
南風原村史にも載ってるさぁね、ご覧になった。あれはねぇ、僕等が言えば、門中の今、年配者が聞いてきたのと違うわけよね、うん、だからもうどっちが本当かと言うことは、もうこれはね、分からんけれども、ただ僕等門中としては、あぁそれを今、年代的にね、歴史的に証明をしながら、て、今資料も集めながら、やってるわけですよ。それでね、まぁ一応僕等が知ってる範囲では、その、生き返ったと言う話の前の話ね、このぉ元々ここの大屋(うふや)門中、今帰仁のね、今帰仁城、まぁ今帰仁城ずっと前からあるけれども、攀安知と言う王の時代ね、これはね今の僕の調べたあれでは、応永二十二年となっておるんですね、千四百十六年、その時に向こうが滅びるわけですよ。ね、えぇあれは尚巴志か、首里に下りて滅びてね、その時にえぇ、王はもう向こうで、いえば、まぁその話はあんたがたも知ってると思うが、本部大原と言う人に裏切られて、言えば負けるけれども、中から謀反が出てきてね、負けるわけさ、その時に、まぁ一応、あぁ王様と長男はそこで政治するわけね、で、次男はやっぱり共の者に連れられて、糸満、今のねぇ、えぇ本当は兼城でしょうね。潮平という所に逃げ延びて行ったわけね。それは後々、向こうに、あんた方は分からんが、えぇ終戦後まだね、塩を作っておった。向こうでね、塩を作っておった。そこのあれも、落ちて行った人達が、教えたというような言い伝えがあるわけね。そして、次男、えぇ長男は死んで次男が今の所行ってね、三男と四男が、あの大里、佐敷の所にね、えぇ島尻方面にこう逃れてきたわけです。そして途中で捕らえられて、えぇその時の王は尚巴志で、佐敷城に城があったって、そこに引っ張って行かれて、えぇ、一応その、その時次男と、おう四男が兼城で、三男、四男だけども、その時に一人身籠もっておるわけね。こっちに来た人は、身籠もった人は本当の、あの王妃ではないわけ、えぇ王妃じゃなくてねぇ、あの頃は言えば、あぁ、なんて言うか妾が二名も三名もいるでしょう。その妾方のほうの人が、あぁ、言えばじな、三男、四男とそれから、言えば妊娠をして佐敷行くわけさぁね。そしてもう非常に苛められるのをねぇ、あれこれまぁ有るけれども、とにかく助けられて、して五男の方が養子となって、この内嶺城、こっち内嶺城と言うけれどね、そこに言えば養子に貰われてきたわけ。そしてまぁ大きくなって、この人はトラジュガミ、トラジュガミと言うね、名前だけどもこの人が今、南風原村史にも載っておるけれども、あぁ兼城ウェーナと言うのが有るわけねぇ、兼城は非常に繁栄した時の、言えばそれを褒め称えた歌であるわけ、この功績を褒め称えた兼城ウェーナと言うのが有るわけ。その、おぉ時代を作ったのが、この言えば今の、おい、養子に貰ってきた、トラジュガミが按司の時代の事を歌ったのが兼城うぇなですね。して、この兼城家を作った、この按司のむす、子供に二人の娘が生まれるわけ、して長女の方は、あぁ後に向円王の、これも正妻じゃなくてね、王妃じゃなくて、言えば婦人ですね、婦人となって、西原におるわけです。西原の内間ね、してこの頃に、いぃ、丁度、あんた方が今さっき話を聞いた次女、次女がね名前はあんまし詳しく分からないんだけども、とにかくあの時の医学では死んだものとしてね、埋められたわけよ。して丁度、その言えば葬式も済んでから、七日の日にね、まぁ一週間位経った所に、えぇそこへ草刈やぁ、あの牛買うやぁですね、で、この、こちらの、僕等のまぁ年寄りから聞いた話では、あぁ津嘉山親国の言えば、本部満名と言うふうに言われてる。本部満名とは、今の町史には、あの本部というのはこっちの本部ということになっておるけど、本部町にね満名という所があるわけよね、そこの出身で多分、本部満名と言ったんだろうと言うふうに、まぁ言われてますがね、その人が牛を買ってきて、その黄金森の横を通ろうとする時、にわか雨が降ってきたわけ、それでまぁ昔の墓は、今もこっち按司墓見に行けば分かると思うけど、石をこう積み重ねて、入れて有るわけですよね。もう今みたいな漆喰なんかは塗らないわけ、その石も死んだ人を中に入れたら、石をこう積み重ねるだけで有るわけね、中からは外も、あぁ見えるわけさぁ、こう、そこをその人が通り掛かって、あの本部満名と言う人が牛を連れて通る時に、雨が降ったもんだから、墓の蔭にちょっと、あぁ雨を避けたわけね、雨をはらそうと思ってそこに隠れている時に、中には丁度一週間前に、こっちの墓に埋められておった、そこの言えば、女んぐゎがね、按司の女んぐゎが、あぁ言えばなんて言うかな埋められた時は、気絶しておったかどうか分からんけれども、あぁ言えば息を吹き返して、えぇ自分が埋められておると言うことが分かったわけですねぇ、それでそうしてる時に雨が降って、そこに言えば牛買うやぁが隠れるのを見たもんだから、あぁ後ろ、そこから声を掛けたわけね、「私はこうこう言うもんだがね、内嶺の娘だけれども、あぁいつの間にかこういうふうに埋められてしまってる。だから、内嶺城まで行ってね、私を助けてくれるよう伝えて下さい。」というふうに言うわけさぁ。そしてまぁ、そしたらまぁ、「あんたが確かに按司の娘であるかどうかね、何か証拠になる物は無いか。」というようなこと言ったら、まぁ言えば死ぬ時に大体いろんな物入れるでしょ。その人が好きだった物とかね、それからあぁお婆さんとか、親から、言えば後生に行く時のお土産持たすでしょ。その中から一つの品を持ってね。「これは多分、私の母親がね、僕が死ぬ時に入れた物と思われるから、これを見せれば私だということが分かるから、これを持って行って話し、して下さい。」というふうに言われたもんだから、この人はもう駆け足して内嶺城まで駆け登って、その今までの事情を話ししたわけ、そしたら、その証拠の品物を見て、「これ確かに、あの死ぬ時に棺箱に入れた物であるからね、これは本当かもしれない。」というふうにね言われて、えぇ丁度その時、七日の日になってね、えぇ餅を突こうというあれで、米もつけてね準備しておったって、でぇ、そして行ってみたら、こう生き返っておったわけ、そで言えば、この墓を開けて救い出してきて言えば、墓にいえぇ、城に連れてきて、それは、もう言えば墓に入ったということでね、言えば何と言うかねぇ、悪が付いてるからね、魔物が付いてるからまぁ言えば化物(まじむん)と言うでしょ、こっちでね、そういった物付いてるからと言うことで、まぁ我々の年寄りから、あぁ聞いた話ではこっちの言えば、あぁ何と言うかねぇ、正門からは入れないでね、えぇ今それを調べてる所だけども、えぇあんた達の後ろ側、後ろ側、内嶺城ね、あの辺りに門があったらしい、うん、不浄門と言ってね、普通の出入りしなくてね、えぇ葬式の時から出るとかね、不浄門があったらしい。これは話だから分からんけど、そこから、城に迎えて、そしていろんな言えば、なんというかね、ユタ何かね、そういった人達にいろんなあれもさして、そしてまぁつけてあった米をすぐ、赤飯に炊き変えて、それで、本部満名が持っておったという、その牛もね、「もうめでたい事だから、この牛も、もう私達に売ってくれ。」と言う事で牛を殺して、その肉で皆に言えばお祝いとして、あぁ振る舞ったと言うような話がこのぉあれで有るわけさぁね。でその時に殺した、その牛の血で魔物避けと言うあれでね、すすきと桑、桑木ね、え、桑の葉、それに血を付けて家の隅々、門の入口とかね、そこに言えば指して魔物を追い払うという行事が始まったと、いうことで言えば八月十日の旧の八月十日の柴指の言えば由来というふうにまぁなってると、うん、まぁ、そしてまぁこのあれとね、本部満名という人は、ま、自分の娘を助けられたというあれでね、この次女と本部満名は、まぁ言えばこの本部満名も非常に希望しておったので、ふぅるになるわけですよ。これはまぁ後々の話だけどね。そしてあの安平田の子という、昔はねぇ、子とかね、ひやぁとかいう位があるさぁね、そういったあれで、えぇ安平田子という位を与えて、えぇ一応、草刈やぁから、もう言えば侍のね位でね、そういったものにとり上げてやったと、うん、それまた後に色々とね、えぇまぁ言えばあるけれど、それがまぁ言えばカシチーの由来記であります。そしてその時にまぁ言えば王の婦人になっておった長女はね、えぇ自分の娘が百姓の妻になったという事で、恥ずかしいという事で首里から下りてきて、あぁ向こうの西原ね、いりぃという所、私は昔はいりぃというのは西という字を書くと思っておった。西、東があるでしょ。その西と思っておったら、色々去年、一昨年位から調べておるけど、いりぃというのは、丁度去年、その道路が通るという事で墓を壊すから来てくれというふうに向こうからきたわけ、大家門中とあれ、縁故があるもんだから、で、行ってみたら物凄い墓であったわけよ。中を壊してみたら、こんな立派な墓であればね、道を曲げて通すべきであったといわれるよね、向こうの文化財委員の方も言うとったけどね、物凄い立派な墓だった。そこがいりぃの墓でね、いりぃというのは、伊礼で、伊礼であるいう、伊礼、これが伊礼、伊礼して、沖縄口で伊礼、伊礼してるわけさぁ、僕は前、西と西、東の西と思っておったがねぇ、伊礼というのが元性ですね、うん、今は呉屋という性になっておる。うん、この伊礼という人はねぇ、えぇ王様の補佐役でね、えぇそうとう重く、あのもち、向円王に用いられたというような、あんしあぁ毎年おが、拝みに行くわけねぇ。そいで、そこの伊礼で、この言えば恥ずかしいと言って首里から下りてきた、あれはね、えぇそこの伊礼でもう暮らす事になるわけです。で、その時にあの向円王の言えば子供が生まれるわけねぇ、うん、でその人は、あぁ言えば本当の王様の、あぁ奥さんから見たらねぇ、いえば向円王の後を継ぐか継がないかのね、こう、あの争いをするあれがあるもんだから、非常に苛めるわけね、で、後はこの子供を殺しに行けと差し向けるわけ、首里からね、それで、これでは大変だということで、あの百姓にしてしまうわけ。この、あの向円王の、と妾に出来た子供は、で身を隠してね、そして少しまぁ大きくなった時に、丁度こちらは子供ができますよね。あぁ内嶺城の按司は男の子が出来るもんだから、そこの養子になって、で、その次のそこの按司になるというような話です。
| レコード番号 | 47O377834 |
|---|---|
| CD番号 | 47O37C318 |
| 決定題名 | シバサシとカシチー由来(共通語) |
| 話者がつけた題名 | - |
| 話者名 | 大城長栄 |
| 話者名かな | おおしろちょうえい |
| 生年月日 | 19230616 |
| 性別 | 男 |
| 出身地 | 南風原町兼城 |
| 記録日 | 19910307 |
| 記録者の所属組織 | 南風原町口承文芸調査団 |
| 元テープ番号 | 南風原町T72A03 |
| 元テープ管理者 | 沖縄伝承話資料センター |
| 分類 | 20 |
| 発句(ほっく) | - |
| 伝承事情 | - |
| 文字化資料 | - |
| キーワード | 大屋門中,今帰仁,攀安知,尚巴志,首里,本部大原,兼城,潮平,大里,佐敷城,内嶺城,西原の内間,死んだ,葬式,七日の日,草刈やぁ,牛買うやぁ,津嘉山親国,本部満名,黄金森,按司墓,雨,息を吹き返した,内嶺の娘,棺箱,牛の肉,牛の血,魔物避け,桑の葉,旧の八月十日,柴指,大屋門中の始まり,南風原町兼城 |
| 梗概(こうがい) | 南風原村史にも載ってるさぁね、ご覧になった。あれはねぇ、僕等が言えば、門中の今、年配者が聞いてきたのと違うわけよね、うん、だからもうどっちが本当かと言うことは、もうこれはね、分からんけれども、ただ僕等門中としては、あぁそれを今、年代的にね、歴史的に証明をしながら、て、今資料も集めながら、やってるわけですよ。それでね、まぁ一応僕等が知ってる範囲では、その、生き返ったと言う話の前の話ね、このぉ元々ここの大屋(うふや)門中、今帰仁のね、今帰仁城、まぁ今帰仁城ずっと前からあるけれども、攀安知と言う王の時代ね、これはね今の僕の調べたあれでは、応永二十二年となっておるんですね、千四百十六年、その時に向こうが滅びるわけですよ。ね、えぇあれは尚巴志か、首里に下りて滅びてね、その時にえぇ、王はもう向こうで、いえば、まぁその話はあんたがたも知ってると思うが、本部大原と言う人に裏切られて、言えば負けるけれども、中から謀反が出てきてね、負けるわけさ、その時に、まぁ一応、あぁ王様と長男はそこで政治するわけね、で、次男はやっぱり共の者に連れられて、糸満、今のねぇ、えぇ本当は兼城でしょうね。潮平という所に逃げ延びて行ったわけね。それは後々、向こうに、あんた方は分からんが、えぇ終戦後まだね、塩を作っておった。向こうでね、塩を作っておった。そこのあれも、落ちて行った人達が、教えたというような言い伝えがあるわけね。そして、次男、えぇ長男は死んで次男が今の所行ってね、三男と四男が、あの大里、佐敷の所にね、えぇ島尻方面にこう逃れてきたわけです。そして途中で捕らえられて、えぇその時の王は尚巴志で、佐敷城に城があったって、そこに引っ張って行かれて、えぇ、一応その、その時次男と、おう四男が兼城で、三男、四男だけども、その時に一人身籠もっておるわけね。こっちに来た人は、身籠もった人は本当の、あの王妃ではないわけ、えぇ王妃じゃなくてねぇ、あの頃は言えば、あぁ、なんて言うか妾が二名も三名もいるでしょう。その妾方のほうの人が、あぁ、言えばじな、三男、四男とそれから、言えば妊娠をして佐敷行くわけさぁね。そしてもう非常に苛められるのをねぇ、あれこれまぁ有るけれども、とにかく助けられて、して五男の方が養子となって、この内嶺城、こっち内嶺城と言うけれどね、そこに言えば養子に貰われてきたわけ。そしてまぁ大きくなって、この人はトラジュガミ、トラジュガミと言うね、名前だけどもこの人が今、南風原村史にも載っておるけれども、あぁ兼城ウェーナと言うのが有るわけねぇ、兼城は非常に繁栄した時の、言えばそれを褒め称えた歌であるわけ、この功績を褒め称えた兼城ウェーナと言うのが有るわけ。その、おぉ時代を作ったのが、この言えば今の、おい、養子に貰ってきた、トラジュガミが按司の時代の事を歌ったのが兼城うぇなですね。して、この兼城家を作った、この按司のむす、子供に二人の娘が生まれるわけ、して長女の方は、あぁ後に向円王の、これも正妻じゃなくてね、王妃じゃなくて、言えば婦人ですね、婦人となって、西原におるわけです。西原の内間ね、してこの頃に、いぃ、丁度、あんた方が今さっき話を聞いた次女、次女がね名前はあんまし詳しく分からないんだけども、とにかくあの時の医学では死んだものとしてね、埋められたわけよ。して丁度、その言えば葬式も済んでから、七日の日にね、まぁ一週間位経った所に、えぇそこへ草刈やぁ、あの牛買うやぁですね、で、この、こちらの、僕等のまぁ年寄りから聞いた話では、あぁ津嘉山親国の言えば、本部満名と言うふうに言われてる。本部満名とは、今の町史には、あの本部というのはこっちの本部ということになっておるけど、本部町にね満名という所があるわけよね、そこの出身で多分、本部満名と言ったんだろうと言うふうに、まぁ言われてますがね、その人が牛を買ってきて、その黄金森の横を通ろうとする時、にわか雨が降ってきたわけ、それでまぁ昔の墓は、今もこっち按司墓見に行けば分かると思うけど、石をこう積み重ねて、入れて有るわけですよね。もう今みたいな漆喰なんかは塗らないわけ、その石も死んだ人を中に入れたら、石をこう積み重ねるだけで有るわけね、中からは外も、あぁ見えるわけさぁ、こう、そこをその人が通り掛かって、あの本部満名と言う人が牛を連れて通る時に、雨が降ったもんだから、墓の蔭にちょっと、あぁ雨を避けたわけね、雨をはらそうと思ってそこに隠れている時に、中には丁度一週間前に、こっちの墓に埋められておった、そこの言えば、女んぐゎがね、按司の女んぐゎが、あぁ言えばなんて言うかな埋められた時は、気絶しておったかどうか分からんけれども、あぁ言えば息を吹き返して、えぇ自分が埋められておると言うことが分かったわけですねぇ、それでそうしてる時に雨が降って、そこに言えば牛買うやぁが隠れるのを見たもんだから、あぁ後ろ、そこから声を掛けたわけね、「私はこうこう言うもんだがね、内嶺の娘だけれども、あぁいつの間にかこういうふうに埋められてしまってる。だから、内嶺城まで行ってね、私を助けてくれるよう伝えて下さい。」というふうに言うわけさぁ。そしてまぁ、そしたらまぁ、「あんたが確かに按司の娘であるかどうかね、何か証拠になる物は無いか。」というようなこと言ったら、まぁ言えば死ぬ時に大体いろんな物入れるでしょ。その人が好きだった物とかね、それからあぁお婆さんとか、親から、言えば後生に行く時のお土産持たすでしょ。その中から一つの品を持ってね。「これは多分、私の母親がね、僕が死ぬ時に入れた物と思われるから、これを見せれば私だということが分かるから、これを持って行って話し、して下さい。」というふうに言われたもんだから、この人はもう駆け足して内嶺城まで駆け登って、その今までの事情を話ししたわけ、そしたら、その証拠の品物を見て、「これ確かに、あの死ぬ時に棺箱に入れた物であるからね、これは本当かもしれない。」というふうにね言われて、えぇ丁度その時、七日の日になってね、えぇ餅を突こうというあれで、米もつけてね準備しておったって、でぇ、そして行ってみたら、こう生き返っておったわけ、そで言えば、この墓を開けて救い出してきて言えば、墓にいえぇ、城に連れてきて、それは、もう言えば墓に入ったということでね、言えば何と言うかねぇ、悪が付いてるからね、魔物が付いてるからまぁ言えば化物(まじむん)と言うでしょ、こっちでね、そういった物付いてるからと言うことで、まぁ我々の年寄りから、あぁ聞いた話ではこっちの言えば、あぁ何と言うかねぇ、正門からは入れないでね、えぇ今それを調べてる所だけども、えぇあんた達の後ろ側、後ろ側、内嶺城ね、あの辺りに門があったらしい、うん、不浄門と言ってね、普通の出入りしなくてね、えぇ葬式の時から出るとかね、不浄門があったらしい。これは話だから分からんけど、そこから、城に迎えて、そしていろんな言えば、なんというかね、ユタ何かね、そういった人達にいろんなあれもさして、そしてまぁつけてあった米をすぐ、赤飯に炊き変えて、それで、本部満名が持っておったという、その牛もね、「もうめでたい事だから、この牛も、もう私達に売ってくれ。」と言う事で牛を殺して、その肉で皆に言えばお祝いとして、あぁ振る舞ったと言うような話がこのぉあれで有るわけさぁね。でその時に殺した、その牛の血で魔物避けと言うあれでね、すすきと桑、桑木ね、え、桑の葉、それに血を付けて家の隅々、門の入口とかね、そこに言えば指して魔物を追い払うという行事が始まったと、いうことで言えば八月十日の旧の八月十日の柴指の言えば由来というふうにまぁなってると、うん、まぁ、そしてまぁこのあれとね、本部満名という人は、ま、自分の娘を助けられたというあれでね、この次女と本部満名は、まぁ言えばこの本部満名も非常に希望しておったので、ふぅるになるわけですよ。これはまぁ後々の話だけどね。そしてあの安平田の子という、昔はねぇ、子とかね、ひやぁとかいう位があるさぁね、そういったあれで、えぇ安平田子という位を与えて、えぇ一応、草刈やぁから、もう言えば侍のね位でね、そういったものにとり上げてやったと、うん、それまた後に色々とね、えぇまぁ言えばあるけれど、それがまぁ言えばカシチーの由来記であります。そしてその時にまぁ言えば王の婦人になっておった長女はね、えぇ自分の娘が百姓の妻になったという事で、恥ずかしいという事で首里から下りてきて、あぁ向こうの西原ね、いりぃという所、私は昔はいりぃというのは西という字を書くと思っておった。西、東があるでしょ。その西と思っておったら、色々去年、一昨年位から調べておるけど、いりぃというのは、丁度去年、その道路が通るという事で墓を壊すから来てくれというふうに向こうからきたわけ、大家門中とあれ、縁故があるもんだから、で、行ってみたら物凄い墓であったわけよ。中を壊してみたら、こんな立派な墓であればね、道を曲げて通すべきであったといわれるよね、向こうの文化財委員の方も言うとったけどね、物凄い立派な墓だった。そこがいりぃの墓でね、いりぃというのは、伊礼で、伊礼であるいう、伊礼、これが伊礼、伊礼して、沖縄口で伊礼、伊礼してるわけさぁ、僕は前、西と西、東の西と思っておったがねぇ、伊礼というのが元性ですね、うん、今は呉屋という性になっておる。うん、この伊礼という人はねぇ、えぇ王様の補佐役でね、えぇそうとう重く、あのもち、向円王に用いられたというような、あんしあぁ毎年おが、拝みに行くわけねぇ。そいで、そこの伊礼で、この言えば恥ずかしいと言って首里から下りてきた、あれはね、えぇそこの伊礼でもう暮らす事になるわけです。で、その時にあの向円王の言えば子供が生まれるわけねぇ、うん、でその人は、あぁ言えば本当の王様の、あぁ奥さんから見たらねぇ、いえば向円王の後を継ぐか継がないかのね、こう、あの争いをするあれがあるもんだから、非常に苛めるわけね、で、後はこの子供を殺しに行けと差し向けるわけ、首里からね、それで、これでは大変だということで、あの百姓にしてしまうわけ。この、あの向円王の、と妾に出来た子供は、で身を隠してね、そして少しまぁ大きくなった時に、丁度こちらは子供ができますよね。あぁ内嶺城の按司は男の子が出来るもんだから、そこの養子になって、で、その次のそこの按司になるというような話です。 |
| 全体の記録時間数 | 17:31 |
| 物語の時間数 | 17:31 |
| 言語識別 | 共通語 |
| 音源の質 | △ |
| テープ番号 | - |
| 予備項目1 | - |