ナーマ屋由来(方言混じり)

概要

長間家(なーまやー)の子(ふぁ)、子(ふぁ)ってぃし、長間家(なーまやー)はとっても貧乏者で、子どもはたくさんおるんだが、七(なな)ぬ子(く)ゎ産んで、食べるのは無い。とても貧弱でよ。部落にもいらっしゃらないで、あそこさ、新川お宮のずっとあそこに長間家(なーまやー)とゆう屋敷があるよ。こっちにが、あの人なんか夫婦二人に七の子ども産んでから育てるんだが、食べ物がなくして、毎日海にいって、アサリよ、海のものを、サザエとか貝殻なんか。あんなのを持ってきてが、これを主にあげておったんでない。これの貝殻の跡がいっぱいあるんだから。未だに。七の子どもをこっちで育てて。部落におりてくるときはよ、分かる人はかわいそうと思っているんだが、分からない人は、「あがやー。」というふうに、「あがやー、貧乏者(ひんすうむん)。」ってぃし、「貧乏者が降りてきた。」として、めのそばでも見ない人なんかたくさんおったって。で、その中にかわいそうと思う人はとってもあれしてもらう人もいるし、次第に子どもなんかが大きくなって、もうとても。あれで今度は、部落人なんかが、部落集会というものさあね。総会。あんなふうじぃで総会して、この人も案内を受けたそうだよ。長間家(なーまやー)よ。案内受けてぃ、うぬ座(ざー)ぬ中なってぃん、うぬ人(ぷす)ぉめー、「とうざいとうざい。」っていし、昔は、「とうざいとうざい。」と言われるな。〔とうざいは、うりぬ始まりな。〕あいる話あった。長間家(なーまやー)やるぬ、「子(ふぁ)んけー育てぃるんてぃし、七(なな)ぬ子(ふぁ)なしてぃ、七(なな)ぬ子(ふぁ)、うっか育てるんってぃいきなー、哀(あわ)りん苦労んし、けえらのお世話みんなのお世話なって、こんなにきて今なりました。本当にありがとうございました。」と、言葉狂言(くとうばきょんぎん)してぃ、うなーてぃそーたっすそ。うぬ人(ぷす)ぉめー、部落ぬ人(ぷす)んけー、幹部人(かんずぷす)ぉたいうーたぬ、ナーマヤーよ、「けーらぬきなむぬ、けーらわるむぬっていし、みらりんぶたーる、今なってこう、成功してきた。」として、部落会長か何かに、あんななさったって。この人もまた、自分はみんなからの嫌がらせでとてもあれしてきたんだが、お蔭様でようやくこう、人のいらっしゃるとろに出てこられたという嬉しさに、踊ったらしいよ。〔それから臼叩くのがあるんだよな、お婆な。〕ああ。〔風邪が、病気なんかがね流行したときは、夜烏(ゆーがらさー)といってね、烏がおるわけな。あれが鳴いたら、「長間家(なーまやー)の孫子(まーふぁ)。」ってね、臼を叩いたらしい。〕だから、長間家(なーまやー)の孫子(まーふぁ)は誠(まくとぅ)者の子どもだからよ。こっちは未だに、夜烏(ごーらさー)がずうっと鳴いてくるときがあるよ。今でも必ず臼叩くよ。だから、昔から「くま、長間家(なーまやー)の孫子(まーふぁ)どー」っていし。〔だから子どもたちは絶対病気かからんかったって。〕長間家(なーまやー)の孫子(まーふぁ)は。〔それで、みんなが真似してね叩きよった。〕臼を必ず叩いて。三回。〔あれ、家のさきやなんかもぬぎそうなったら叩からかったかな。〕むーるびーら叩いた。臼んい無(なー)ん時は、ソーキサーレよ。〔これ昔からずっとやってきていることだから。〕長間家(なーまやー)ぬ人(ぷすー)けーな、正直んおーられんだ。あしたーるめー、七(なな)ぬ子(ふぁ)育てるんてぃなー、あーいんめー、あるものべさせて食(ふぁー)しぇてぃ、貝殻なんかとって。たくさんあるよ。貝殻よ、ユスミナ貝。まだ、うぬ跡あんだ。

再生時間:5:10

民話詳細DATA

レコード番号 47O200594
CD番号 47O20C035
決定題名 ナーマ屋由来(方言混じり)
話者がつけた題名
話者名 加治工チヨ
話者名かな かじくちよ
生年月日 19130127
性別
出身地 沖縄県八重山郡竹富町字鳩間
記録日 19970316
記録者の所属組織 竹富町口承文芸学術調査団
元テープ番号 竹富町字鳩間T129A10
元テープ管理者 沖縄伝承話資料センター
分類 20
発句(ほっく)
伝承事情
文字化資料 沖国大国文学科平成9度卒業論文 鳩間島の民話 p36
キーワード 貧乏者,夜烏,臼
梗概(こうがい) 長間家(なーまやー)の子(ふぁ)、子(ふぁ)ってぃし、長間家(なーまやー)はとっても貧乏者で、子どもはたくさんおるんだが、七(なな)ぬ子(く)ゎ産んで、食べるのは無い。とても貧弱でよ。部落にもいらっしゃらないで、あそこさ、新川お宮のずっとあそこに長間家(なーまやー)とゆう屋敷があるよ。こっちにが、あの人なんか夫婦二人に七の子ども産んでから育てるんだが、食べ物がなくして、毎日海にいって、アサリよ、海のものを、サザエとか貝殻なんか。あんなのを持ってきてが、これを主にあげておったんでない。これの貝殻の跡がいっぱいあるんだから。未だに。七の子どもをこっちで育てて。部落におりてくるときはよ、分かる人はかわいそうと思っているんだが、分からない人は、「あがやー。」というふうに、「あがやー、貧乏者(ひんすうむん)。」ってぃし、「貧乏者が降りてきた。」として、めのそばでも見ない人なんかたくさんおったって。で、その中にかわいそうと思う人はとってもあれしてもらう人もいるし、次第に子どもなんかが大きくなって、もうとても。あれで今度は、部落人なんかが、部落集会というものさあね。総会。あんなふうじぃで総会して、この人も案内を受けたそうだよ。長間家(なーまやー)よ。案内受けてぃ、うぬ座(ざー)ぬ中なってぃん、うぬ人(ぷす)ぉめー、「とうざいとうざい。」っていし、昔は、「とうざいとうざい。」と言われるな。〔とうざいは、うりぬ始まりな。〕あいる話あった。長間家(なーまやー)やるぬ、「子(ふぁ)んけー育てぃるんてぃし、七(なな)ぬ子(ふぁ)なしてぃ、七(なな)ぬ子(ふぁ)、うっか育てるんってぃいきなー、哀(あわ)りん苦労んし、けえらのお世話みんなのお世話なって、こんなにきて今なりました。本当にありがとうございました。」と、言葉狂言(くとうばきょんぎん)してぃ、うなーてぃそーたっすそ。うぬ人(ぷす)ぉめー、部落ぬ人(ぷす)んけー、幹部人(かんずぷす)ぉたいうーたぬ、ナーマヤーよ、「けーらぬきなむぬ、けーらわるむぬっていし、みらりんぶたーる、今なってこう、成功してきた。」として、部落会長か何かに、あんななさったって。この人もまた、自分はみんなからの嫌がらせでとてもあれしてきたんだが、お蔭様でようやくこう、人のいらっしゃるとろに出てこられたという嬉しさに、踊ったらしいよ。〔それから臼叩くのがあるんだよな、お婆な。〕ああ。〔風邪が、病気なんかがね流行したときは、夜烏(ゆーがらさー)といってね、烏がおるわけな。あれが鳴いたら、「長間家(なーまやー)の孫子(まーふぁ)。」ってね、臼を叩いたらしい。〕だから、長間家(なーまやー)の孫子(まーふぁ)は誠(まくとぅ)者の子どもだからよ。こっちは未だに、夜烏(ごーらさー)がずうっと鳴いてくるときがあるよ。今でも必ず臼叩くよ。だから、昔から「くま、長間家(なーまやー)の孫子(まーふぁ)どー」っていし。〔だから子どもたちは絶対病気かからんかったって。〕長間家(なーまやー)の孫子(まーふぁ)は。〔それで、みんなが真似してね叩きよった。〕臼を必ず叩いて。三回。〔あれ、家のさきやなんかもぬぎそうなったら叩からかったかな。〕むーるびーら叩いた。臼んい無(なー)ん時は、ソーキサーレよ。〔これ昔からずっとやってきていることだから。〕長間家(なーまやー)ぬ人(ぷすー)けーな、正直んおーられんだ。あしたーるめー、七(なな)ぬ子(ふぁ)育てるんてぃなー、あーいんめー、あるものべさせて食(ふぁー)しぇてぃ、貝殻なんかとって。たくさんあるよ。貝殻よ、ユスミナ貝。まだ、うぬ跡あんだ。
全体の記録時間数 5:10
物語の時間数 5:10
言語識別 混在
音源の質
テープ番号
予備項目1

トップに戻る

TOP