水争いの話(共通語)

概要

正月一日(ついたち)の日は、これ旧正です、勿論。昔は新正はないから、朝早く起きて、これは村井(がぁ)、この南部井(がぁ)と、山川(やまがぁ)には東井(あがりがぁ)西井(いりがぁ)という、これはもう産井(うぶがぁ)として拝んでおったら、東井(あがりがぁ)っすよぉ全部、部落民は正月の水汲むのはねぇ、必ず東井(あがりがぁ)、東井(ひがしがぁ)今もありますよ。老人クラブが毎年掃除しています。旧井戸として、で、ここから水を汲んで来て、まぁ男の子の居ない家には持って行くと一銭貰えよった、水を汲んで、そして若水と言って三日間はこれをうかまぬ前(めぇ)とか仏壇に祀って水を供(うさ)ぎるって若水を。これやるための水。これ汲んで来たら一銭づつ貰いよったというのがありますよ。別の部落であるかどうかしりませんがね、必ず男が汲みに行く。女が汲みに行ってはいかない。はい、叱られますよ。女が、そうですよ。いや誰かが持って行きますからねぇ、もう朝寝すると、暗い所から、この井戸の由来までは聞いてませんけどね、我々も。どうですか兄貴は聞いたことない。〔 だぁ今度ここに入って来た時に部落民が、水が餓死してる時はずっとひじゃがままぁまで、水(みじょぉ)うちの親父なんかは汲みに行った。〕水のない時に。あれは明治何年なるかなぁ、明治二十年前かな、その前ですよ。あん時は井戸はない。で、水はひじゃがまぁと言ってね、上間の下のひじゃぁ、今は(・・聞き取り不能・・)一日橋から上に上がった所、水汲みに、識名の下の方ですよ。そこにみず汲みに行ったと、だからさっき話しましたね、友寄(とぅむし)部落、友寄(とぅむし)との争いなんですがね、字友寄、東風平、だから山川は向こう後原(くしばる)と言って友寄からずっと離れた所の山のこのくぼちに、ここにあったわけすよね。で、その時にそこは水争いがあって、ここに井戸がありますよ、井(かぁ)ぐゎぁがまだ、見たことありますね、今もありますよ。この水の争いで非常に苛められた。どの程度苛められたかは分からないが、これで向こうに居れなくなって山川は移動したんだよという、親だちの話は聞いてますがね。何か非常に小さい部落だったらしい、ねぇ山川という。新垣とも言っておったさ、ま二十軒かね、二、三十軒位の小さい部落だったらしいが、友寄の方に、向こうは大きかったらしいねとにかく、これは大きい部落で、でぇ、こうおれ、だから喧嘩して、もう棒持って山川部落民は一歩も外に出られなかったって話もあったね。家を閉じ込めて。棒持っても向こうは六尺棒で戸えを叩いたりして、一軒、一件回って、怖くて外に出られなかった。相手に出来なかったらしいなぁ、これは後原(くしばる)のその前(・・聞き取り不能・・)あれがさきやしゃに。それか古島行ったかな、古島と言うのはここは新垣、ここは新垣原(あらかきばる)ですよ。全部あな、あ、川があるところですね。この辺山川部落は新垣なんですよ。そで山川部落になっておるが、ここは地名は新垣なんですよ。新垣、はるめぇぐゎぁは言うてよ。だからその辺がどうして山川になったのか、この辺が良く分かりません。

再生時間:3:50

民話詳細DATA

レコード番号 47O378106
CD番号 47O37C332
決定題名 水争いの話(共通語)
話者がつけた題名
話者名 神里富市
話者名かな かんざととういち
生年月日 19180901
性別
出身地 南風原町山川
記録日 19910307
記録者の所属組織 南風原町口承文芸調査団
元テープ番号 南風原町T90A08
元テープ管理者 沖縄伝承話資料センター
分類 20
発句(ほっく)
伝承事情
文字化資料
キーワード ,正月一日,旧正,村井,南部井,山川,東井,西井,産井,正月の水汲み,若水,仏壇
梗概(こうがい) 正月一日(ついたち)の日は、これ旧正です、勿論。昔は新正はないから、朝早く起きて、これは村井(がぁ)、この南部井(がぁ)と、山川(やまがぁ)には東井(あがりがぁ)西井(いりがぁ)という、これはもう産井(うぶがぁ)として拝んでおったら、東井(あがりがぁ)っすよぉ全部、部落民は正月の水汲むのはねぇ、必ず東井(あがりがぁ)、東井(ひがしがぁ)今もありますよ。老人クラブが毎年掃除しています。旧井戸として、で、ここから水を汲んで来て、まぁ男の子の居ない家には持って行くと一銭貰えよった、水を汲んで、そして若水と言って三日間はこれをうかまぬ前(めぇ)とか仏壇に祀って水を供(うさ)ぎるって若水を。これやるための水。これ汲んで来たら一銭づつ貰いよったというのがありますよ。別の部落であるかどうかしりませんがね、必ず男が汲みに行く。女が汲みに行ってはいかない。はい、叱られますよ。女が、そうですよ。いや誰かが持って行きますからねぇ、もう朝寝すると、暗い所から、この井戸の由来までは聞いてませんけどね、我々も。どうですか兄貴は聞いたことない。〔 だぁ今度ここに入って来た時に部落民が、水が餓死してる時はずっとひじゃがままぁまで、水(みじょぉ)うちの親父なんかは汲みに行った。〕水のない時に。あれは明治何年なるかなぁ、明治二十年前かな、その前ですよ。あん時は井戸はない。で、水はひじゃがまぁと言ってね、上間の下のひじゃぁ、今は(・・聞き取り不能・・)一日橋から上に上がった所、水汲みに、識名の下の方ですよ。そこにみず汲みに行ったと、だからさっき話しましたね、友寄(とぅむし)部落、友寄(とぅむし)との争いなんですがね、字友寄、東風平、だから山川は向こう後原(くしばる)と言って友寄からずっと離れた所の山のこのくぼちに、ここにあったわけすよね。で、その時にそこは水争いがあって、ここに井戸がありますよ、井(かぁ)ぐゎぁがまだ、見たことありますね、今もありますよ。この水の争いで非常に苛められた。どの程度苛められたかは分からないが、これで向こうに居れなくなって山川は移動したんだよという、親だちの話は聞いてますがね。何か非常に小さい部落だったらしい、ねぇ山川という。新垣とも言っておったさ、ま二十軒かね、二、三十軒位の小さい部落だったらしいが、友寄の方に、向こうは大きかったらしいねとにかく、これは大きい部落で、でぇ、こうおれ、だから喧嘩して、もう棒持って山川部落民は一歩も外に出られなかったって話もあったね。家を閉じ込めて。棒持っても向こうは六尺棒で戸えを叩いたりして、一軒、一件回って、怖くて外に出られなかった。相手に出来なかったらしいなぁ、これは後原(くしばる)のその前(・・聞き取り不能・・)あれがさきやしゃに。それか古島行ったかな、古島と言うのはここは新垣、ここは新垣原(あらかきばる)ですよ。全部あな、あ、川があるところですね。この辺山川部落は新垣なんですよ。そで山川部落になっておるが、ここは地名は新垣なんですよ。新垣、はるめぇぐゎぁは言うてよ。だからその辺がどうして山川になったのか、この辺が良く分かりません。
全体の記録時間数 4:01
物語の時間数 3:50
言語識別 共通語
音源の質
テープ番号
予備項目1

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