
尚円王は奥間カンジャが「早く逃げないと危ないよ。」というので妊娠している馬に乗って逃げて来た。それが西原の内間のウェサギ山という所で、その山に隠れていた。その時、イリー(屋号)というところの女主人が見つけて姿かたちも百姓と違うので「この人はただならぬ人である。」と言って食事の時には家族のものよりもこの人のものを先に取っておいていつもあげていた。それでイリーという所は尚円王が王になった時は土地を3~4000坪あげた。またウフヤという家の娘は尚円の妻になったが、尚円が王になった時、身分が違うということで別れなければならなくなった。その別れの時に尚円は歌を作った。「アカン生爪ヤディルアカリユルヤマナスティ別リユルンジュトウ二人」その後、その娘が亡くなった時、首里と西原の間に葬ってくれと遺言したので池田のチチタングシクの向かいに葬った。まだ残っているのでウフヤの子孫は今でも拝んでいる。尚円が王になる時、首里から大勢の人が迎える為に集って来た。ちょうど魚取りに海に降りていた。そこへ鐘を鳴らし旗を立てて人々が来るのを見て、自分を殺しに来たのだと思い海へ飛び込んだ。すると岩が上がってきてその人は助かった。その岩は今でも内間のタカ干瀬といって残っている。そして殺しに来たのではなくて王として迎えに来たのだと聞かされる。その時衣替えをした所が御衣ハジーといって今でも拝所として残っている。
| レコード番号 | 47O361243 |
|---|---|
| CD番号 | 47O36C046 |
| 決定題名 | 尚円王(シマグチ) |
| 話者がつけた題名 | - |
| 話者名 | 与那嶺昌吉 |
| 話者名かな | よなみねしょうきち |
| 生年月日 | 19090921 |
| 性別 | 男 |
| 出身地 | 沖縄県西原町字嘉手苅 |
| 記録日 | 19880813 |
| 記録者の所属組織 | 沖縄口承文芸学術調査団 |
| 元テープ番号 | 西原町字崎原・嘉手苅調査11班T46A01 |
| 元テープ管理者 | 沖縄伝承話資料センター |
| 分類 | 20 |
| 発句(ほっく) | - |
| 伝承事情 | おばあさんから夕食後家で聞いた |
| 文字化資料 | - |
| キーワード | 尚円王,奥間カンジャ,大屋,高干瀬,内間,イリー |
| 梗概(こうがい) | 尚円王は奥間カンジャが「早く逃げないと危ないよ。」というので妊娠している馬に乗って逃げて来た。それが西原の内間のウェサギ山という所で、その山に隠れていた。その時、イリー(屋号)というところの女主人が見つけて姿かたちも百姓と違うので「この人はただならぬ人である。」と言って食事の時には家族のものよりもこの人のものを先に取っておいていつもあげていた。それでイリーという所は尚円王が王になった時は土地を3~4000坪あげた。またウフヤという家の娘は尚円の妻になったが、尚円が王になった時、身分が違うということで別れなければならなくなった。その別れの時に尚円は歌を作った。「アカン生爪ヤディルアカリユルヤマナスティ別リユルンジュトウ二人」その後、その娘が亡くなった時、首里と西原の間に葬ってくれと遺言したので池田のチチタングシクの向かいに葬った。まだ残っているのでウフヤの子孫は今でも拝んでいる。尚円が王になる時、首里から大勢の人が迎える為に集って来た。ちょうど魚取りに海に降りていた。そこへ鐘を鳴らし旗を立てて人々が来るのを見て、自分を殺しに来たのだと思い海へ飛び込んだ。すると岩が上がってきてその人は助かった。その岩は今でも内間のタカ干瀬といって残っている。そして殺しに来たのではなくて王として迎えに来たのだと聞かされる。その時衣替えをした所が御衣ハジーといって今でも拝所として残っている。 |
| 全体の記録時間数 | 8:09 |
| 物語の時間数 | 7:41 |
| 言語識別 | 方言 |
| 音源の質 | ○ |
| テープ番号 | - |
| 予備項目1 | - |