鳩間のミルク(共通語)

概要

 鳩間島のミルクはですね、東里さんのお家の物のように考えられるんですがね、神司(かんつかさ)の経験者から聞いても、はっきりしないんですね。ただミルクは家で、頭(かしら)とミルクは一緒にあったという説はあるんですよ。その後ミルクの面を作り替えて部落のある家にあったとき、偉い役人が来たとき、役人のいる屋敷は二百坪くらいあるんですがね、その役人が、大城家の宮古保久利(みやこふくり)というこの島の役人をやっている人に、「ミルクの面を持ってきてこっちに置きなさい。」と言ったから、作り替えた面は、その屋敷のミルクの家に置くようになったというから、大城はたぶん管理人ではなかったかと思いますね。大城純市という弁護士におりますが、大城伊舎という人が大城博のお父さんに、「あの人は偉い人でいろんなこと何でも知っている学者だからいろいろ聞きなさいね。」と言うから、その人に聞いたら大城家とミルクはね、全く関係ないと言っているんですよ。ただ、大城博の家は何十年かいろいろミルクを管理していると聞いたんだよね。ミルクは面を被ると言うのは失礼だからあまえると表現するらしいね。それで祭りのときには、「今日はだれがミルクをあまえるか。」と言うと最近聞きました。それで今までね、家(うち)のおじさんもあまえておったんですが、戦前戦後もですね。最近いろいろごたごたがあってですね、どうのこうのといってあるんです。あの役人がいた屋敷は、十段くらいの階段があって屋敷には登っていったんですよ。今はちょっと階段なんか壊したかな。でも、あの屋敷はまだ宅地が二百四〇坪ぐらいありますからね、私はあのミルクのことを研究するために、この家はだれの屋敷だったのか突き止めたんですよね。いろいろ探して町役場からこの家の戸籍謄本取ってみたら、この屋敷はね、私のお祖父さんの子どもで、大城真勢という私の叔父の大城という家になっておるんですよね。だがそもそもね、何故あの宮古保久利の土地がが大城家の名義になったかということも、大城家の人がね、これは養子に行かれたんではないかという説もありますがね、何十年間ミルクを管理しておったという関係が分からないんですね。今ミルクをですね、しょっちゅうやっておる博は楠木の匂いするというんで、なぜ鳩間に楠木があるのかと聞いたらですね、これは流木だったろうというんですね。それをくり舟は三角で釘代用しますね。その竹でこうやって止めて作ってあるらしいですね。何か自分の大城の先祖もね、作り替えるときに一緒に手伝って作ったんではないかと。それが一時期は大城家の一番座の床の間の東に飾ってあったらしいですね。それを大城の何代目かの人がね、「あんたがミルク家に持っていきなさい。」と言われたと大城博がいっておるんですよ。そのころのミルク家は昔の茅葺きで、今の家ではないですよね。だから、大城とミルク屋は何かいろいろ関係があって、一緒に作ったんではないかという説もあるんですよね。一時期は大城家にあったらしいですよ。そしてですね、今、大工家の民宿がありますよね。面白いことには、このミルクはですね、その大工家ていうのはね、鉄夫もそうだし、それから結斗子。大工英祥も細長い顔で、僕は従兄弟になるんだが末っ子の春子も物凄くきれいよね。三味線ひく大工哲弘とかもこの大工家の一統かな。色がみんなきれいで、美男、美女の美人揃いなので、あそこの人をモデルにして作ったというんですよ。それで、それの先祖の話がですね、また面白いんですよね。話を聞くと、琉球の王様を薩摩が攻めて来たときに、一六一〇年ですか、宮古の人が船頭になって、琉球王の女の連中を乗せた船が那覇から出たところが、北の薩摩に行くはずの船が逆転して鳩間に来て、鳩間でこの王府の王様の女を何名か分からんけど、囲っておったという説があるんですよ。それで、鳩間は一里しかない小さい島で目立たないから分からなかったんですよね。それが大工の家だから子孫に美人が多いという説があるんですよ。その後、石垣に移ったのか大工家の大元は、石垣になったらしいね。それでですね、現在私の家の親戚になるんですが、家名(やーな)は昔はブンバっていったかな。大田民芸店の大田守の曾祖母(ひいばあさん)は大工家の人であったらしいですね。その曾祖母(ひいばあさん)が、今いる大田民芸店のお母さんが九才あたりにですね、結願祭を見に行くっていうたというんです。ちょっとお宮は東から登るのは険しいんですよね。「這(ほぅ)ってでも、杖ついてでも見に行く。」と言うから、「何故見に行くのか。」って言ったら、「ミルクを見る。」って言うんですね。それで、「何故それミルクを見に行くか。」って言ったらですね、「これは私の家の先祖をモデルにして作ったから見たい。」と言って杖ついて見に行って、ミルクを見たらですね、帰りよったらしいです。それで、自分の島のミルクを褒めるわけではないけど、私は結願祭と豊年祭にミルクの写真をいろいろ撮ってありますが、この島のミルクは本当にきれいで、私の親戚になる加治工の長男の鉄夫のお父さんも、「大工家の人が鳩間で一番美人だ。」って威張っていますよ。
①ミルク‥‥豊年祭の奉納芸能の一番目に行われる、西村の出し物である。ミルクの面を被った者が左手に杖、右手に大きな団扇を持って先頭になりミルクヌファを従えて世果報〔豊穣〕を願う。結願祭にも行われる。②ミルク家‥‥祭の際に使用するミルクの面などを保管してある家。

再生時間:13:25

民話詳細DATA

レコード番号 47O200489
CD番号 47O20C028
決定題名 鳩間のミルク(共通語)
話者がつけた題名
話者名 屋嘉武雄
話者名かな やかたけお
生年月日 19250204
性別
出身地 沖縄県八重山郡竹富町字鳩間
記録日 19960913
記録者の所属組織 竹富町口承文芸学術調査団
元テープ番号 竹富町字竹富T116A04
元テープ管理者 沖縄伝承話資料センター
分類 80
発句(ほっく)
伝承事情
文字化資料 沖国大国文学科平成9度卒業論文 鳩間島の民話 P16
キーワード 宮古保久利
梗概(こうがい)  鳩間島のミルクはですね、東里さんのお家の物のように考えられるんですがね、神司(かんつかさ)の経験者から聞いても、はっきりしないんですね。ただミルクは家で、頭(かしら)とミルクは一緒にあったという説はあるんですよ。その後ミルクの面を作り替えて部落のある家にあったとき、偉い役人が来たとき、役人のいる屋敷は二百坪くらいあるんですがね、その役人が、大城家の宮古保久利(みやこふくり)というこの島の役人をやっている人に、「ミルクの面を持ってきてこっちに置きなさい。」と言ったから、作り替えた面は、その屋敷のミルクの家に置くようになったというから、大城はたぶん管理人ではなかったかと思いますね。大城純市という弁護士におりますが、大城伊舎という人が大城博のお父さんに、「あの人は偉い人でいろんなこと何でも知っている学者だからいろいろ聞きなさいね。」と言うから、その人に聞いたら大城家とミルクはね、全く関係ないと言っているんですよ。ただ、大城博の家は何十年かいろいろミルクを管理していると聞いたんだよね。ミルクは面を被ると言うのは失礼だからあまえると表現するらしいね。それで祭りのときには、「今日はだれがミルクをあまえるか。」と言うと最近聞きました。それで今までね、家(うち)のおじさんもあまえておったんですが、戦前戦後もですね。最近いろいろごたごたがあってですね、どうのこうのといってあるんです。あの役人がいた屋敷は、十段くらいの階段があって屋敷には登っていったんですよ。今はちょっと階段なんか壊したかな。でも、あの屋敷はまだ宅地が二百四〇坪ぐらいありますからね、私はあのミルクのことを研究するために、この家はだれの屋敷だったのか突き止めたんですよね。いろいろ探して町役場からこの家の戸籍謄本取ってみたら、この屋敷はね、私のお祖父さんの子どもで、大城真勢という私の叔父の大城という家になっておるんですよね。だがそもそもね、何故あの宮古保久利の土地がが大城家の名義になったかということも、大城家の人がね、これは養子に行かれたんではないかという説もありますがね、何十年間ミルクを管理しておったという関係が分からないんですね。今ミルクをですね、しょっちゅうやっておる博は楠木の匂いするというんで、なぜ鳩間に楠木があるのかと聞いたらですね、これは流木だったろうというんですね。それをくり舟は三角で釘代用しますね。その竹でこうやって止めて作ってあるらしいですね。何か自分の大城の先祖もね、作り替えるときに一緒に手伝って作ったんではないかと。それが一時期は大城家の一番座の床の間の東に飾ってあったらしいですね。それを大城の何代目かの人がね、「あんたがミルク家に持っていきなさい。」と言われたと大城博がいっておるんですよ。そのころのミルク家は昔の茅葺きで、今の家ではないですよね。だから、大城とミルク屋は何かいろいろ関係があって、一緒に作ったんではないかという説もあるんですよね。一時期は大城家にあったらしいですよ。そしてですね、今、大工家の民宿がありますよね。面白いことには、このミルクはですね、その大工家ていうのはね、鉄夫もそうだし、それから結斗子。大工英祥も細長い顔で、僕は従兄弟になるんだが末っ子の春子も物凄くきれいよね。三味線ひく大工哲弘とかもこの大工家の一統かな。色がみんなきれいで、美男、美女の美人揃いなので、あそこの人をモデルにして作ったというんですよ。それで、それの先祖の話がですね、また面白いんですよね。話を聞くと、琉球の王様を薩摩が攻めて来たときに、一六一〇年ですか、宮古の人が船頭になって、琉球王の女の連中を乗せた船が那覇から出たところが、北の薩摩に行くはずの船が逆転して鳩間に来て、鳩間でこの王府の王様の女を何名か分からんけど、囲っておったという説があるんですよ。それで、鳩間は一里しかない小さい島で目立たないから分からなかったんですよね。それが大工の家だから子孫に美人が多いという説があるんですよ。その後、石垣に移ったのか大工家の大元は、石垣になったらしいね。それでですね、現在私の家の親戚になるんですが、家名(やーな)は昔はブンバっていったかな。大田民芸店の大田守の曾祖母(ひいばあさん)は大工家の人であったらしいですね。その曾祖母(ひいばあさん)が、今いる大田民芸店のお母さんが九才あたりにですね、結願祭を見に行くっていうたというんです。ちょっとお宮は東から登るのは険しいんですよね。「這(ほぅ)ってでも、杖ついてでも見に行く。」と言うから、「何故見に行くのか。」って言ったら、「ミルクを見る。」って言うんですね。それで、「何故それミルクを見に行くか。」って言ったらですね、「これは私の家の先祖をモデルにして作ったから見たい。」と言って杖ついて見に行って、ミルクを見たらですね、帰りよったらしいです。それで、自分の島のミルクを褒めるわけではないけど、私は結願祭と豊年祭にミルクの写真をいろいろ撮ってありますが、この島のミルクは本当にきれいで、私の親戚になる加治工の長男の鉄夫のお父さんも、「大工家の人が鳩間で一番美人だ。」って威張っていますよ。 ①ミルク‥‥豊年祭の奉納芸能の一番目に行われる、西村の出し物である。ミルクの面を被った者が左手に杖、右手に大きな団扇を持って先頭になりミルクヌファを従えて世果報〔豊穣〕を願う。結願祭にも行われる。②ミルク家‥‥祭の際に使用するミルクの面などを保管してある家。
全体の記録時間数 13:28
物語の時間数 13:25
言語識別 共通語
音源の質
テープ番号
予備項目1

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