北山流人先祖(共通語)

概要

 私の家はアラスコという屋号の家ですが、私の先祖は、北山の今帰仁城が戦に負けたとき、三名この島に流された新城という政治犯の子孫です。三カ年で刑が終わって連れにきたらしい。二名は帰ったということですが、私の家の先祖さんは、「いや、自分はこの島で女も出来とるし、子どもも出来とるから自分は帰らないよ。」と残ったので、その私の先祖様のお墓は今までもあって、僕ら新城家は、そこを拝所としてですね、毎年、正月と種取り、初穂を取ったときと年に三回はあっちでトートーメーをやっております。来た当時は系図があったけれど、系図なんかは廃藩置県のときに、「訳分からないこと書いてある。あんた達士族は全部引き上げろ。」と言われて引き千切られて焼いてしまったから残念がっていたら、向こうの婆さんがですね、私に、「こういう子守歌があるよ。」ということですよ。「教えてください。」と言ったらですね、「泣きね、泣きね、ハイハテルマ、おるが島に島流しするよ。」という。「あんたの御先祖様のことでしょうなあ。」と言うて聞かせてくれた。ああいう子守歌が今まで残ってる。それで、私は竹富町の農業委員会の会長したこともありますよ。そして、県の農議会委員に研究に行ったらですね、あそこの会長は新城新吉という人だったんですよ。「あんたも同じ新城だから元をただせば同じじゃないかなあ。」と話したらですね、波照間のこの下田原城跡という城を見たいということでですね、その人がいらっしゃったんんですよ。私達が見せたらですね、「これは確かにね、この城はあんたの元祖が貴流の人に違いない。」と。「どうしてですか。」と。「ここは今帰仁城壁の作り方と全く同じだ。」と言われてですね、そうかなあと思いました。しかし、下田原城のことを書いた歴史も無いしですね、誰が城を築いたとかそれもないが、新城新吉会長がそういうこと言われたからね、これは大切にしないといかないなあと言うことで、あれから、今年の竹富町の文化財審議委員をやったときにあん時の竹富町の区域長が宇根實という区域長に協力してもらってですね、この下田原城跡を国指定に申請したんです。そしたら文部省から二三名で来ていらっしゃってですね、県からもいらっしゃって、あそこを調査してですね、「じゃ、ここにこの地主は何十名いるか調べてから、国指定にしてもいいかどうか同意書をお願いします。」と言われたもんだからですね、私が調べたら四二名の地主ですよ。あん時の公民館長が、西石垣全助さんだったんですよ。そのときには住民票を全部集めてきて公民館に集まってもらって、「こうすれば指定は出来るんだ。だけど着手するのはいつか分からんけれどん、その前に皆さんの住民票と同意書をお願いします。」と説明したら言全部、「いいことである。」と賛成してくれて、同意書に印鑑を押してもらうだけ。その四十二名の人の同意書を並べてです送ったんですよ。そしたら、この宇根区域長から私のところに電話がきたんですよ。「はい、新城君ありがとう。文部省の審議委員会にかかることになったよ。しかし、これだけじゃなく全国に沢山あるからすぐできることではない。あと十ヵ年なるか、二〇ヵ年なるか分からないから辛抱強くやりましょう。」と言ってきた。審議委員会で通って一旦、買い上げる時は、八十パーセントは国が出すって。残りの二〇のうち一〇は県、一〇は町が出すと言ってました。あそこは、二〇年前から波照間老人クラブが管理者になってます。指定されれば、発掘調査をするでしょう。それから、石垣が崩れていますよ。そのときには、県の方から、「勝手に動かすな。」と言われたんです。

再生時間:11:07

民話詳細DATA

レコード番号 47O201425
CD番号 47O20C071
決定題名 北山流人先祖(共通語)
話者がつけた題名
話者名 新城康佑
話者名かな あらしろこうゆう
生年月日 19191003
性別
出身地 沖縄県八重山郡竹富町波照間
記録日 19960319
記録者の所属組織 竹富町口承文芸学術調査団
元テープ番号 竹富町字波照間T35A01
元テープ管理者 沖縄伝承話資料センター
分類 80
発句(ほっく)
伝承事情
文字化資料
キーワード 流刑者,子守歌
梗概(こうがい)  私の家はアラスコという屋号の家ですが、私の先祖は、北山の今帰仁城が戦に負けたとき、三名この島に流された新城という政治犯の子孫です。三カ年で刑が終わって連れにきたらしい。二名は帰ったということですが、私の家の先祖さんは、「いや、自分はこの島で女も出来とるし、子どもも出来とるから自分は帰らないよ。」と残ったので、その私の先祖様のお墓は今までもあって、僕ら新城家は、そこを拝所としてですね、毎年、正月と種取り、初穂を取ったときと年に三回はあっちでトートーメーをやっております。来た当時は系図があったけれど、系図なんかは廃藩置県のときに、「訳分からないこと書いてある。あんた達士族は全部引き上げろ。」と言われて引き千切られて焼いてしまったから残念がっていたら、向こうの婆さんがですね、私に、「こういう子守歌があるよ。」ということですよ。「教えてください。」と言ったらですね、「泣きね、泣きね、ハイハテルマ、おるが島に島流しするよ。」という。「あんたの御先祖様のことでしょうなあ。」と言うて聞かせてくれた。ああいう子守歌が今まで残ってる。それで、私は竹富町の農業委員会の会長したこともありますよ。そして、県の農議会委員に研究に行ったらですね、あそこの会長は新城新吉という人だったんですよ。「あんたも同じ新城だから元をただせば同じじゃないかなあ。」と話したらですね、波照間のこの下田原城跡という城を見たいということでですね、その人がいらっしゃったんんですよ。私達が見せたらですね、「これは確かにね、この城はあんたの元祖が貴流の人に違いない。」と。「どうしてですか。」と。「ここは今帰仁城壁の作り方と全く同じだ。」と言われてですね、そうかなあと思いました。しかし、下田原城のことを書いた歴史も無いしですね、誰が城を築いたとかそれもないが、新城新吉会長がそういうこと言われたからね、これは大切にしないといかないなあと言うことで、あれから、今年の竹富町の文化財審議委員をやったときにあん時の竹富町の区域長が宇根實という区域長に協力してもらってですね、この下田原城跡を国指定に申請したんです。そしたら文部省から二三名で来ていらっしゃってですね、県からもいらっしゃって、あそこを調査してですね、「じゃ、ここにこの地主は何十名いるか調べてから、国指定にしてもいいかどうか同意書をお願いします。」と言われたもんだからですね、私が調べたら四二名の地主ですよ。あん時の公民館長が、西石垣全助さんだったんですよ。そのときには住民票を全部集めてきて公民館に集まってもらって、「こうすれば指定は出来るんだ。だけど着手するのはいつか分からんけれどん、その前に皆さんの住民票と同意書をお願いします。」と説明したら言全部、「いいことである。」と賛成してくれて、同意書に印鑑を押してもらうだけ。その四十二名の人の同意書を並べてです送ったんですよ。そしたら、この宇根区域長から私のところに電話がきたんですよ。「はい、新城君ありがとう。文部省の審議委員会にかかることになったよ。しかし、これだけじゃなく全国に沢山あるからすぐできることではない。あと十ヵ年なるか、二〇ヵ年なるか分からないから辛抱強くやりましょう。」と言ってきた。審議委員会で通って一旦、買い上げる時は、八十パーセントは国が出すって。残りの二〇のうち一〇は県、一〇は町が出すと言ってました。あそこは、二〇年前から波照間老人クラブが管理者になってます。指定されれば、発掘調査をするでしょう。それから、石垣が崩れていますよ。そのときには、県の方から、「勝手に動かすな。」と言われたんです。
全体の記録時間数 11:23
物語の時間数 11:07
言語識別 共通語
音源の質 ×
テープ番号
予備項目1

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