
これはですね、八重山島の波照間に明宇底(みしゅく)ミシュクという夫と女房の也那志(やらし)という女がいてですね、その二人から出来た子どもが明宇底獅子嘉(みしゅくしか)という人です。その明宇底獅子嘉(みしゅくしか)は赤蜂に殺されますよね。だから王府はかわいそうだということで、その子どもたちを全部与人(ゆんちゅ)に取り立てたわけね。そして人頭税が課されていたころ、波照間の住民は重税に耐えかねていたので、ヤグ村のアカマラは、かねがね言い伝えられている遙か海の向こうの楽園の島、南波照間(はいはてるま)に、夢と希望を求めていて、集団逃亡の計画を密かに練っていたというんです。寛永一四年、西暦は一六三七年にですね、琉球王に納める人頭税の俵などを積んだ上納船がこの島におったとき、南風も吹けばすぐにでも石垣にも沖縄にも行けたが、北風が吹いていて石垣島にも行けないから、役人連中は、その時の流人たちの話によるとですね、役人たちは船員を全部くくって陸に上げてですね、順風がでるまでと島に上がり酒を飲んで酔っぱらっているときを見計らって、アカマラは、その船を盗んでヤグ村の村民男女四〇人をその船に乗せると、その時ですね、ヤグアカマラは、一人の女にですね、「私は鍋を忘れたから、船は南の海岸のウラペラのウダチに回すから、夜が明けないうちにね、あんたは私の鍋を南の海岸に持って来い。」と言ったから、その女は鍋を取って南の海岸に持ってきて、ジーマツというところの丘まで来ると、その船はすでに帆をはらんで、そのまま南波照間(はいはてるま)目指して南の水平線に消えていったんですよね。だから、その女は、小さな田の畦に座り、鍋を掻きながら、泣いたという。それ以来、その畦は鍋掻き田と名付けられたそうだ。この話は八重山の由来記の南波照間(はいはてるま)に関する記録では東ヤグ村のことが平田村ということになってる。それで、私は一昨年の五月ごろに台湾の所から真っ直ぐ行って、その南波照間(はいはてるま)と思われる蘭嶼島というところを見に行ったんですよ。あの蘭嶼島には、小さい島ですがヤミ族がいて、早速気がついたのは、蘭嶼島二回も見た石垣ケンゾウという人が波照間と南波照間(はいはてるま)の両島には驚く程共通している点があると書いてあったことですね。体型や顔だち、鼻にかかった言葉の発音等が、良く似ていると書いてあるんですよ。私は蘭嶼島に行ってみて波照間から南波照間(はいはてるま)に行ったというのは、現実のものであるかもしれないと思ったんです。
| レコード番号 | 47O201427 |
|---|---|
| CD番号 | 47O20C071 |
| 決定題名 | 鍋掻き田(共通語) |
| 話者がつけた題名 | - |
| 話者名 | 新城康佑 |
| 話者名かな | あらしろこうゆう |
| 生年月日 | 19191003 |
| 性別 | 男 |
| 出身地 | 沖縄県八重山郡竹富町波照間 |
| 記録日 | 19960319 |
| 記録者の所属組織 | 竹富町口承文芸学術調査団 |
| 元テープ番号 | 竹富町字波照間T35A03 |
| 元テープ管理者 | 沖縄伝承話資料センター |
| 分類 | 20 |
| 発句(ほっく) | - |
| 伝承事情 | - |
| 文字化資料 | - |
| キーワード | ヤグアカマラ,蘭嶼島 |
| 梗概(こうがい) | これはですね、八重山島の波照間に明宇底(みしゅく)ミシュクという夫と女房の也那志(やらし)という女がいてですね、その二人から出来た子どもが明宇底獅子嘉(みしゅくしか)という人です。その明宇底獅子嘉(みしゅくしか)は赤蜂に殺されますよね。だから王府はかわいそうだということで、その子どもたちを全部与人(ゆんちゅ)に取り立てたわけね。そして人頭税が課されていたころ、波照間の住民は重税に耐えかねていたので、ヤグ村のアカマラは、かねがね言い伝えられている遙か海の向こうの楽園の島、南波照間(はいはてるま)に、夢と希望を求めていて、集団逃亡の計画を密かに練っていたというんです。寛永一四年、西暦は一六三七年にですね、琉球王に納める人頭税の俵などを積んだ上納船がこの島におったとき、南風も吹けばすぐにでも石垣にも沖縄にも行けたが、北風が吹いていて石垣島にも行けないから、役人連中は、その時の流人たちの話によるとですね、役人たちは船員を全部くくって陸に上げてですね、順風がでるまでと島に上がり酒を飲んで酔っぱらっているときを見計らって、アカマラは、その船を盗んでヤグ村の村民男女四〇人をその船に乗せると、その時ですね、ヤグアカマラは、一人の女にですね、「私は鍋を忘れたから、船は南の海岸のウラペラのウダチに回すから、夜が明けないうちにね、あんたは私の鍋を南の海岸に持って来い。」と言ったから、その女は鍋を取って南の海岸に持ってきて、ジーマツというところの丘まで来ると、その船はすでに帆をはらんで、そのまま南波照間(はいはてるま)目指して南の水平線に消えていったんですよね。だから、その女は、小さな田の畦に座り、鍋を掻きながら、泣いたという。それ以来、その畦は鍋掻き田と名付けられたそうだ。この話は八重山の由来記の南波照間(はいはてるま)に関する記録では東ヤグ村のことが平田村ということになってる。それで、私は一昨年の五月ごろに台湾の所から真っ直ぐ行って、その南波照間(はいはてるま)と思われる蘭嶼島というところを見に行ったんですよ。あの蘭嶼島には、小さい島ですがヤミ族がいて、早速気がついたのは、蘭嶼島二回も見た石垣ケンゾウという人が波照間と南波照間(はいはてるま)の両島には驚く程共通している点があると書いてあったことですね。体型や顔だち、鼻にかかった言葉の発音等が、良く似ていると書いてあるんですよ。私は蘭嶼島に行ってみて波照間から南波照間(はいはてるま)に行ったというのは、現実のものであるかもしれないと思ったんです。 |
| 全体の記録時間数 | 16:44 |
| 物語の時間数 | 15:57 |
| 言語識別 | 共通語 |
| 音源の質 | × |
| テープ番号 | - |
| 予備項目1 | - |