オヤケ赤蜂(共通語)

概要

オヤケ赤蜂生誕地は、波照間島でしてね、波照間の方に、屋敷があるのを見てるわけですよね。この人は、もう体も大きいし、色々武術にも優れた武士みたいな人だったんじゃないですか。そのころは、沖縄から来る役人が、八重山の人を人頭税で非常にいじめておったころだから、それで、赤蜂は、やっぱり住民の味方になってですね、抵抗したらしいんですよ。で、首里の軍が、「これを生かしてはいかない。それではこれを殺してしまえ。」というわけで、征伐に来られて、この人をずうっともう攻めて行ったから、もう赤蜂は追い回されて、綺麗に整地された田圃の所まで行ったから、赤蜂は田圃の中にだあっと入ってね、もう頭もみんな隠して、呼吸をするために、この青いはっぱを漏斗(じょうぐ)みたい巻いてよ、鼻から息をやっとったらしいんですよ。田圃の水の中から、こうして呼吸をしとったんでしょうな。ほんで、赤蜂を攻めて来た役人がそこを通って、「この綺麗に整地された田圃の中に青い葉っぱがあるとは珍しい。」と言うて、弓矢を葉っぱ目掛けて打ち込まれて最期を遂げたというようなお話を聞きました。このオヤケ赤蜂を殺した敵は、沖縄からこの八重山を統治しに来ている役人じゃないですか。このオヤケ赤蜂の碑は、大浜の海岸の方に、赤蜂の建ててあるということですよ。
・オヤケ赤蜂の碑‥‥一九五三年に石垣市字大浜の崎原公園内に建立。・人頭税‥‥一六三七年(寛永一四年)から実施され、一九〇二年(明治三五年)まで、二六六年間にわたって両先島の農民を苦しめた、世界に類を見ない悪税制度であった。納税者の対象年代は一五歳から五〇歳までの男女にわたっていた。

再生時間:2:30

民話詳細DATA

レコード番号 47O200298
CD番号 47O20C017
決定題名 オヤケ赤蜂(共通語)
話者がつけた題名
話者名 赤山喜介
話者名かな あかやまきすけ
生年月日 19190420
性別
出身地 沖縄県八重山郡竹富町字竹富
記録日 19950322
記録者の所属組織 沖縄口承文芸学術調査団
元テープ番号 竹富町字竹富T07A12
元テープ管理者 沖縄伝承話資料センター
分類 20
発句(ほっく)
伝承事情
文字化資料 沖国大国文学科平成8度卒業論文 竹富島の民話 p49
キーワード 波照間島,人頭税,征伐,田圃,弓矢
梗概(こうがい) オヤケ赤蜂生誕地は、波照間島でしてね、波照間の方に、屋敷があるのを見てるわけですよね。この人は、もう体も大きいし、色々武術にも優れた武士みたいな人だったんじゃないですか。そのころは、沖縄から来る役人が、八重山の人を人頭税で非常にいじめておったころだから、それで、赤蜂は、やっぱり住民の味方になってですね、抵抗したらしいんですよ。で、首里の軍が、「これを生かしてはいかない。それではこれを殺してしまえ。」というわけで、征伐に来られて、この人をずうっともう攻めて行ったから、もう赤蜂は追い回されて、綺麗に整地された田圃の所まで行ったから、赤蜂は田圃の中にだあっと入ってね、もう頭もみんな隠して、呼吸をするために、この青いはっぱを漏斗(じょうぐ)みたい巻いてよ、鼻から息をやっとったらしいんですよ。田圃の水の中から、こうして呼吸をしとったんでしょうな。ほんで、赤蜂を攻めて来た役人がそこを通って、「この綺麗に整地された田圃の中に青い葉っぱがあるとは珍しい。」と言うて、弓矢を葉っぱ目掛けて打ち込まれて最期を遂げたというようなお話を聞きました。このオヤケ赤蜂を殺した敵は、沖縄からこの八重山を統治しに来ている役人じゃないですか。このオヤケ赤蜂の碑は、大浜の海岸の方に、赤蜂の建ててあるということですよ。 ・オヤケ赤蜂の碑‥‥一九五三年に石垣市字大浜の崎原公園内に建立。・人頭税‥‥一六三七年(寛永一四年)から実施され、一九〇二年(明治三五年)まで、二六六年間にわたって両先島の農民を苦しめた、世界に類を見ない悪税制度であった。納税者の対象年代は一五歳から五〇歳までの男女にわたっていた。
全体の記録時間数 2:40
物語の時間数 2:30
言語識別 共通語
音源の質
テープ番号
予備項目1

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