義本王の禅譲(共通語)

概要

そうして、この英祖王は、このときは英祖王はでない、伊集、英、英祖、英祖、このときは義本王がいる、為朝公の三代めの、子供がいるさ、舜天王ね、舜馬順煕、義本王といって、義本王がいるから、この義本王の時代、七、七月(ちち)、七カ月はぁ、日照りやったわけさぁ、日照り、ね、日照りをやって、そのときに、まぁ、義本王もうちが、国王なって、こう、これはもううちは、今の為朝公の子孫と言って、天地の神様からも、見捨てているかねぇと思う。もう沢山、琉球国の民百姓に皆、病がち、死人は沢山出ているから、これは困ったねぇ、誰(だい)か、国を救る、神を、神にような、人をいないかねと言って、そのときに、迷っているときに、この、自分がある、神様の様な、人が教えたわけさぁ、こっちはもう琉球国は、玉城天孫氏から、二十五代めの、天孫氏の子孫が、やっぱし、天孫氏の子孫が、国を治めなかったらいかないら、こうして、神の日照、この、日照りが、神のみにしかあがって、神に審判があがったかもしれんよぅと言ったらね、そして、これを、義本王を、もう先ず先ず、驚いてね、じゃあ、これは、な、誰かねぇと言って、うんじゅが、あなたが使ったね、せし、英祖、摂政、英祖やいびぃさっさぁ、英祖である。このときに摂政やってるわけさぁ、摂政、英祖、義本王、なにもかも、参謀欲でねぇ、なにもかも、壊し、皆これが考えた方が全部(むる)、皆上等になるわけさぁ、やっぱしこの、考えてより以上に、神の子だねぇと言ってね、これが太陽(てだ)の子になるわけさぁ、おなしぃだよね、太陽(てだ)の子祭りとゆうもんはこれに名を付けるわけさぁ。 そして、この英祖、あぁ、もう義本は、もうこれからもううちは、もうあんたに譲り、国王譲からもう天孫氏国王、まぁ、聞得大君、祝女の立ち始まりの、玉城ね、アマミキヨのところ、まぁ、玉城、城に行って、あっちの農民に、薪を、城の上に、束を持って、とぉ、交えて、そして、こっちから、義本王と英祖王、またそれから、部下は武装、刀や槍や武装やってね、そうして、英祖王馬に乗って、義本王はかぎ、籠に、籠に乗って、そして、行列やって、玉城城址でもうバトンタッチをやろうと言ってね、行ったわけさぁ、もう。 そうして、浦添(うらしぃ)城址、首里を中間に通って、そうして、まぁ、大、大里村、大里村の大城(うふぐしく)の前を通って、そうして、ウエキ原(ばる)にあがって、この通ときはもう皆、田んぼやらね、皆水はないわけさぁ、割れて、水は、そう、病、病人も沢山もう出ているからね、死んだり、そここう、相当ショック受けたわけさぁ、義本王。こうして、あっち、玉城城址ではもうもうあっちの百姓に薪を、た、た、薪、こしらえてもう準備して、ま、やっている。こっちで、もうアマチジ城(ぐしく)で、あぁ、あぁ、わんねぇ、うちは、為朝は、今の為朝公の三代めの義本王どぅやいびぃる、ま、うまからの、玉城、あま、ミントゥン、あぁ、玉城、城(ぐしく)天孫氏アマミキヨからの二十五代めのあぁ、英祖んりぃしが、だい、二十五代めの、あぁ、天孫氏、クニカニマチガニの、子孫、うみんがうまがんがいさりんとぉる、さり、英祖にぃりぃしんかい、バトンタッチさりぃくとぅ、一般、沖縄中、もううっさ晴りてぃ、日照りなてぃ、死人うんじちそおびぃせぇどぉゆうて、東に向かってね、あま、武士、そうして、お祈りやって、英祖も義本も、そのときに、そうやったらもう急に俄に日本晴れだが、俄に、ありもう黒い雲があれ、あ、で、玉城間切一体、沖縄一体にもう薪崩れてきてねぇ、そのときに、もうこれもう薪に火を付けて、ばぁばぁ燃ってね、拝んでいるわけさぁ、英祖も義本も。
 そして、もううちは、国王の位から、しぃ、退くから、英、義本、えぇ、英祖に、天孫氏、こっちもう天孫氏の二十五代めの天孫氏の子孫に、英祖に、バトンタッチするから、どうか、雨たぼれぇ、雨たぼれぇ、でち、そうして、雨乞いの儀式もやってね、やったらもう荒い雨が降ってねぇ。

再生時間:5:34

民話詳細DATA

レコード番号 47O378743
CD番号 47O37C366
決定題名 義本王の禅譲(共通語)
話者がつけた題名
話者名 大城紀浩
話者名かな おおしろきこう
生年月日 19311230
性別
出身地 南風原町津嘉山
記録日 19910825
記録者の所属組織 南風原町口承文芸調査団
元テープ番号 南風原町T146A04
元テープ管理者 沖縄伝承話資料センター
分類 20
発句(ほっく)
伝承事情
文字化資料
キーワード 英祖王,義本王,為朝公,舜天王,舜馬順煕,日照り,天地の神様,琉球国の民百姓,病がち,死人,玉城天孫氏,摂政,太陽の子祭り,天孫氏国王,聞得大君,祝女の立ち始まり,玉城,アマミキヨ,玉城城址,浦添城址,首里,大里村,ウエキ原,為朝
梗概(こうがい) そうして、この英祖王は、このときは英祖王はでない、伊集、英、英祖、英祖、このときは義本王がいる、為朝公の三代めの、子供がいるさ、舜天王ね、舜馬順煕、義本王といって、義本王がいるから、この義本王の時代、七、七月(ちち)、七カ月はぁ、日照りやったわけさぁ、日照り、ね、日照りをやって、そのときに、まぁ、義本王もうちが、国王なって、こう、これはもううちは、今の為朝公の子孫と言って、天地の神様からも、見捨てているかねぇと思う。もう沢山、琉球国の民百姓に皆、病がち、死人は沢山出ているから、これは困ったねぇ、誰(だい)か、国を救る、神を、神にような、人をいないかねと言って、そのときに、迷っているときに、この、自分がある、神様の様な、人が教えたわけさぁ、こっちはもう琉球国は、玉城天孫氏から、二十五代めの、天孫氏の子孫が、やっぱし、天孫氏の子孫が、国を治めなかったらいかないら、こうして、神の日照、この、日照りが、神のみにしかあがって、神に審判があがったかもしれんよぅと言ったらね、そして、これを、義本王を、もう先ず先ず、驚いてね、じゃあ、これは、な、誰かねぇと言って、うんじゅが、あなたが使ったね、せし、英祖、摂政、英祖やいびぃさっさぁ、英祖である。このときに摂政やってるわけさぁ、摂政、英祖、義本王、なにもかも、参謀欲でねぇ、なにもかも、壊し、皆これが考えた方が全部(むる)、皆上等になるわけさぁ、やっぱしこの、考えてより以上に、神の子だねぇと言ってね、これが太陽(てだ)の子になるわけさぁ、おなしぃだよね、太陽(てだ)の子祭りとゆうもんはこれに名を付けるわけさぁ。 そして、この英祖、あぁ、もう義本は、もうこれからもううちは、もうあんたに譲り、国王譲からもう天孫氏国王、まぁ、聞得大君、祝女の立ち始まりの、玉城ね、アマミキヨのところ、まぁ、玉城、城に行って、あっちの農民に、薪を、城の上に、束を持って、とぉ、交えて、そして、こっちから、義本王と英祖王、またそれから、部下は武装、刀や槍や武装やってね、そうして、英祖王馬に乗って、義本王はかぎ、籠に、籠に乗って、そして、行列やって、玉城城址でもうバトンタッチをやろうと言ってね、行ったわけさぁ、もう。 そうして、浦添(うらしぃ)城址、首里を中間に通って、そうして、まぁ、大、大里村、大里村の大城(うふぐしく)の前を通って、そうして、ウエキ原(ばる)にあがって、この通ときはもう皆、田んぼやらね、皆水はないわけさぁ、割れて、水は、そう、病、病人も沢山もう出ているからね、死んだり、そここう、相当ショック受けたわけさぁ、義本王。こうして、あっち、玉城城址ではもうもうあっちの百姓に薪を、た、た、薪、こしらえてもう準備して、ま、やっている。こっちで、もうアマチジ城(ぐしく)で、あぁ、あぁ、わんねぇ、うちは、為朝は、今の為朝公の三代めの義本王どぅやいびぃる、ま、うまからの、玉城、あま、ミントゥン、あぁ、玉城、城(ぐしく)天孫氏アマミキヨからの二十五代めのあぁ、英祖んりぃしが、だい、二十五代めの、あぁ、天孫氏、クニカニマチガニの、子孫、うみんがうまがんがいさりんとぉる、さり、英祖にぃりぃしんかい、バトンタッチさりぃくとぅ、一般、沖縄中、もううっさ晴りてぃ、日照りなてぃ、死人うんじちそおびぃせぇどぉゆうて、東に向かってね、あま、武士、そうして、お祈りやって、英祖も義本も、そのときに、そうやったらもう急に俄に日本晴れだが、俄に、ありもう黒い雲があれ、あ、で、玉城間切一体、沖縄一体にもう薪崩れてきてねぇ、そのときに、もうこれもう薪に火を付けて、ばぁばぁ燃ってね、拝んでいるわけさぁ、英祖も義本も。  そして、もううちは、国王の位から、しぃ、退くから、英、義本、えぇ、英祖に、天孫氏、こっちもう天孫氏の二十五代めの天孫氏の子孫に、英祖に、バトンタッチするから、どうか、雨たぼれぇ、雨たぼれぇ、でち、そうして、雨乞いの儀式もやってね、やったらもう荒い雨が降ってねぇ。
全体の記録時間数 5:34
物語の時間数 5:34
言語識別 共通語
音源の質
テープ番号
予備項目1

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