謝名大主と姉妹(シマグチ)

概要

謝名(じゃな)の大主(おおぬし)という親方(おやかた)なんだが、その人が八月十五夜に家来たちを連れて首里から大山の伊佐浜(いさはま)へ月見に来てるんだよ。ところでな、昔は豆腐を作るときは海水を汲んできて、それで作ったんだ。今はそんなにはしないはずだがな。それで、大山のウトゥチル、ウミナイという姉妹二人が潮水を汲みにそこに来たんだ。そしたら、謝名の大主たちは首里(しゅり)から来ているので、二人に「近くに寄れ。」と言ったんだ。「寄れ。」と言うので二人は寄ったんだな。謝名の大主が、「どこの者か、酒を注いてくれ。」と言うので、注いで飲ましたんだ。それから「君たちの村はどこか。」と聞くので、「大山です。」と答えたんだな。「そうか親は何という名だ。」と言うんで、二人は、「親は居ります。」と答えたんだ。それで、二人が親を呼んだら、謝名の大主が、「お前の子ども二人のうちひとりは私の妻にくれ。」と言うんで、親は、「できません。」とことわったんだ。「首里の侍の嫁にはできない。」「いいなずけと縁を結んであるからな。」と言っであったらしいが、殺されてしまったんだ、その親は。それでこの娘たちは親のあだを討つつもりで山原(やんばる)へ行くんだ。国頭の北山城の按司の参謀で、湧川(わくがー)の按司というのがいるが、その人を頼って行くんだ。二人は湧川を頼って山原まで行くが、途中、山田まで来たわけだ。そしたら、山田にはフェーラーが出たんだよ、昔は、フェーラーとは、人の物を盗る追いはぎのことをいうんだ。それで、姉妹は驚いて、喜名の役場に泊まったんだ。役場とは呼ばないで、番所と呼んだんだ、私たちの時代までは。番所だったんだ、明治時代は。二人は番所に泊まって、翌日出発したんだ。みんな歩いて行くんだからな。そこで、姉が歌を詠んだわけだ。「今出てきた私たちは大山シタグの子ども ウミチルとウトゥチルだ 旅に出てもう多幸山だ 馴れない山道は、歩みづらいことだ。」それから、「恩納岳(おんなだけ)にかかる白雲をみると 休むつもりの瀬良垣(せらかき)に 早く着かぬかと 気がはやる。」と、歌を詠んだんだ。それから、「花の与座、鳴くな浜千島 月旅立ちの 思いつのって。」それから、許田に行ったらな。そこは、昔は湖辺底(くひんずく)といったんだ。道があるでしょう、新しく造った道が。湖辺底といって、昔は鹿児島から上納物を取りに来たんだよ。そこは森だったよ、私たちが学校に通っていたころまで。二人の子はその道から歩いたんだ。そして、「後は湖辺底(くひんずく) 向かう行き先は 世に名高い名護の 許田の手水。」と詠んだんだ。昔ね、鹿児島の人がそこに水汲みに行ったら、君たちのような美人が居たんだろうな。男が「水をくれ。」と言ったら、娘は杓子を差し出したんだな。そしたら、杓子からは飲まないで「手で飲ませてくれ。」と言ったんだ。それで女は手で飲ませたんだ。それから、許田の手水という名が付けられているんだよな。また、「ここから今帰仁へは 四、五里の道のりだから 夜も暮れないうちに、急いで行こう。」と詠んでね。また、「名護の大兼久 山の端も越えて 今ぞ今帰仁の城に着く。」と、二人が詠んだ歌なんだよ。昔は、このような例もあったからね。苦労したんだな。君たちは皆、楽なんだよ、今は。

再生時間:5:15

民話詳細DATA

レコード番号 47O376068
CD番号 47O37C244
決定題名 謝名大主と姉妹(シマグチ)
話者がつけた題名 謝名大主
話者名 当山安睦
話者名かな とうやまあんぼく
生年月日 18820709
性別
出身地 沖縄県恩納村瀬良垣
記録日 19760530
記録者の所属組織 沖縄口承文芸学術調査団
元テープ番号 恩納村T42B08
元テープ管理者 沖縄伝承話資料センター
分類 20
発句(ほっく)
伝承事情
文字化資料 『恩納村の民話・伝説編』P122
キーワード ,謝名大主,八月十五夜,首里,大山の伊佐浜,月見,ウトゥチル,ウミナイ,潮汲み,湧川の按司,山田にはフェーラー,多幸山,恩納岳,瀬良垣,許田の手水
梗概(こうがい) 謝名(じゃな)の大主(おおぬし)という親方(おやかた)なんだが、その人が八月十五夜に家来たちを連れて首里から大山の伊佐浜(いさはま)へ月見に来てるんだよ。ところでな、昔は豆腐を作るときは海水を汲んできて、それで作ったんだ。今はそんなにはしないはずだがな。それで、大山のウトゥチル、ウミナイという姉妹二人が潮水を汲みにそこに来たんだ。そしたら、謝名の大主たちは首里(しゅり)から来ているので、二人に「近くに寄れ。」と言ったんだ。「寄れ。」と言うので二人は寄ったんだな。謝名の大主が、「どこの者か、酒を注いてくれ。」と言うので、注いで飲ましたんだ。それから「君たちの村はどこか。」と聞くので、「大山です。」と答えたんだな。「そうか親は何という名だ。」と言うんで、二人は、「親は居ります。」と答えたんだ。それで、二人が親を呼んだら、謝名の大主が、「お前の子ども二人のうちひとりは私の妻にくれ。」と言うんで、親は、「できません。」とことわったんだ。「首里の侍の嫁にはできない。」「いいなずけと縁を結んであるからな。」と言っであったらしいが、殺されてしまったんだ、その親は。それでこの娘たちは親のあだを討つつもりで山原(やんばる)へ行くんだ。国頭の北山城の按司の参謀で、湧川(わくがー)の按司というのがいるが、その人を頼って行くんだ。二人は湧川を頼って山原まで行くが、途中、山田まで来たわけだ。そしたら、山田にはフェーラーが出たんだよ、昔は、フェーラーとは、人の物を盗る追いはぎのことをいうんだ。それで、姉妹は驚いて、喜名の役場に泊まったんだ。役場とは呼ばないで、番所と呼んだんだ、私たちの時代までは。番所だったんだ、明治時代は。二人は番所に泊まって、翌日出発したんだ。みんな歩いて行くんだからな。そこで、姉が歌を詠んだわけだ。「今出てきた私たちは大山シタグの子ども ウミチルとウトゥチルだ 旅に出てもう多幸山だ 馴れない山道は、歩みづらいことだ。」それから、「恩納岳(おんなだけ)にかかる白雲をみると 休むつもりの瀬良垣(せらかき)に 早く着かぬかと 気がはやる。」と、歌を詠んだんだ。それから、「花の与座、鳴くな浜千島 月旅立ちの 思いつのって。」それから、許田に行ったらな。そこは、昔は湖辺底(くひんずく)といったんだ。道があるでしょう、新しく造った道が。湖辺底といって、昔は鹿児島から上納物を取りに来たんだよ。そこは森だったよ、私たちが学校に通っていたころまで。二人の子はその道から歩いたんだ。そして、「後は湖辺底(くひんずく) 向かう行き先は 世に名高い名護の 許田の手水。」と詠んだんだ。昔ね、鹿児島の人がそこに水汲みに行ったら、君たちのような美人が居たんだろうな。男が「水をくれ。」と言ったら、娘は杓子を差し出したんだな。そしたら、杓子からは飲まないで「手で飲ませてくれ。」と言ったんだ。それで女は手で飲ませたんだ。それから、許田の手水という名が付けられているんだよな。また、「ここから今帰仁へは 四、五里の道のりだから 夜も暮れないうちに、急いで行こう。」と詠んでね。また、「名護の大兼久 山の端も越えて 今ぞ今帰仁の城に着く。」と、二人が詠んだ歌なんだよ。昔は、このような例もあったからね。苦労したんだな。君たちは皆、楽なんだよ、今は。
全体の記録時間数 5:15
物語の時間数 5:15
言語識別 方言
音源の質
テープ番号
予備項目1

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