929
性別
出身地 沖縄県恩納村瀬良垣
記録日 19760227
記録者の所属組織 沖縄口承文芸学術調査団
元テープ番号 恩納村T36B24
元テープ管理者 沖縄伝承話資料センター
分類 20
発句(ほっく)
伝承事情 親から聞いた。
文字化資料 『恩納村の民話・伝説編』P188
キーワード 吉屋,名護ぬビーマタの人,貧困,身売り,読谷,楚辺祝女殿内,芋かす三升と交換,歌,辻仲島,乞食,ジュリアンマー,墓の中
梗概(こうがい) 親から聞いた話ですね。吉屋(ゆしや)は、名護(なご)ぬビーマタの人であった、名護ぬビーマタ。それでですね、ビーマタの人であってですね、あれが六歳の時にですよ、家がひじょうに貧困してですね、心配して、それで、もう人に身売りをしなければいけないというふうで、読谷(よみたん)のですね、座喜味(ざきみ)ぬ楚辺(すび)祝女殿内(ぬるどぅんち)という所に身売りされたそうですよ。その身売りがですよ、あんたがたがお知りないでしょうが、芋かすですね、芋をすってつくった芋かすのですね、三升、袋に入れた三升、あれと交換されたそうですよ。あぬ楚辺祝女殿内と、芋かす三升と交換され、そして、交換されてむこうに行く時ですよ。「餓死年(がしどぅし)に生(う)まり 食(か)むる物(むん)無(ね)らん〔餓死の年に生まれ食べる物もないので〕芋(うむ)かすぬ三升(さんじょ) 身売(みう)りさりてい〔芋かす三升で身売りされてしまった。〕」と歌やったそうですよ。それで、その歌をやってむこうに行ってですよ。それで子守りしておる時にですね。それからしし玉というのがあるが、あんたがたおわかりですか。あれをですね、昔糸にぬいてここにはいて子供が遊びよったんですよ。それをね、ぬいて遊ぶ時にですよ、その吉屋がやった歌がですね、「結(むす)でぃある糸(いとう)ぬ 今(なま)切(ち)りんやりば〔結んである糸がすぐに切れるものなら〕百八(ひゃくはち)ぬ玉(たま) 貫(ぬ)かんたしが〔百八の玉は貫かなかったのに〕。」それで、百八の玉といって吉屋が歌やったんですよ。それを家族の人がですね、その玉をよんだら百八あったという。そこで成長してですよ。それから辻仲島(ちーじなかしま)という店が昔の那覇にあってですね、あそこに身売りされて連れていかれる時にやっぱり、「恨(うら)む比謝橋(ひじゃばし)や 情(なさき)無(ね)ん人(ひとう)ぬ(恨むこの比謝橋は情もない人が) 我身(わん)渡(わた)さたみに 架(か)きてぃうちぇら(私を渡すために架けておいてあるのか)。」といって、歌やったそうです。だから、いろいろそのふる読谷山(ゆみたんじゃ)とか、どことかかんとか言(い)うんですがね、私が聞いた話は名護のビーマタであったという話ですね。それでその吉屋がやった歌ですよ。「君(いやー)やうが近(ちちゃ)さ 銭(じん)ぐちぐ通(かゆ)わ〔お前はこんなに近くで銭で通ってこれるのに〕私身(わん)やあが遠(とう)さなぬ 名護ぬビーマタ〔私ははるか遠くの名護のビーマタである〕。」と言って、その歌もやったそうですよ。だから今、新聞なんか芝居なんかがやる歌はですね、これはわれらが聞いた昔の時代とは正反対ではないかと思いますね。それから身売りされて、辻(ちじ)に行ってですね、渡地(わたんじ)に行ってですよ、むこうでジュリアンマーがですよ、いろいろ金儲けのために、乞食といいますか、昔のですね、今で言えば、もうルンペン、乞食ですね、あれにですよ、吉屋を買わしたそうですよ。よばしてですね、で、朝早くお客さんは皆早く、いい人の客は早く出て行ったそうですよ。出て行くと、この吉屋は、「これは日頃のお客さんとは変っているが、これはめずらしいもんだ。」と思ったんですね。そしたらやっぱり乞食であった。それで悔んで飯も食わずにですね、餓死して、それから戸棚といいますか、タンスの中でくるまって死んだ。死んでですよ、ジュリアンマーは、茶びんを持って行って、毎日その御茶湯(うちゃとー)といいましょうか、わかるでしょう、それを供えた時に吉屋が墓の中でですね、「生(い)ちちうる間(うえだ)や 我身(わん)すそにしちょてぃ〔生きている間は、私をそまつにしておいて〕死(し)にばかんさどぅ 通(かゆ)てぃぬすが〔死んでしまって後に通って何になるか〕。」と言って、吉屋が、死んでおる吉屋が歌やったという。これもうそかも知れませんがね、由来だから、はい。それでですね、それっきりアンマーもその後から行かなかったという話ですね。
全体の記録時間数 5:18
物語の時間数 5:18
言語識別 共通語
音源の質
テープ番号
予備項目1

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