
内嶺城(うちんみぐすく)の、内嶺城(うちんみぐすく)と言って兼城くぉ、王様が居たわけね。クニシヌヒャーんの、あぁれは兼城で聞いて。八月十日のカシチー由来はね。あっちの姫君がぁ、亡くなってから、やらんで。内嶺城(うちんみぐすく)のねぇ、姫君、姫君が、あれは次女かねぇ、亡くなってぇ、で、お墓に葬って、初七日(はちなんか)の餅作る餅米を、餅米でぇ、本部満名(もとぶまんなぁ)って知ってる。もと、本部満名(もとぶまんなぁ)と言う人がね。津嘉山の親国(うぇぐん)の下男、親国(うぇぐん)の使(ちけぇ)者(むん)の下男、本部満名(もとぶまんなぁ)。この人が与那原から、あの薪買って、積んで来る時に、この兼城の、この内嶺城(うちんみぐすく)の姫君の入った墓、墓がこうなってる所で雨が降ったもんで、雨宿りしてたって。その墓はね、小さい石で、こうやってるから、この石を取ってぇ、この本部満名(もとぶまんなぁ)の片頭(かたかしら)を掴まえて、引っ張ってぇ、姫君が、「私は生きてるからぁ、家行って話してくれ。」って、言ったもんで、この本部満名(もとぶまんなぁ)もまた、だから、内嶺城(うちんみぐすく)まで行って、「姫君が生きてますよぉ。」ということを教えて、そいで、この七日(なんか)の餅米でぇ、今度は赤飯を炊いて、七日(なんか)の餅作るぅ、餅米でぇ、準備するといってるからぁ、これで赤飯を炊いて、その出す物にしたって。これ八月十日のカシチーの由来記。その日が、こう八月十日だったんで、それから、こう八月十日がカシチーやるようにだから牛も殺して、豚も殺してだったって。だから兼城は、私達が小さい時は入口にね、こぉ綱引っ張って、牛の骨かねぇあれ、牛、牛と豚の、なんか骨を、こう下げておった。今はないけど。このクニシヌヒャーの、劇やる時はね、津嘉山の親国(うぇぐん)は、これが出たって。やる時は、下男、下男がほらぁやっていたさ。うつも馬鹿(ふらぁ)が出て、もうクニシヌヒャーはやらんでくれって言われたって。津嘉山の親国(うぇぐん)の、これ、使(ちけぇ)者(むん)よ。このぉ伝えた人だけども、兼城はクニシヌヒャーやる時は、あっちは馬鹿(ふらぁ)が出るって。これはえぇとカシチーの由来伝えてる人が、津嘉山の親国(うぇぐん)の下男がこれをまぁ人に言って、んで兼城がクニシヌヒャーの劇をやるとぉ、クニシヌヒャーと言うのはねぇ、内嶺城(うちんみぐすく)の、按司さぁ、だからクニシヌヒャーの劇を、この姫君はクニシヌヒャーの子よぉ。だからこっちの劇やる時は、親国(うぇぐん)には馬鹿(ふらぁ)がでるから、津嘉山の親国(うぇぐん)に。だからクニシヌヒャーはやらんでくれって、あっちからいつも言われていたって。あぁクニシヌヒャーというのは兼城の按司、で、死んだ姫君はぁ、ひ、このクニシヌヒャーの子、娘。助けた人はぁ親国(うぇぐん)のげ、下男の本部満名(もとぶまんなぁ)。満名(まんなぁ)うん。そんでこのクニシヌヒャーのぉ劇やる時は、向こうに馬鹿(ふらぁ)が出るから、やらないでくれって言われていたって。これやるとぉ出るって。なんでもない人がなるってよ、普段はなんでもない人。だからこれはやらんでくれぇって、いつも言われていたって。
| レコード番号 | 47O378326 |
|---|---|
| CD番号 | 47O37C344 |
| 決定題名 | 宮平ふぇ松金(共通語) |
| 話者がつけた題名 | - |
| 話者名 | 大城ユキ |
| 話者名かな | おおしろゆき |
| 生年月日 | 19160525 |
| 性別 | 女 |
| 出身地 | 南風原町宮平 |
| 記録日 | 19910828 |
| 記録者の所属組織 | 南風原町口承文芸調査団 |
| 元テープ番号 | 南風原町T112A01 |
| 元テープ管理者 | 沖縄伝承話資料センター |
| 分類 | 20 |
| 発句(ほっく) | - |
| 伝承事情 | - |
| 文字化資料 | - |
| キーワード | ,内嶺城,兼城,王様,クニシヌヒャー,八月十日のカシチー由来,姫,墓,初七日,餅米,本部満名,津嘉山の親国,下男,与那原,薪,雨宿り,片頭,私は生きている,赤飯 |
| 梗概(こうがい) | 内嶺城(うちんみぐすく)の、内嶺城(うちんみぐすく)と言って兼城くぉ、王様が居たわけね。クニシヌヒャーんの、あぁれは兼城で聞いて。八月十日のカシチー由来はね。あっちの姫君がぁ、亡くなってから、やらんで。内嶺城(うちんみぐすく)のねぇ、姫君、姫君が、あれは次女かねぇ、亡くなってぇ、で、お墓に葬って、初七日(はちなんか)の餅作る餅米を、餅米でぇ、本部満名(もとぶまんなぁ)って知ってる。もと、本部満名(もとぶまんなぁ)と言う人がね。津嘉山の親国(うぇぐん)の下男、親国(うぇぐん)の使(ちけぇ)者(むん)の下男、本部満名(もとぶまんなぁ)。この人が与那原から、あの薪買って、積んで来る時に、この兼城の、この内嶺城(うちんみぐすく)の姫君の入った墓、墓がこうなってる所で雨が降ったもんで、雨宿りしてたって。その墓はね、小さい石で、こうやってるから、この石を取ってぇ、この本部満名(もとぶまんなぁ)の片頭(かたかしら)を掴まえて、引っ張ってぇ、姫君が、「私は生きてるからぁ、家行って話してくれ。」って、言ったもんで、この本部満名(もとぶまんなぁ)もまた、だから、内嶺城(うちんみぐすく)まで行って、「姫君が生きてますよぉ。」ということを教えて、そいで、この七日(なんか)の餅米でぇ、今度は赤飯を炊いて、七日(なんか)の餅作るぅ、餅米でぇ、準備するといってるからぁ、これで赤飯を炊いて、その出す物にしたって。これ八月十日のカシチーの由来記。その日が、こう八月十日だったんで、それから、こう八月十日がカシチーやるようにだから牛も殺して、豚も殺してだったって。だから兼城は、私達が小さい時は入口にね、こぉ綱引っ張って、牛の骨かねぇあれ、牛、牛と豚の、なんか骨を、こう下げておった。今はないけど。このクニシヌヒャーの、劇やる時はね、津嘉山の親国(うぇぐん)は、これが出たって。やる時は、下男、下男がほらぁやっていたさ。うつも馬鹿(ふらぁ)が出て、もうクニシヌヒャーはやらんでくれって言われたって。津嘉山の親国(うぇぐん)の、これ、使(ちけぇ)者(むん)よ。このぉ伝えた人だけども、兼城はクニシヌヒャーやる時は、あっちは馬鹿(ふらぁ)が出るって。これはえぇとカシチーの由来伝えてる人が、津嘉山の親国(うぇぐん)の下男がこれをまぁ人に言って、んで兼城がクニシヌヒャーの劇をやるとぉ、クニシヌヒャーと言うのはねぇ、内嶺城(うちんみぐすく)の、按司さぁ、だからクニシヌヒャーの劇を、この姫君はクニシヌヒャーの子よぉ。だからこっちの劇やる時は、親国(うぇぐん)には馬鹿(ふらぁ)がでるから、津嘉山の親国(うぇぐん)に。だからクニシヌヒャーはやらんでくれって、あっちからいつも言われていたって。あぁクニシヌヒャーというのは兼城の按司、で、死んだ姫君はぁ、ひ、このクニシヌヒャーの子、娘。助けた人はぁ親国(うぇぐん)のげ、下男の本部満名(もとぶまんなぁ)。満名(まんなぁ)うん。そんでこのクニシヌヒャーのぉ劇やる時は、向こうに馬鹿(ふらぁ)が出るから、やらないでくれって言われていたって。これやるとぉ出るって。なんでもない人がなるってよ、普段はなんでもない人。だからこれはやらんでくれぇって、いつも言われていたって。 |
| 全体の記録時間数 | 1:13 |
| 物語の時間数 | 1:08 |
| 言語識別 | 共通語 |
| 音源の質 | △ |
| テープ番号 | - |
| 予備項目1 | - |