
美底獅子嘉殿(みしゅくしかどん)は富嘉部落におった時に冨底という家の次男だった。長男は優れていて屋敷はあっちの北部落の頭(かしら)さ。次男坊の獅子嘉殿(しかどん)は、冨底からその底を取って美底(みしゅく)という姓を作ったんです。その屋敷は後ろの部落の北村よ。東側に新城という一軒家が離れてあるさね。そこを最近は美底御嶽といっているんです。波照間の出身のオヤケアカハチは、「琉球王から税で苦しめられてるから、自分たちの生活安定のために琉球王を落とさんといかん。こっちの島では自由に出来ん。」と言って家来を沢山連れてね、石垣島の大浜移ったわけさ。しかし、石垣島には按司が沢山おって、四箇には、宮古の豊見親の子の長田大主もいて、アカハチなんかは苦しめられていたんでしょう。そのとき美底(みしゅく)獅子嘉(しか)は、「琉球王はいつまで続くか分からんから反対する必要ない。」と言っていたから、オヤケアカハチとは反対さあね。アカハチは、美底獅子嘉殿(みしゅくしかどん)が自分に反対しているので、石垣におる長田大主が呼んだことにして美底獅子嘉殿(みしゅくしかどん)を誘い出して船乗せて来る途中で船員がすぐ殺してもう縛ったまま海に投げたらしいね。そのとき、この獅子嘉殿(しかどん)の遺体を探したら、小浜の方の海岸の木に引っ掛かってから、風もないのにこの木が揺れたとかで見つかったんでしょう。その美底獅子嘉殿(みしゅくしかどん)には男は三名、女は二人の子どもがおったらしいね、その時に、美底獅子嘉殿(みしゅくしかどん)は琉球に忠義を尽くしたといってね、長男を波照間のこっちの富嘉部落に保田盛の御願を置いてあっちを治めれと、次男は前部落のカイシ盛を治めれと役人にしたんだよ。女の子は二人おったからね、一人は南部落に司になってね、もう一人は北部落の神司にしたそうだ。
| レコード番号 | 47O201457 |
|---|---|
| CD番号 | 47O20C074 |
| 決定題名 | 獅子嘉殿(共通語) |
| 話者がつけた題名 | - |
| 話者名 | 富底正一 |
| 話者名かな | ふそこしょういち |
| 生年月日 | 19180203 |
| 性別 | 男 |
| 出身地 | 沖縄県八重山郡竹富町波照間 |
| 記録日 | 19960319 |
| 記録者の所属組織 | 竹富町口承文芸学術調査団 |
| 元テープ番号 | 竹富町字波照間T37A07 |
| 元テープ管理者 | 沖縄伝承話資料センター |
| 分類 | 20 |
| 発句(ほっく) | - |
| 伝承事情 | - |
| 文字化資料 | - |
| キーワード | 富底の先祖 |
| 梗概(こうがい) | 美底獅子嘉殿(みしゅくしかどん)は富嘉部落におった時に冨底という家の次男だった。長男は優れていて屋敷はあっちの北部落の頭(かしら)さ。次男坊の獅子嘉殿(しかどん)は、冨底からその底を取って美底(みしゅく)という姓を作ったんです。その屋敷は後ろの部落の北村よ。東側に新城という一軒家が離れてあるさね。そこを最近は美底御嶽といっているんです。波照間の出身のオヤケアカハチは、「琉球王から税で苦しめられてるから、自分たちの生活安定のために琉球王を落とさんといかん。こっちの島では自由に出来ん。」と言って家来を沢山連れてね、石垣島の大浜移ったわけさ。しかし、石垣島には按司が沢山おって、四箇には、宮古の豊見親の子の長田大主もいて、アカハチなんかは苦しめられていたんでしょう。そのとき美底(みしゅく)獅子嘉(しか)は、「琉球王はいつまで続くか分からんから反対する必要ない。」と言っていたから、オヤケアカハチとは反対さあね。アカハチは、美底獅子嘉殿(みしゅくしかどん)が自分に反対しているので、石垣におる長田大主が呼んだことにして美底獅子嘉殿(みしゅくしかどん)を誘い出して船乗せて来る途中で船員がすぐ殺してもう縛ったまま海に投げたらしいね。そのとき、この獅子嘉殿(しかどん)の遺体を探したら、小浜の方の海岸の木に引っ掛かってから、風もないのにこの木が揺れたとかで見つかったんでしょう。その美底獅子嘉殿(みしゅくしかどん)には男は三名、女は二人の子どもがおったらしいね、その時に、美底獅子嘉殿(みしゅくしかどん)は琉球に忠義を尽くしたといってね、長男を波照間のこっちの富嘉部落に保田盛の御願を置いてあっちを治めれと、次男は前部落のカイシ盛を治めれと役人にしたんだよ。女の子は二人おったからね、一人は南部落に司になってね、もう一人は北部落の神司にしたそうだ。 |
| 全体の記録時間数 | 18:31 |
| 物語の時間数 | 18:31 |
| 言語識別 | 共通語 |
| 音源の質 | △ |
| テープ番号 | - |
| 予備項目1 | - |