津嘉山部落の始まり(共通語)

概要

玉那覇部落のイーチキウタキの道側に、だんばら相当大きな石がたくさん、棒があった。ここがシタティムイといって、この上に安平田子の御願所も、仲間大主も一緒に祀ってある。ここに一泊して安平田子の長女マナビーのように、クニ造りをやってみるがよいと言って夫婦相談し、尚円王にお願いすると、「おおやげにやりなさいよ、うちの主人公尚泰久は、これたちの後の者を立派に関あげてくれね、国王にも言い伝えなさい」と言ったそれで自身満々でクニ造り、シマ造りをして、大体地形をとってイケイウタキといって、イケイ仲間村を作った。ここで、第二代目の仲間大主が生まれ、次男メーダペーチン、三男グスクマペーチン、四男仲間子が生まれる。この仲間子は按司系図からまだ無名。この仲間大主がこの当時津嘉山からどーと仲間、イケイウタキ仲間村と隣近所だから、津嘉山祝女と縁談をやっていたらしい。そしてもう一度、もう東下に行ったらもと津嘉山大主の系統のクニンドー津嘉山の部落のメイシューカンにね、西に行ったらクボー御嶽がある。西北に行くと、玉那覇村がある。また前に行ったら川で東風平間切だから、こっちの範囲は小さいから子孫が繁栄したら田んぼも稲も豊富には作れんし、もう一回尚円王にお願したら、「いーよ、戦国の時代に津嘉山大主がかくれうちした。あの高津嘉山のずっと下から後ろの北側にチカシムイに面した仲間地あげよう」と尚円王からもらってイケネウタキ仲間村の一番こっちに引っ越しした。そこは平坦でチカシムイをバックにして、部落造りしていて田んぼや水も豊富にあるから、クニンドー津嘉山にいる津嘉山の方は羨ましがっていた。そこで合併をしたいという声があがって合併した。一代か二代くらいにまた合併をしたこの子孫が元々は今帰仁系の兄弟腹の11男と次男腹の兄弟がむつまじくやっていたが、こうしてこの部落名はね、津嘉山の人からドゥーペーチン、またこの一族が何かの作戦で改名した。首里の大役人に相談し、この当時から津嘉山を拝む人は第二代目の仲間大主が叔母にあたるので、「またぐーなちくみそーらんなー」と玉那覇子に言って、津嘉山ぬしんかぐーなち、ぐーないすみ、あまんぐーなてぃちょーぐとぅ。仲間村から津嘉山に代わって今から250年から300年ぐらい、尚敬王の時代に、ずっと後で玉那覇部落を合併した。だからここでは津嘉山の昔は仲間村だった。

再生時間:5:40

民話詳細DATA

レコード番号 47O378734
CD番号 47O37C365
決定題名 津嘉山部落の始まり(共通語)
話者がつけた題名
話者名 大城紀浩
話者名かな おおしろきこう
生年月日 19311230
性別
出身地 南風原町津嘉山
記録日 19910825
記録者の所属組織 南風原町口承文芸調査団
元テープ番号 南風原町T145A02
元テープ管理者 沖縄伝承話資料センター
分類 20
発句(ほっく)
伝承事情
文字化資料
キーワード 玉那覇部落,イーチキウタキ,大きな石,シタティムイ,安平田子の御願所,、仲間大主,長女マナビー,クニ造り,尚円王,尚泰久,国王,イケイウタキ,仲間村,第二代目の仲間大主が,次男メーダペーチン,三男グスクマペーチン,四男仲間子,津嘉山,津嘉山祝女,クニンドー津嘉山の部落,クボー御嶽,玉那覇村,東風平間切,田んぼ,稲,チカシムイ,今帰仁系の兄弟腹,ドゥーペーチン,首里の大役人
梗概(こうがい) 玉那覇部落のイーチキウタキの道側に、だんばら相当大きな石がたくさん、棒があった。ここがシタティムイといって、この上に安平田子の御願所も、仲間大主も一緒に祀ってある。ここに一泊して安平田子の長女マナビーのように、クニ造りをやってみるがよいと言って夫婦相談し、尚円王にお願いすると、「おおやげにやりなさいよ、うちの主人公尚泰久は、これたちの後の者を立派に関あげてくれね、国王にも言い伝えなさい」と言ったそれで自身満々でクニ造り、シマ造りをして、大体地形をとってイケイウタキといって、イケイ仲間村を作った。ここで、第二代目の仲間大主が生まれ、次男メーダペーチン、三男グスクマペーチン、四男仲間子が生まれる。この仲間子は按司系図からまだ無名。この仲間大主がこの当時津嘉山からどーと仲間、イケイウタキ仲間村と隣近所だから、津嘉山祝女と縁談をやっていたらしい。そしてもう一度、もう東下に行ったらもと津嘉山大主の系統のクニンドー津嘉山の部落のメイシューカンにね、西に行ったらクボー御嶽がある。西北に行くと、玉那覇村がある。また前に行ったら川で東風平間切だから、こっちの範囲は小さいから子孫が繁栄したら田んぼも稲も豊富には作れんし、もう一回尚円王にお願したら、「いーよ、戦国の時代に津嘉山大主がかくれうちした。あの高津嘉山のずっと下から後ろの北側にチカシムイに面した仲間地あげよう」と尚円王からもらってイケネウタキ仲間村の一番こっちに引っ越しした。そこは平坦でチカシムイをバックにして、部落造りしていて田んぼや水も豊富にあるから、クニンドー津嘉山にいる津嘉山の方は羨ましがっていた。そこで合併をしたいという声があがって合併した。一代か二代くらいにまた合併をしたこの子孫が元々は今帰仁系の兄弟腹の11男と次男腹の兄弟がむつまじくやっていたが、こうしてこの部落名はね、津嘉山の人からドゥーペーチン、またこの一族が何かの作戦で改名した。首里の大役人に相談し、この当時から津嘉山を拝む人は第二代目の仲間大主が叔母にあたるので、「またぐーなちくみそーらんなー」と玉那覇子に言って、津嘉山ぬしんかぐーなち、ぐーないすみ、あまんぐーなてぃちょーぐとぅ。仲間村から津嘉山に代わって今から250年から300年ぐらい、尚敬王の時代に、ずっと後で玉那覇部落を合併した。だからここでは津嘉山の昔は仲間村だった。
全体の記録時間数 5:40
物語の時間数 5:40
言語識別 共通語
音源の質
テープ番号
予備項目1

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