赤山王(共通語)

概要

ここの伝説では、平家の子孫は壇の浦の戦いに破れて、ここに流れて来たっというから、もう八〇〇年か、八一〇年位になるでしょう。だから、この島には、あの頃から部落はあったんじゃなかなあと思われるわけですよ。この島に来た赤山王って人は、平家の子孫なんですよ。それで、お墓もちゃんとある。当時この島は、全部ジャングルで、人も少ししか住んでなかったでしょうね。そいで、ここに赤山丘とあるところ、向こうにはね、あのなごみの塔が建ててある岩がずうっとあるのよ。あの岩は、昔はもう結局木が小さいから非常にバーンと島から突き出て高かったのよ。僕らが小さい時までもあっちに乗ればもう島全部見晴らせとった。それで、この平家の落ち武者は、美崎御嶽のこの今のアーパー石があるところの側に漂着して来られて、部落の人と接するまでは、岩屋の下にずうっと隠れておって、潮が引いたら海に行って自分で潮干狩をして来て食べたり、そうやって一週間、一〇日と生き抜いておったらしいんです。
 もうそいで、あっちには、新里村という部落があって、そのあたりの部落の人なんかが、あざりに海に出て来る。自分も出て行って出会ったら、新里村の人は、「髭のこんな生えたね、恐ろしい鬼みたいな人がおられる。」とかね、非常に疑ってあるわけよね。こんなふうにしてやっとったけど、赤山王が、色々海であざりをやりながら、「自分は何者でもないよ。」と接して、どんどん部落の人とも交流が出来るようになったから、一応、この島をずうっと巡視したらしいんです。その時に、やっぱり平家の落ち武者も戦いから流
れてきてるもんだから、この大岩を求めて、「自分の住む所は、四方を見晴らせる場所はここだ。」と住む場所を選定してね、この岩に石垣積みをやって、そこに屋敷を求めて住んだから、この家の屋敷は、竹富で一番高いさあね。
 で、その他の先祖もこの赤山王の墓と一緒だったんだけど、今から三代、四代前ぐらいの爺さんなんかに聞いたらね、「赤山王とそのほかの先祖は別に離せ。」というふうに言うから、元は、墓も一つだったけれども、今はみんなもうこの赤山王だけを祀って、置いて残りは全部もう別にしてある。
・赤山王‥‥壇の浦の戦いに落ちのびた平家の武士。竹富島に流れ着き洞穴に住んでいたが、いつの間にか部落民とも親しくなっていた。一振りに剣と金製の碗、百合の花型の杯を持って来た。剣は現在墓所に納められている。・平家‥‥平の姓を名乗る一族。・壇の浦の戦い‥‥一一八五(寿永四)年三月二四日長門壇の浦で行われた源平最後の合戦。平氏は宗盛が安徳天皇および神器を奉じ、源氏は義経を総大将とし、激戦の後に平氏は全滅した。・なごみの塔‥‥竹富島の集落の中心の、赤山公園の中に立っている。・美崎御嶽‥‥竹富島の北にある御嶽。

再生時間:3:20

民話詳細DATA

レコード番号 47O200382
CD番号 47O20C023
決定題名 赤山王(共通語)
話者がつけた題名
話者名 赤山喜介
話者名かな あかやまきすけ
生年月日 19190420
性別
出身地 沖縄県八重山郡竹富町字竹富
記録日 19950910
記録者の所属組織 沖縄口承文芸学術調査団
元テープ番号 竹富町字竹富T30A8
元テープ管理者 沖縄伝承話資料センター
分類 20
発句(ほっく)
伝承事情
文字化資料 沖国大国文学科平成8度卒業論文 竹富島の民話p41
キーワード 平家,美崎御嶽
梗概(こうがい) ここの伝説では、平家の子孫は壇の浦の戦いに破れて、ここに流れて来たっというから、もう八〇〇年か、八一〇年位になるでしょう。だから、この島には、あの頃から部落はあったんじゃなかなあと思われるわけですよ。この島に来た赤山王って人は、平家の子孫なんですよ。それで、お墓もちゃんとある。当時この島は、全部ジャングルで、人も少ししか住んでなかったでしょうね。そいで、ここに赤山丘とあるところ、向こうにはね、あのなごみの塔が建ててある岩がずうっとあるのよ。あの岩は、昔はもう結局木が小さいから非常にバーンと島から突き出て高かったのよ。僕らが小さい時までもあっちに乗ればもう島全部見晴らせとった。それで、この平家の落ち武者は、美崎御嶽のこの今のアーパー石があるところの側に漂着して来られて、部落の人と接するまでは、岩屋の下にずうっと隠れておって、潮が引いたら海に行って自分で潮干狩をして来て食べたり、そうやって一週間、一〇日と生き抜いておったらしいんです。  もうそいで、あっちには、新里村という部落があって、そのあたりの部落の人なんかが、あざりに海に出て来る。自分も出て行って出会ったら、新里村の人は、「髭のこんな生えたね、恐ろしい鬼みたいな人がおられる。」とかね、非常に疑ってあるわけよね。こんなふうにしてやっとったけど、赤山王が、色々海であざりをやりながら、「自分は何者でもないよ。」と接して、どんどん部落の人とも交流が出来るようになったから、一応、この島をずうっと巡視したらしいんです。その時に、やっぱり平家の落ち武者も戦いから流 れてきてるもんだから、この大岩を求めて、「自分の住む所は、四方を見晴らせる場所はここだ。」と住む場所を選定してね、この岩に石垣積みをやって、そこに屋敷を求めて住んだから、この家の屋敷は、竹富で一番高いさあね。  で、その他の先祖もこの赤山王の墓と一緒だったんだけど、今から三代、四代前ぐらいの爺さんなんかに聞いたらね、「赤山王とそのほかの先祖は別に離せ。」というふうに言うから、元は、墓も一つだったけれども、今はみんなもうこの赤山王だけを祀って、置いて残りは全部もう別にしてある。 ・赤山王‥‥壇の浦の戦いに落ちのびた平家の武士。竹富島に流れ着き洞穴に住んでいたが、いつの間にか部落民とも親しくなっていた。一振りに剣と金製の碗、百合の花型の杯を持って来た。剣は現在墓所に納められている。・平家‥‥平の姓を名乗る一族。・壇の浦の戦い‥‥一一八五(寿永四)年三月二四日長門壇の浦で行われた源平最後の合戦。平氏は宗盛が安徳天皇および神器を奉じ、源氏は義経を総大将とし、激戦の後に平氏は全滅した。・なごみの塔‥‥竹富島の集落の中心の、赤山公園の中に立っている。・美崎御嶽‥‥竹富島の北にある御嶽。
全体の記録時間数 3:30
物語の時間数 3:20
言語識別 共通語
音源の質
テープ番号
予備項目1

トップに戻る

TOP