稲の始まり(共通語)

概要

でぇってらしいね、そして、このときにもうな、夏の、七月(ぐゎつ)からはもう久高島はあまり水はないから、若い青年層、アマミキヨのね、青年層を、筏船(いかたぶり)、何か、丸太をくびって、まだ、こっちに辿り着いたら、ばかしだから、水を一応、あっちに、この岸があるからね、久高島に運んだわけさ。そうして、ものをもう稲、稲の種を持っているが、稲種を持っているが、ど、こっちでは水はないから、田んぼできないから、あんた方はもうまだ青年層だから、アマミキヨはね。
 そして、青年層に、あるグループを一応、斎場(さいば)御嶽に行かすわけさぁ、斎場(さいば)御嶽に、斎場(さいば)御嶽、斎場(せいふぁ)御嶽、斎場(せいふぁ)御嶽にやって、こっちではもうある程度はもう自然の岩を、まぁ、何万年の前に、大地震がいまから、四、四億年、五億年前にもう沖縄、えぇ、台湾から沖縄列島、日本樺太列島にね、日本人にあたって、三、四万で大地震、あた、あったときに、これは、斎場(さいば)御嶽の、自然の岩は、擦って、自然の、なったらろうとこれはもう大体、予想されているらしいよ。そして、このとき、このぅ、自然の間にアマミキヨの、若層の方々は、こっちで、一応、まぁ、まぁ、屋敷求めてやったわけさぁね。そして、このときに、まぁ、自分の、あぁ、一行は、まだ、久高島にいるから、これをいの、もうずっと西に行って、知念森御川(ちにんむいうかぁ)と言ってあるわけさぁね、自然のもう水が大、豊富に沢山でるから、こっ、知念森御川(ちにんむいうかぁ)で、いい、湧くのところで、一応は、初めて稲を蒔いたわけさぁ、知念森御川(ちにんむいうかぁ)を蒔いて、これが一番初めの、久高島からこっちに上陸したときの発祥(はっそう)の知念森御川(ちにんむいうかぁ)のね、湧くの下あたりにね、稲を、種を蒔いて、稲作りやって、そして稲作りを豊富にできたからね、このまま、久高島にもう自分の一行はいるから、あっちに、一応通わしたわけさぁ。そして、通わしてもうたびているが、こうしてもいかないと言ってね、これをもう考え直して、一応もう一行また、久高にこの若層の方が、皆戻って行って、一応皆大部隊で、斎場(さいば)御嶽に、一応もう一応、やじんは、あぁ、屋敷を求めようと言って、住みよいを求めようする。やって、そって、このときに、風が、西風が、さように強くなってね、この筏船(いかだぶり)を、筏船(いかだぶり)を、南にあがっていくわけさぁ、このまま流されていってね、そって、流されたときに、今の玉城村ね、玉、百名(はくな)、百名(はくな)ね、こっちのしたに、ヤファラジカサとゆうわけさ、浜辺ね、ヤファラジカサ。この、ヤファラジカサに、この一行皆上陸してね、こっち、そうして、上陸して、もう龍宮の神様によって、皆一行は無事にこっちに上陸さしてあるから、もう子孫、せ、幽霊まんで、子孫にこれは、もう龍宮の神様にもうお祈りさせて、無事にとおさせて下さ、さったと言って、これをもう幽霊まんでぇ、この儀式をやっていかなかったらいかないと言って、そのときに、少しぃ登った、や、山沿いに登ったらね、そうゆう石垣があ、崩れ落ちて、もう屋敷のようにして、自然のもんが、今の浜川(はまがぁ)之御嶽、浜川(はまがぁ)之御嶽に上陸したわけさぁ、屋敷を求めたわけさぁ、そうして、浜川(はまがぁ)之御嶽で上陸やって、こっちの、もうこっちはもう水は沢山あるし、湿気(しっき)は、そうとうもう湿気(しっき)地帯だからね、こっちの西側に田んぼをまた、できるところがあるからね、こっちで、また、第二回(くゎい)め、稲、田ん、稲を蒔いてね、ミフーダーね、受水走水(うきんじゅはいんじゅ)と言ってね、自然の湧くができる。受水(うきみず)、走(はい)、走(はい)、走(はいみじゅ)と言って、自然の、ほ、豊富に湧いてくるから、こっちで田んぼを求めて、第二回(くゎい)めに、こっちが田んぼ、やっているわけさぁ、どうしてこっちで田んぼを耕して、田、豊富にもう満作しているからね、そうしてもうこれをやって、こっちはもう湿気がつよいから、こっちではいつまでも生活は出来ない。海には、まぁ、魚やら貝やら取ってで、食べる、出来るが、湿気(しっき)地帯だからこっちでお住まいは出来ないとゆうもんで、感じておるね。

再生時間:5:21

民話詳細DATA

レコード番号 47O378740
CD番号 47O37C365
決定題名 稲の始まり(共通語)
話者がつけた題名
話者名 大城紀浩
話者名かな おおしろきこう
生年月日 19311230
性別
出身地 南風原町津嘉山
記録日 19910825
記録者の所属組織 南風原町口承文芸調査団
元テープ番号 南風原町T146A01
元テープ管理者 沖縄伝承話資料センター
分類 12
発句(ほっく)
伝承事情
文字化資料
キーワード 久高島,水,アマミキヨ,筏船,稲種,田んぼ,斎場御嶽,台湾,沖縄列島,日本樺太列島,大地震,自然の岩,知念森御川(ちにんむいうかぁ)と言ってあるわけさぁね、自然のもう水が大、豊富に沢山でるから、こっ、知念森御川,玉城村,百名,ヤファラジカサ,浜辺,宮の神様,浜川之御嶽,受水走水
梗概(こうがい) でぇってらしいね、そして、このときにもうな、夏の、七月(ぐゎつ)からはもう久高島はあまり水はないから、若い青年層、アマミキヨのね、青年層を、筏船(いかたぶり)、何か、丸太をくびって、まだ、こっちに辿り着いたら、ばかしだから、水を一応、あっちに、この岸があるからね、久高島に運んだわけさ。そうして、ものをもう稲、稲の種を持っているが、稲種を持っているが、ど、こっちでは水はないから、田んぼできないから、あんた方はもうまだ青年層だから、アマミキヨはね。  そして、青年層に、あるグループを一応、斎場(さいば)御嶽に行かすわけさぁ、斎場(さいば)御嶽に、斎場(さいば)御嶽、斎場(せいふぁ)御嶽、斎場(せいふぁ)御嶽にやって、こっちではもうある程度はもう自然の岩を、まぁ、何万年の前に、大地震がいまから、四、四億年、五億年前にもう沖縄、えぇ、台湾から沖縄列島、日本樺太列島にね、日本人にあたって、三、四万で大地震、あた、あったときに、これは、斎場(さいば)御嶽の、自然の岩は、擦って、自然の、なったらろうとこれはもう大体、予想されているらしいよ。そして、このとき、このぅ、自然の間にアマミキヨの、若層の方々は、こっちで、一応、まぁ、まぁ、屋敷求めてやったわけさぁね。そして、このときに、まぁ、自分の、あぁ、一行は、まだ、久高島にいるから、これをいの、もうずっと西に行って、知念森御川(ちにんむいうかぁ)と言ってあるわけさぁね、自然のもう水が大、豊富に沢山でるから、こっ、知念森御川(ちにんむいうかぁ)で、いい、湧くのところで、一応は、初めて稲を蒔いたわけさぁ、知念森御川(ちにんむいうかぁ)を蒔いて、これが一番初めの、久高島からこっちに上陸したときの発祥(はっそう)の知念森御川(ちにんむいうかぁ)のね、湧くの下あたりにね、稲を、種を蒔いて、稲作りやって、そして稲作りを豊富にできたからね、このまま、久高島にもう自分の一行はいるから、あっちに、一応通わしたわけさぁ。そして、通わしてもうたびているが、こうしてもいかないと言ってね、これをもう考え直して、一応もう一行また、久高にこの若層の方が、皆戻って行って、一応皆大部隊で、斎場(さいば)御嶽に、一応もう一応、やじんは、あぁ、屋敷を求めようと言って、住みよいを求めようする。やって、そって、このときに、風が、西風が、さように強くなってね、この筏船(いかだぶり)を、筏船(いかだぶり)を、南にあがっていくわけさぁ、このまま流されていってね、そって、流されたときに、今の玉城村ね、玉、百名(はくな)、百名(はくな)ね、こっちのしたに、ヤファラジカサとゆうわけさ、浜辺ね、ヤファラジカサ。この、ヤファラジカサに、この一行皆上陸してね、こっち、そうして、上陸して、もう龍宮の神様によって、皆一行は無事にこっちに上陸さしてあるから、もう子孫、せ、幽霊まんで、子孫にこれは、もう龍宮の神様にもうお祈りさせて、無事にとおさせて下さ、さったと言って、これをもう幽霊まんでぇ、この儀式をやっていかなかったらいかないと言って、そのときに、少しぃ登った、や、山沿いに登ったらね、そうゆう石垣があ、崩れ落ちて、もう屋敷のようにして、自然のもんが、今の浜川(はまがぁ)之御嶽、浜川(はまがぁ)之御嶽に上陸したわけさぁ、屋敷を求めたわけさぁ、そうして、浜川(はまがぁ)之御嶽で上陸やって、こっちの、もうこっちはもう水は沢山あるし、湿気(しっき)は、そうとうもう湿気(しっき)地帯だからね、こっちの西側に田んぼをまた、できるところがあるからね、こっちで、また、第二回(くゎい)め、稲、田ん、稲を蒔いてね、ミフーダーね、受水走水(うきんじゅはいんじゅ)と言ってね、自然の湧くができる。受水(うきみず)、走(はい)、走(はい)、走(はいみじゅ)と言って、自然の、ほ、豊富に湧いてくるから、こっちで田んぼを求めて、第二回(くゎい)めに、こっちが田んぼ、やっているわけさぁ、どうしてこっちで田んぼを耕して、田、豊富にもう満作しているからね、そうしてもうこれをやって、こっちはもう湿気がつよいから、こっちではいつまでも生活は出来ない。海には、まぁ、魚やら貝やら取ってで、食べる、出来るが、湿気(しっき)地帯だからこっちでお住まいは出来ないとゆうもんで、感じておるね。
全体の記録時間数 5:21
物語の時間数 5:21
言語識別 共通語
音源の質
テープ番号
予備項目1

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