
ここに西塘というお宮があるでしょ。このお宮は竹富の出身でね、首里城に園比屋武御嶽(そなやんおたけ)ってあるでしょ。あのお宮をね、立派に造ったんだって。そもそものそのことの始まりは、首里王府時代にあの人頭税のために、だいたい一年に一、二回こう各離島を回ってね、視察に見えていらっしゃってたら、そのときに、裸になっている子供達が道で遊んでいてね、首里王府の役人ほどの方々が来たらね、もう子供達は驚いて、皆三々五々に散って逃げて行ったと言うんだね。ところが、その一つの中の男の子が一人だけ、そこに裸になって立っていたから、首里王府の一人の侍が、「この子は珍しいなあ。他の子は皆逃げて行くのに、この子は逃げない。度胸が強いか、才が強いのか、試してみたい。」と思ってね、お菓子を一つ持っていたから、「大変おいしいお菓子だから食べてごらん。」って言ったら、二つぽんと割って、両手に持ってね、右手に持っているのを食べたり、左手に持っているのを食べたりして、これを食べたりあれを食べたりしているものだから、ますます首里王府の役人が気に入ってね、「どっちがおいしいか。」と聞いたら、その子は、手をぱちっとたたいてね、「どっちが鳴ったか。」と返したと言うんだね。そうしたら、その役人は、「ものすごく才の長けた子供だな。」と思って、「お利口だなあ、大きくなって、立派になりなさいよ。」て言って、帰ったと言うんだ。それから、十七、八年の間、あの首里王府の改築や園比屋武御嶽(そなやんうたき)なんか造りあげる時にね、「これがうまく出来るような逸材がいないかな。」ということを首里王は、いろいろ探させていましてね、その時その役人が、ふっと、竹富島で会ったあの子供の優れた才能をを思い出してね、「あの子は今頃はもう二十歳を過ぎているはずだから、いい男になっていないかな。」と思ってね、竹富に連絡して首里王府にあの子を呼んだ。「実はこうこうこういうふうなことをやりたいんだけども。」って言ったらね、「任せて下さい。」と言うのでね、首里城改築と園比屋武御嶽(そなやんうたき)の計画をね、自分で進め上げてね、立派に造って仕上げたんだって。それで、物凄く首里王府に可愛がれてね、向こうの仕事が終わると、王府から、優れた人間だからということで、八重山の初代蔵元に任命されて帰る時にね、「それじゃ、自分の使った石の残りあるから、その石を持って帰って、自分の墓石にしよう。」と、その石をね、船に積んで持ってきたと。持ってきたのが、この西塘の墓石です。だから、竹富にはこんな石ないよ。竹富にある石とこの石は全然違うよ。で、そのようにしてね、竹富島に帰って来て、八重山の初代蔵元になったよ。蔵元というのは、今の八重山郡を治める八重山支庁長でしょ。八重山の蔵元の跡は、向こうの皆治原にまだあるので、帰りに行ったら分かりますよ。蔵元の地名を皆を治めると書いたのは、おそらくは宛字ではあろうけれでも、あの頃の蔵元は、八重山では、蔵元が一番上で、その
下に各市町村の市町村長がいて、八重山の皆の治安を治める、政治を治めるというような役段だったんです。それで、何十代後か分からんけれども、今の八重山支庁長は竹富の人ですけどね。面白い因縁だなあと思ったりしているんです。
この西塘がこの竹富で何年蔵元をやったか知らんけども、この竹富では島が狭すぎるし、港がよくないというので、蔵元を石垣に移して、現在に至ってます。また、この西塘の墓は、自分で造って、「自分が死んだらちゃんと納めるように。」と言って死んだんですが、その後、まだ開けたことないんですよ。だから、なんか宝物でも入っているんじゃないかなと思って開けたいなあと思っているけどね。西塘は、これはもう竹富の人は西塘精神というふうに言われていて、島の代表だからね、この墓は、島全体が拝んでいま。こ
の西塘さんには、弟がいたらしいんですよね。多分、兄弟だから素質は良かったんじゃないかな。で、その人は、首里王に人頭税を納めるために、首里に上がって、その帰りしなに、いきなり台風に遭って流されてね、死んだのか生きたのか分からないということですね。その弟さんの香炉は、南方に向けてね、外側にそえられていますよ。西塘祭の時には、そこにも線香焚いて拝みをするんですよ。
・西塘祭‥‥旧暦の六月壬亥(みずのえゐ)の日に行われる五穀豊穣の感謝祭。西塘の墓が石垣島から竹富島に移築されたため、当時島の責任者であった大山築登之親雲上(おおやまちくどぅんべえちん)が島民を集め協議した結果、西塘大祭が行われるようになった。
| レコード番号 | 47O200270 |
|---|---|
| CD番号 | 47O20C016 |
| 決定題名 | 西塘(共通語) |
| 話者がつけた題名 | - |
| 話者名 | 親盛長明 |
| 話者名かな | しんもりちょうめい |
| 生年月日 | 19160301 |
| 性別 | 男 |
| 出身地 | 沖縄県八重山郡竹富町字竹富 |
| 記録日 | 19950322 |
| 記録者の所属組織 | 沖縄口承文芸学術調査団 |
| 元テープ番号 | 竹富町字竹富T05A04 |
| 元テープ管理者 | 沖縄伝承話資料センター |
| 分類 | 20 |
| 発句(ほっく) | - |
| 伝承事情 | - |
| 文字化資料 | 沖国大国文学科平成8度卒業論文 竹富島の民話 p58 |
| キーワード | 園比屋武御嶽,子供,お菓子,両手, |
| 梗概(こうがい) | ここに西塘というお宮があるでしょ。このお宮は竹富の出身でね、首里城に園比屋武御嶽(そなやんおたけ)ってあるでしょ。あのお宮をね、立派に造ったんだって。そもそものそのことの始まりは、首里王府時代にあの人頭税のために、だいたい一年に一、二回こう各離島を回ってね、視察に見えていらっしゃってたら、そのときに、裸になっている子供達が道で遊んでいてね、首里王府の役人ほどの方々が来たらね、もう子供達は驚いて、皆三々五々に散って逃げて行ったと言うんだね。ところが、その一つの中の男の子が一人だけ、そこに裸になって立っていたから、首里王府の一人の侍が、「この子は珍しいなあ。他の子は皆逃げて行くのに、この子は逃げない。度胸が強いか、才が強いのか、試してみたい。」と思ってね、お菓子を一つ持っていたから、「大変おいしいお菓子だから食べてごらん。」って言ったら、二つぽんと割って、両手に持ってね、右手に持っているのを食べたり、左手に持っているのを食べたりして、これを食べたりあれを食べたりしているものだから、ますます首里王府の役人が気に入ってね、「どっちがおいしいか。」と聞いたら、その子は、手をぱちっとたたいてね、「どっちが鳴ったか。」と返したと言うんだね。そうしたら、その役人は、「ものすごく才の長けた子供だな。」と思って、「お利口だなあ、大きくなって、立派になりなさいよ。」て言って、帰ったと言うんだ。それから、十七、八年の間、あの首里王府の改築や園比屋武御嶽(そなやんうたき)なんか造りあげる時にね、「これがうまく出来るような逸材がいないかな。」ということを首里王は、いろいろ探させていましてね、その時その役人が、ふっと、竹富島で会ったあの子供の優れた才能をを思い出してね、「あの子は今頃はもう二十歳を過ぎているはずだから、いい男になっていないかな。」と思ってね、竹富に連絡して首里王府にあの子を呼んだ。「実はこうこうこういうふうなことをやりたいんだけども。」って言ったらね、「任せて下さい。」と言うのでね、首里城改築と園比屋武御嶽(そなやんうたき)の計画をね、自分で進め上げてね、立派に造って仕上げたんだって。それで、物凄く首里王府に可愛がれてね、向こうの仕事が終わると、王府から、優れた人間だからということで、八重山の初代蔵元に任命されて帰る時にね、「それじゃ、自分の使った石の残りあるから、その石を持って帰って、自分の墓石にしよう。」と、その石をね、船に積んで持ってきたと。持ってきたのが、この西塘の墓石です。だから、竹富にはこんな石ないよ。竹富にある石とこの石は全然違うよ。で、そのようにしてね、竹富島に帰って来て、八重山の初代蔵元になったよ。蔵元というのは、今の八重山郡を治める八重山支庁長でしょ。八重山の蔵元の跡は、向こうの皆治原にまだあるので、帰りに行ったら分かりますよ。蔵元の地名を皆を治めると書いたのは、おそらくは宛字ではあろうけれでも、あの頃の蔵元は、八重山では、蔵元が一番上で、その 下に各市町村の市町村長がいて、八重山の皆の治安を治める、政治を治めるというような役段だったんです。それで、何十代後か分からんけれども、今の八重山支庁長は竹富の人ですけどね。面白い因縁だなあと思ったりしているんです。 この西塘がこの竹富で何年蔵元をやったか知らんけども、この竹富では島が狭すぎるし、港がよくないというので、蔵元を石垣に移して、現在に至ってます。また、この西塘の墓は、自分で造って、「自分が死んだらちゃんと納めるように。」と言って死んだんですが、その後、まだ開けたことないんですよ。だから、なんか宝物でも入っているんじゃないかなと思って開けたいなあと思っているけどね。西塘は、これはもう竹富の人は西塘精神というふうに言われていて、島の代表だからね、この墓は、島全体が拝んでいま。こ の西塘さんには、弟がいたらしいんですよね。多分、兄弟だから素質は良かったんじゃないかな。で、その人は、首里王に人頭税を納めるために、首里に上がって、その帰りしなに、いきなり台風に遭って流されてね、死んだのか生きたのか分からないということですね。その弟さんの香炉は、南方に向けてね、外側にそえられていますよ。西塘祭の時には、そこにも線香焚いて拝みをするんですよ。 ・西塘祭‥‥旧暦の六月壬亥(みずのえゐ)の日に行われる五穀豊穣の感謝祭。西塘の墓が石垣島から竹富島に移築されたため、当時島の責任者であった大山築登之親雲上(おおやまちくどぅんべえちん)が島民を集め協議した結果、西塘大祭が行われるようになった。 |
| 全体の記録時間数 | 9:42 |
| 物語の時間数 | 9:42 |
| 言語識別 | 共通語 |
| 音源の質 | ○ |
| テープ番号 | - |
| 予備項目1 | - |