根原神殿(共通語)

概要

 この根原神殿は、体ががっちりと物凄く大きくてですね、この人は与那国に彼女を作って、与那国までも、一晩でこう艪で漕いで彼女に会って来たとと言われるくらいの大力の武士だったらしいんですよ。それはもう嘘かとも思うけど、本当にそういう話もあるわけ。で、ここの竹富から与那国までの間で、竹富のすぐ西の方の潮が早く流れる海峡をね、ナナヨーっていうですが、このナナヨーっていうのは、この根原神殿が一晩で彼女に会いに行くときに、この海峡を櫓で七回漕いで渡ったということで七櫓(ナナヨー)って言われてるよ。 で、この人がですね、与那国に通って来るもんだから、与那国の人が根原神殿を警戒して、征伐しようといくら押し寄せても、もうどうしても根原神殿にはかなわないもんだから、「この人を征伐するのにいかにして征伐するか。」と与那国の連中は考えたるわけですよね。だけども、もう根原神殿は武士だからね、殺す人を指示したりするかも知らんけども、これがもうみんな怖いと反対してあるわけさあね。それで、「これを殺すのにはどうしても彼女を作らしてやらんといかん。」と言うて、彼女を作ってやって一緒にして、そのときにあとはもうこの人に酒もあげて、酔わしておいて、彼女には、「一緒に寝とって、根原神殿が寝静まった時に、短刀で刺し殺しなさい。」というふうに指示されたでしょうね。その与那国の人の娘は、だからこの人の身体を調べてみたら、どこをさわってももう固かったらしいんですね。だけど一番ここだけがね、柔らかいところだと分かったら、彼女は、その柔らかいところを刺して殺したら、そのときに、根原神殿は、むくうっと立ち上がってですね、それから立ったまま一週間も倒れなかったっていう話もあるわけよ。それで、与那国の人は、怖くて寄りきらずにいたら、後からは、根原神殿の身体が腐って蛆がわいたら、蛆が口からぽろぽろぽろ落ちて来たから、与那国の人は、その蛆を見てからね、「やあ、これは生米を噛んでもう我々を殺しに来るんだ。さあ、大変だ。」と、それから逃げ回ったりして、自分ら同士でももうぶっつかったりしてけが人を出したりして、大変だったらしいよ。
・与那国‥‥方言ではゆーん。地元ではどぅなんともいう。那覇港の南西約四五○キロの東シナ海上に位置する日本最西端の島
。石垣島の西方一二八キロ、竹富島からは約一二二キロの東シナ海に浮かぶ日本最西端の島。方音はドゥナン、またはユノーン。久部良バリ・トゥング田・島民の南与那国への逃亡など、人頭税制にまつわる数多くの悲惨な伝説がある。・七櫓(ナナヨー)‥‥西桟橋から一キロほど沖の方の潮流の激しい所。根原神殿が七回櫓を漕いで渡った所なので、そう呼ばれるようになった。

再生時間:3:02

民話詳細DATA

レコード番号 47O200387
CD番号 47O20C023
決定題名 根原神殿(共通語)
話者がつけた題名
話者名 赤山喜介
話者名かな あかやまきすけ
生年月日 19190420
性別
出身地 沖縄県八重山郡竹富町字竹富
記録日 19950910
記録者の所属組織 沖縄口承文芸学術調査団
元テープ番号 竹富町字竹富T30B01
元テープ管理者 沖縄伝承話資料センター
分類 20
発句(ほっく)
伝承事情
文字化資料 沖国大国文学科平成8度卒業論文 竹富島の民話 p37
キーワード 与那国,柔らかい,蛆
梗概(こうがい)  この根原神殿は、体ががっちりと物凄く大きくてですね、この人は与那国に彼女を作って、与那国までも、一晩でこう艪で漕いで彼女に会って来たとと言われるくらいの大力の武士だったらしいんですよ。それはもう嘘かとも思うけど、本当にそういう話もあるわけ。で、ここの竹富から与那国までの間で、竹富のすぐ西の方の潮が早く流れる海峡をね、ナナヨーっていうですが、このナナヨーっていうのは、この根原神殿が一晩で彼女に会いに行くときに、この海峡を櫓で七回漕いで渡ったということで七櫓(ナナヨー)って言われてるよ。 で、この人がですね、与那国に通って来るもんだから、与那国の人が根原神殿を警戒して、征伐しようといくら押し寄せても、もうどうしても根原神殿にはかなわないもんだから、「この人を征伐するのにいかにして征伐するか。」と与那国の連中は考えたるわけですよね。だけども、もう根原神殿は武士だからね、殺す人を指示したりするかも知らんけども、これがもうみんな怖いと反対してあるわけさあね。それで、「これを殺すのにはどうしても彼女を作らしてやらんといかん。」と言うて、彼女を作ってやって一緒にして、そのときにあとはもうこの人に酒もあげて、酔わしておいて、彼女には、「一緒に寝とって、根原神殿が寝静まった時に、短刀で刺し殺しなさい。」というふうに指示されたでしょうね。その与那国の人の娘は、だからこの人の身体を調べてみたら、どこをさわってももう固かったらしいんですね。だけど一番ここだけがね、柔らかいところだと分かったら、彼女は、その柔らかいところを刺して殺したら、そのときに、根原神殿は、むくうっと立ち上がってですね、それから立ったまま一週間も倒れなかったっていう話もあるわけよ。それで、与那国の人は、怖くて寄りきらずにいたら、後からは、根原神殿の身体が腐って蛆がわいたら、蛆が口からぽろぽろぽろ落ちて来たから、与那国の人は、その蛆を見てからね、「やあ、これは生米を噛んでもう我々を殺しに来るんだ。さあ、大変だ。」と、それから逃げ回ったりして、自分ら同士でももうぶっつかったりしてけが人を出したりして、大変だったらしいよ。 ・与那国‥‥方言ではゆーん。地元ではどぅなんともいう。那覇港の南西約四五○キロの東シナ海上に位置する日本最西端の島 。石垣島の西方一二八キロ、竹富島からは約一二二キロの東シナ海に浮かぶ日本最西端の島。方音はドゥナン、またはユノーン。久部良バリ・トゥング田・島民の南与那国への逃亡など、人頭税制にまつわる数多くの悲惨な伝説がある。・七櫓(ナナヨー)‥‥西桟橋から一キロほど沖の方の潮流の激しい所。根原神殿が七回櫓を漕いで渡った所なので、そう呼ばれるようになった。
全体の記録時間数 3:02
物語の時間数 3:02
言語識別 共通語
音源の質
テープ番号
予備項目1

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