
お正月を迎える大晦日の晩のことでございますけど、東隣は大変この裕福な家で、その西隣が大変貧乏の家で爺ちゃんと婆ちゃんが二人暮らしで。でえ、この裕福なところでは大晦日で、明日のお正月の準備ですとか言って、ご馳走とか、子供たちの着物やら新しく全部整えて大変ごった返してわいわい騒いでいたらしい。西隣の爺ちゃん婆ちゃんは、大晦だというのにも年越しをする何も食べる物もない。おそばさえも作れないといった様なすごく貧困な所帯で、「では、我らはもう物はないから、火お正月、火にあたって年越しをしよう。」と言って、この火当たりをする準備をしていたら、どこからともなく身なりの汚い年寄りの方が、「ごめんください。」と言うて、この裕福な家のところにみえて、「一晩、今晩だけお宿貸していただけないですか。どこでもいいんですから、泊めてください。」と言ったら、「明日は年も改まるお正月だというのに、お前みたいな、汚い身なりしてるは、自分の家には泊めることはできない。」「どうしても出来ないんですか。」「もう見たくもないから早く出ていけ。」と言われたから、身なりの汚い爺さんは、「はいわかりました。」と杖を頼りにして、また西の貧乏な爺さんと婆さんのところに、合図したら、「ああ、どなたさんですか。」「今晩一晩、私を泊めていただけないですか。」と。「いや、ご覧の通りこういう家屋で、まあ、差し上げる食べる物もないんですよ、これで良かったらどうぞお入りください。」「じゃあ、ありがとう。じゃあ、上がるよ。」と上がって行って、「明日はお正月だと言うて、東隣では大変明日の準備されてるのに爺さん婆さんたちはどうして。」「ご覧の通り何もありません。明日の準備も出来ないし、年は年だし、もう火お正月をしようということで、薪だけ温めて準備したから、あんたも火に当たってください。」と言うて、その晩はそこのこの爺さんの家に泊まって、夜が明けると共に、その翌朝起きて来たら、あの泊めた方は、普通の人間じゃなくして神で、その家には、鍋も釜も、そうないもんですから、婆さんと爺さんとに、「お正月用の料理を鍋一つに区切りされて全部出来ておるし、若水をあんたたちあげるから。」と言うて若水をお前にそえておいてですね、「じゃあ私はこれで、失礼する。」とも言わないで、そのままスッと消えてしまったので、この爺さんと婆さんは、「これはもうただの人じゃなかった。確かに神であったに相違ない。」と鍋の蓋開けて見たらもう料理はちゃんと出来ているし、「ああ、こりゃありがたい、こんなにありがたいことが。本当に今度の正月は我らは幸せだ、若水もあって、若水浴びなさいよと言われている。じゃ、若水浴びてみよう。」と、若水を浴びたらもう爺さん婆さんだったのが、十八、九ぐらい歳が若くなってですね、それに衣装類も整えてもらっているから、それを着けて、東の家に行ったら、東の家ではびっくりしちゃってですねえ、「どうしたんですか、爺さん婆さん。」って。そしたら、東の家ではもうみんな年寄りなって、見たらもう人間じゃないようなもういろんな獣になってしまった。
ですから、昔の年寄り達は、「人間というのは裕福だとか、金持ちであるからという奢りの心を持つな。貧乏だからといっても人間の持つ道徳というのはどこまでも持つべきである。お前たちも大きくなったら、親がお金があるから、この子は貧乏の子だからそういう差別はすべきじゃない。人間というのはお互い心を、気持ちで持つべきだ。」と、そういう事をいつも喋っていた。
| レコード番号 | 47O200041 |
|---|---|
| CD番号 | 47O20C003 |
| 決定題名 | 大歳の客(方言) |
| 話者がつけた題名 | 大晦日の話 |
| 話者名 | 与那国清介 |
| 話者名かな | よなぐにせいかい |
| 生年月日 | 19011102 |
| 性別 | 男 |
| 出身地 | 沖縄県八重山郡竹富町字竹富 |
| 記録日 | 19750807 |
| 記録者の所属組織 | 沖縄口承文芸学術調査団 |
| 元テープ番号 | 竹富町字竹富T38B1 |
| 元テープ管理者 | 沖縄伝承話資料センター |
| 分類 | 12 |
| 発句(ほっく) | - |
| 伝承事情 | - |
| 文字化資料 | 沖国大国文学科平成8年度卒業論文 竹富島の民話 p75 |
| キーワード | 大晦日,火お正月,若水,獣 |
| 梗概(こうがい) | お正月を迎える大晦日の晩のことでございますけど、東隣は大変この裕福な家で、その西隣が大変貧乏の家で爺ちゃんと婆ちゃんが二人暮らしで。でえ、この裕福なところでは大晦日で、明日のお正月の準備ですとか言って、ご馳走とか、子供たちの着物やら新しく全部整えて大変ごった返してわいわい騒いでいたらしい。西隣の爺ちゃん婆ちゃんは、大晦だというのにも年越しをする何も食べる物もない。おそばさえも作れないといった様なすごく貧困な所帯で、「では、我らはもう物はないから、火お正月、火にあたって年越しをしよう。」と言って、この火当たりをする準備をしていたら、どこからともなく身なりの汚い年寄りの方が、「ごめんください。」と言うて、この裕福な家のところにみえて、「一晩、今晩だけお宿貸していただけないですか。どこでもいいんですから、泊めてください。」と言ったら、「明日は年も改まるお正月だというのに、お前みたいな、汚い身なりしてるは、自分の家には泊めることはできない。」「どうしても出来ないんですか。」「もう見たくもないから早く出ていけ。」と言われたから、身なりの汚い爺さんは、「はいわかりました。」と杖を頼りにして、また西の貧乏な爺さんと婆さんのところに、合図したら、「ああ、どなたさんですか。」「今晩一晩、私を泊めていただけないですか。」と。「いや、ご覧の通りこういう家屋で、まあ、差し上げる食べる物もないんですよ、これで良かったらどうぞお入りください。」「じゃあ、ありがとう。じゃあ、上がるよ。」と上がって行って、「明日はお正月だと言うて、東隣では大変明日の準備されてるのに爺さん婆さんたちはどうして。」「ご覧の通り何もありません。明日の準備も出来ないし、年は年だし、もう火お正月をしようということで、薪だけ温めて準備したから、あんたも火に当たってください。」と言うて、その晩はそこのこの爺さんの家に泊まって、夜が明けると共に、その翌朝起きて来たら、あの泊めた方は、普通の人間じゃなくして神で、その家には、鍋も釜も、そうないもんですから、婆さんと爺さんとに、「お正月用の料理を鍋一つに区切りされて全部出来ておるし、若水をあんたたちあげるから。」と言うて若水をお前にそえておいてですね、「じゃあ私はこれで、失礼する。」とも言わないで、そのままスッと消えてしまったので、この爺さんと婆さんは、「これはもうただの人じゃなかった。確かに神であったに相違ない。」と鍋の蓋開けて見たらもう料理はちゃんと出来ているし、「ああ、こりゃありがたい、こんなにありがたいことが。本当に今度の正月は我らは幸せだ、若水もあって、若水浴びなさいよと言われている。じゃ、若水浴びてみよう。」と、若水を浴びたらもう爺さん婆さんだったのが、十八、九ぐらい歳が若くなってですね、それに衣装類も整えてもらっているから、それを着けて、東の家に行ったら、東の家ではびっくりしちゃってですねえ、「どうしたんですか、爺さん婆さん。」って。そしたら、東の家ではもうみんな年寄りなって、見たらもう人間じゃないようなもういろんな獣になってしまった。 ですから、昔の年寄り達は、「人間というのは裕福だとか、金持ちであるからという奢りの心を持つな。貧乏だからといっても人間の持つ道徳というのはどこまでも持つべきである。お前たちも大きくなったら、親がお金があるから、この子は貧乏の子だからそういう差別はすべきじゃない。人間というのはお互い心を、気持ちで持つべきだ。」と、そういう事をいつも喋っていた。 |
| 全体の記録時間数 | 2:58 |
| 物語の時間数 | 2:38 |
| 言語識別 | 方言 |
| 音源の質 | ○ |
| テープ番号 | - |
| 予備項目1 | - |