
昔、長嶺城ていうのがあったんですよ。私達の先祖はそこの城主だったんじゃないかと思うんですよね。そのころ王様はあっちこっちに城主がおっては反乱するんじゃないかという疑念をもってね、そういう連中をみんな首里に集めることになって、そういう政策によって首里に集められたらしい。そして、今の金城町にうちの長嶺家の先祖はいたんですよね。だから、先祖は首里城に勤めたわけさ。それが祖父の時代にね、鹿児島藩とか言って藩主がおったんでしょ。沖縄の方は藩主と言わないで王様だった。ところが明治時代になって藩を廃して県を置くという廃藩置県という制度が出来たわけさ。それで、王様の尚家はね、東京に連れて行かれた。その時に王様が言うにはね、「戦世やはんち、弥勒世やんかてぃ、靡くなよ臣下、命どぅ宝。」そうおっしゃったそうだ。歌の意味は、「誰かが戦争しようって言っても豊かな世の中を迎えるようになるから、住民は、それに靡いたらいけないよ。命が宝だから。」という意味です。これは、王様が東京に連れられて行くとき、役人の何名かはね、「王様を連れて行かしたらいけないよ。」って言う反対派もいたわけさ。その反対派に靡いたら、「王様は東京に行ってはいかせない。連れていく人と戦しよう。」っていうことになるでしょ。そして、戦になったら、誰かが生命をなくするからこの歌を歌ったんです。王様は東京行った。その後は、本土の鹿児島あたりから役人が来て大和世になったから、お城に勤めていた人もみんなね、「大和世に仕りーみ 。」と、うちの祖父、父、お城勤めしてた長男なんかはね、結局内心は反抗心があるわけさ。だから、王様を連れて行かれたのにね、自分達はのうのうとしてそのお城に行って大和人に仕りーみー〕ということで、みんな職を辞して、そして、職を辞したら本当は金もないしね、大変だけれども、それでも、我をはって、田舎に行ったら、畑を開墾して何か喰うことは出来るだろというのでね、今の糸満市の真壁村真栄平って言う所に疎開したって言うことになるかね。だから、祖父、父、長男は真栄平に行って、まだ首里城に勤めに行っていなかった次男は首里に残ったので、次男の子孫は今でも首里の金城町にいます。そして、娘は田舎に連れて行ったらかわいそうだと言うので次男の家に預けて、息子三名は連れていったが、長男は学問をした人だから順応出来ないで早死にした。末の二人はまだ学校出なかったが、学問しようと思えば出来たかもしれんが、学問させる金もないしね、だから二人は、学問もしないで、そのまま農民になったが、元々学者の子だから、学は無くても頭はいいさーね。農業もしながら農民に頼まれて、「馬が要るから馬を買ってきてくれ。」「牛が要るから牛を見てくれ。」と頼まれていたそうだ。牛を見てくれって言うのは、いい牛か悪い牛か、値段が適当であるかどうかっていうのをね、見るということなんだよね。それで、牛を見て連れてくると、農民がみんな寄ってきて連れて行くのよね。そのころ、私の家では農業もするけれども、砂糖キビを作って砂糖を炊くと、鍋のまま家の軒下に置いてあった。砂糖鍋のこの縁の所はね、ムチャムチャーグヮーして美味しいんですよ。私のこの手はね、五才のとき、子どもだからね、それを取って食べようとして手を突っ込んでしまってね、だけど砂糖はまだ熱いでしょう。それで、火傷して、そして、「シーバイんかいいりれー、シーバイんかいいりれー(小便に入れろ、小便に入れろ)。」ていうのを聞いた覚えがあるね。小便を溜めて肥料にするでしょう。火傷したらその小便ために突っ込ますんだね。あれはやっぱしバイ菌が入らないようにあれがあるんでしょうね。そうしてから、父は、商売じゃないけども、農業する傍らみんなに頼まれて、牛を売ってくれと頼まれるといい値段で売って、また買ってくれといったらまた安い値段で買ってあげるというその仲買をして、それから、ちょっと那覇の辻町の女郎の居るところに行ってね、いわゆる売ったり買ったりのお祝いをするわけさあ。その時に父も仲買だからついてって、そしたら、父は何か好きな女がいたんでしょう。それがすんでからもう住み込んでしまってね、母はね、困ってしまって、農業も女一人ではできないし、私なんかは五才ぐらいだったはず。そらから兄が八才かな。姉が十才ぐらいで、三名の子どもを連れているのにね、夫がその尾類にはまり込んでいるから、真壁真栄平からね、何回かその夫を探して辻まで連れに行ったんだけど戻らない。そのうち夫を探しに行ったり来たりしてるうちに那覇でね、この商売のもようを見たんでしょう。「ははあ、これは夫はもう農業しないし、自分も子どもを抱えてるし、那覇で商売したら生活できるはず。」って、知恵が出たわけさ。それで、子ども三名と一緒に、荷物は自分と姉の頭に乗せるだけにして、真壁真栄平ていうのは今の平和公園の近所でしょ。あちらからね、客馬車という交通手段があるんだけど、それに乗ったら賃金が出るでしょ。その賃金を払ったら那覇で商売する資金が足りないというのでね、それに乗せないで、私と私が五つ、数えでは満四才ぐらいでしょ。兄が満八才ぐらいだったかね。姉が十二、三才ぐらいだから、私達兄弟の二人は遠出をしたことはないから、喜んで走ってね、那覇まで来たよ。
| レコード番号 | 47O419063 |
|---|---|
| CD番号 | 47O41C467 |
| 決定題名 | 長嶺門中(共通語) |
| 話者がつけた題名 | - |
| 話者名 | 照屋ヒデ |
| 話者名かな | てるやひで |
| 生年月日 | 19100223 |
| 性別 | 女 |
| 出身地 | 北谷町 |
| 記録日 | 19960814 |
| 記録者の所属組織 | 沖縄国際大学口承研 |
| 元テープ番号 | 北谷町T20A01 |
| 元テープ管理者 | 沖縄伝承話資料センター |
| 分類 | 80 |
| 発句(ほっく) | - |
| 伝承事情 | - |
| 文字化資料 | - |
| キーワード | 長嶺城,首里城,廃藩置県,畑を開墾,那覇の辻町の女郎,那覇で商売 |
| 梗概(こうがい) | 昔、長嶺城ていうのがあったんですよ。私達の先祖はそこの城主だったんじゃないかと思うんですよね。そのころ王様はあっちこっちに城主がおっては反乱するんじゃないかという疑念をもってね、そういう連中をみんな首里に集めることになって、そういう政策によって首里に集められたらしい。そして、今の金城町にうちの長嶺家の先祖はいたんですよね。だから、先祖は首里城に勤めたわけさ。それが祖父の時代にね、鹿児島藩とか言って藩主がおったんでしょ。沖縄の方は藩主と言わないで王様だった。ところが明治時代になって藩を廃して県を置くという廃藩置県という制度が出来たわけさ。それで、王様の尚家はね、東京に連れて行かれた。その時に王様が言うにはね、「戦世やはんち、弥勒世やんかてぃ、靡くなよ臣下、命どぅ宝。」そうおっしゃったそうだ。歌の意味は、「誰かが戦争しようって言っても豊かな世の中を迎えるようになるから、住民は、それに靡いたらいけないよ。命が宝だから。」という意味です。これは、王様が東京に連れられて行くとき、役人の何名かはね、「王様を連れて行かしたらいけないよ。」って言う反対派もいたわけさ。その反対派に靡いたら、「王様は東京に行ってはいかせない。連れていく人と戦しよう。」っていうことになるでしょ。そして、戦になったら、誰かが生命をなくするからこの歌を歌ったんです。王様は東京行った。その後は、本土の鹿児島あたりから役人が来て大和世になったから、お城に勤めていた人もみんなね、「大和世に仕りーみ 。」と、うちの祖父、父、お城勤めしてた長男なんかはね、結局内心は反抗心があるわけさ。だから、王様を連れて行かれたのにね、自分達はのうのうとしてそのお城に行って大和人に仕りーみー〕ということで、みんな職を辞して、そして、職を辞したら本当は金もないしね、大変だけれども、それでも、我をはって、田舎に行ったら、畑を開墾して何か喰うことは出来るだろというのでね、今の糸満市の真壁村真栄平って言う所に疎開したって言うことになるかね。だから、祖父、父、長男は真栄平に行って、まだ首里城に勤めに行っていなかった次男は首里に残ったので、次男の子孫は今でも首里の金城町にいます。そして、娘は田舎に連れて行ったらかわいそうだと言うので次男の家に預けて、息子三名は連れていったが、長男は学問をした人だから順応出来ないで早死にした。末の二人はまだ学校出なかったが、学問しようと思えば出来たかもしれんが、学問させる金もないしね、だから二人は、学問もしないで、そのまま農民になったが、元々学者の子だから、学は無くても頭はいいさーね。農業もしながら農民に頼まれて、「馬が要るから馬を買ってきてくれ。」「牛が要るから牛を見てくれ。」と頼まれていたそうだ。牛を見てくれって言うのは、いい牛か悪い牛か、値段が適当であるかどうかっていうのをね、見るということなんだよね。それで、牛を見て連れてくると、農民がみんな寄ってきて連れて行くのよね。そのころ、私の家では農業もするけれども、砂糖キビを作って砂糖を炊くと、鍋のまま家の軒下に置いてあった。砂糖鍋のこの縁の所はね、ムチャムチャーグヮーして美味しいんですよ。私のこの手はね、五才のとき、子どもだからね、それを取って食べようとして手を突っ込んでしまってね、だけど砂糖はまだ熱いでしょう。それで、火傷して、そして、「シーバイんかいいりれー、シーバイんかいいりれー(小便に入れろ、小便に入れろ)。」ていうのを聞いた覚えがあるね。小便を溜めて肥料にするでしょう。火傷したらその小便ために突っ込ますんだね。あれはやっぱしバイ菌が入らないようにあれがあるんでしょうね。そうしてから、父は、商売じゃないけども、農業する傍らみんなに頼まれて、牛を売ってくれと頼まれるといい値段で売って、また買ってくれといったらまた安い値段で買ってあげるというその仲買をして、それから、ちょっと那覇の辻町の女郎の居るところに行ってね、いわゆる売ったり買ったりのお祝いをするわけさあ。その時に父も仲買だからついてって、そしたら、父は何か好きな女がいたんでしょう。それがすんでからもう住み込んでしまってね、母はね、困ってしまって、農業も女一人ではできないし、私なんかは五才ぐらいだったはず。そらから兄が八才かな。姉が十才ぐらいで、三名の子どもを連れているのにね、夫がその尾類にはまり込んでいるから、真壁真栄平からね、何回かその夫を探して辻まで連れに行ったんだけど戻らない。そのうち夫を探しに行ったり来たりしてるうちに那覇でね、この商売のもようを見たんでしょう。「ははあ、これは夫はもう農業しないし、自分も子どもを抱えてるし、那覇で商売したら生活できるはず。」って、知恵が出たわけさ。それで、子ども三名と一緒に、荷物は自分と姉の頭に乗せるだけにして、真壁真栄平ていうのは今の平和公園の近所でしょ。あちらからね、客馬車という交通手段があるんだけど、それに乗ったら賃金が出るでしょ。その賃金を払ったら那覇で商売する資金が足りないというのでね、それに乗せないで、私と私が五つ、数えでは満四才ぐらいでしょ。兄が満八才ぐらいだったかね。姉が十二、三才ぐらいだから、私達兄弟の二人は遠出をしたことはないから、喜んで走ってね、那覇まで来たよ。 |
| 全体の記録時間数 | 22:49 |
| 物語の時間数 | 22:19 |
| 言語識別 | 共通語 |
| 音源の質 | 〇 |
| テープ番号 | - |
| 予備項目1 | - |