八人の山番(シマグチ)

概要

昔の人、喜納ていう人が、山番で山の守りしていた。この人首里勤めなさっていて、「お前は唐に行って種物取って来て、あそこの山全部、お前が守りなさいよね。」って言いつけられなさったって。そうしたから、この人は唐にいらして種物取り集めていらしゃって、今琉球大学作っているところに種物をもうどこにも植えているわけね。泉川がいらしたところには、そこ茶植えたから茶はそこでよくできているよ。そうしてから、この人が全部山番を上原、呉屋小、喜納小、屋良、これたちみんなに分けてさせたわけ。また中から親泊一カ所、また後からは西石原、泉川茶山も山番になったわけ。これだけの人が山番なさって守っているところは楠というもの桃木のようにしているもの、こんなものをこの人が守るところに植えていらしゃっているわけ。残るところは、また全部松がいつも植えているわけね。この山ていうのは松が大変多いから、千本松という物があったって。もう昔の千本松というのはどこにあったのか、どんな松であるのか私たちも分からないわけよ。この松にそれだから、また泉川のお婆さんがこんなことして、全部この人が農作物して作ったら、「みんな食べているから。」っていって、の松に全部お供えなさってからに、お下げするのはそこで、これして召し上がりよったって。そうしてから、「何月何日役場から来るから。」って、連絡が来るとよ、また山番出してからによ、重箱を支度してこの松に供えてて、それお下げして、そこで食べてからによ、歌三味線してから別れよったって。この松はそうしたから今は御香炉が置かれているわけ。それで、この山よ、これだけの松お下げするのは何にしたのかね、こんなものしていらっしゃるのはよ、宮平コウセイさんたちがよ、あれ役しているときだよ、この楠の何にしたのか分からないが楠は六人で抱くぐらいに大きくしていたからね。松はこんなに大きくしてよ、そうして下枝がもう固くなっているさね。また下では松粕取ってからに松のチャビーというのでよ、臼を彫る人もいらっしゃったよ。経塚の人であったんだがね、この人が臼は彫ってね、全部売るのをなさったのではないか。この人は自分一人分の住む家の屋敷が、喜納の元のクガンの真向かいにあったわけよ。この人はそこの方に自分一人暮らしていたのを私たちの先祖が首里からあの里方の方に下りていらしゃったから、そこの女の子を妻になさったわけ。この人を妻なさったけど子ども産まなくなったから、そこの男の子もらって行ってしまった。入組み替えしているさね。そうしてからにこの人がもう全部立派に何もかも財産も何もかも全部みんな分けさせたって。こんなことしてからにこの人がもう夜ひっかかるのが多くて大変御願ばかりしているわけね。この何もかもわかすこともしないのに大変哀れであったわけ。そうしてから、この人は喜納のグヮンスも何もかも立派にしないよ。また遺骨は石城の方にこの人たちの先祖のもの全部あったわけね。そうして、この人のものだのに今になっても何もかもしないから、今では島の人たちでお迎えなさってからにね、立派に片付けているが、この理由で、喜納は全部たくさんひかれてよ、それで、これだけの財産もうなくなしているから、このときから大騒ぎであるわけね。それで、私たち里方の方がすぐ動物が引かれたり、人が車に引かれたり、火出したり、こんなものが起こったから大騒ぎさせられているわけね。これまでは私たちはまだ子どもだったから、今になってもくわしくはわからん。私たちの祖父母たちもまたこんなことだったって言って聞かせないからね。そうしから、この今になって、この七、八年前だったさね、ヒジャイアンマーが、このときもこの人が大騒ぎ、すぐ行ってさ、すぐこれなさって、このときからすぐ慌ててから拝みをしているわけね。そうして、この人と覚えて、これして島尻覚えてから、拝みは立派これしてお金もこの人がグヮンスの前に持って行って、拝んだんだがこれだけでは納得はなさらない、「これだけの財産で全部か。私が守った財産で飯は食べているでしょう。」ってなさってからによ。そうしてからに、今度はこんなことしてはいけないからて、お婆が、「とぉ、これはこんなことしてはいけないから打ち紙買って来い。」って言ってからに打ち紙で、「これは利元でありますよ、これは元金でありますよ。」って言って拝みはなさって、これしたから今は、何ひとつ出なくなっているわけね。この人がものははっさみよぉ、もう本当にこの人たちのものはこれだったね。昔はもうそれだからこの人一人で守っていらしゃるのにね、この後任はどんなになったのかねっていって、これ不思議であるわけね。また役所は、「この人の後任の山番はどんなにして継ぎなさったかね。」って思っているわけね。そうしたからよ、我謝てかね、後継をなさったのかね、あの我謝の後ろの方にこの拝みをなさるお婆さんがいらっしゃったけどよ、我謝の後ろの森はね、大田良森っていうて、おっしゃるわけね。そして、西原中の十八カ村、守りなっさった神は、あそこの方に三津武嶽といってよ、運玉森の東にあるよ。この山のことして私たちは拝みに行ったよ。あそこに。それだから、この人が後任は、もうどんなにしてまたこの村有地に後任は銘々分けて、この山番は守らされたのかねって、これ不思議であるわけね。そうしたから、この私たちの祖父母の人たちが山守っていらしゃる間によ、一回は棚原から松切ってあげるてしたから切っていらしゃるわけね、そうしたから私たちの祖父母が切ってあげなさったら人にあげるって、これ切らしたんだが、棚原から、「お前松切ったな。」って言って無理矢理もう捕まえられて。そうして、私たちのタンメーはこの役場にね、ひっぱられて行って私たちの祖父母がね、こんなこんなしてだったから、今の村長たちが親戚の人たちといらしゃったって、我謝大田良のタンメーといいますよ。すぐおっしゃったって。「とぉ今からは切ってあげるなよね、こんなことするとよ、すぐ大変だから切ってあげるなよ。」って言って、こんなことなさってからに逃がしていらしたて。そうしてから、この山でもまた全部、楠があったさ。また、別の山は全部松であったさ。この楠また盗みに来て。これたち本当に悪い者であったよ。楠を夜中から盗みに来るさね。私たちは夜通し山番をして、どこの方で木が切られているよとすると、追って行ったりして追って行ったり、全部このような暮らしであったさ。それだから、この人が後任はこの山をどんなにしてこれなさったのか、これわからないねっていっているわけね。私達の家は喜納は石原の子孫だからてねって、石原に戦のときに直したんだよ。この跡地はこの人たちが山継いだから、その人達は私たちは、本当は石原であるんだがね、私たちの親の家まで喜納、喜納しているわけね。

再生時間:6:47

民話詳細DATA

レコード番号 47O361070
CD番号 47O36C038
決定題名 八人の山番(シマグチ)
話者がつけた題名 山番の話
話者名 石原マカト
話者名かな いしはらまかと
生年月日 19100425
性別
出身地 沖縄県西原町字千原
記録日 19830813
記録者の所属組織 沖縄口承文芸学術調査団
元テープ番号 西原町字上原調査3班T38A07
元テープ管理者 沖縄伝承話資料センター
分類 20
発句(ほっく)
伝承事情
文字化資料 西原町史 別巻西原の民話P333
キーワード 山番,喜納,種,唐
梗概(こうがい) 昔の人、喜納ていう人が、山番で山の守りしていた。この人首里勤めなさっていて、「お前は唐に行って種物取って来て、あそこの山全部、お前が守りなさいよね。」って言いつけられなさったって。そうしたから、この人は唐にいらして種物取り集めていらしゃって、今琉球大学作っているところに種物をもうどこにも植えているわけね。泉川がいらしたところには、そこ茶植えたから茶はそこでよくできているよ。そうしてから、この人が全部山番を上原、呉屋小、喜納小、屋良、これたちみんなに分けてさせたわけ。また中から親泊一カ所、また後からは西石原、泉川茶山も山番になったわけ。これだけの人が山番なさって守っているところは楠というもの桃木のようにしているもの、こんなものをこの人が守るところに植えていらしゃっているわけ。残るところは、また全部松がいつも植えているわけね。この山ていうのは松が大変多いから、千本松という物があったって。もう昔の千本松というのはどこにあったのか、どんな松であるのか私たちも分からないわけよ。この松にそれだから、また泉川のお婆さんがこんなことして、全部この人が農作物して作ったら、「みんな食べているから。」っていって、の松に全部お供えなさってからに、お下げするのはそこで、これして召し上がりよったって。そうしてから、「何月何日役場から来るから。」って、連絡が来るとよ、また山番出してからによ、重箱を支度してこの松に供えてて、それお下げして、そこで食べてからによ、歌三味線してから別れよったって。この松はそうしたから今は御香炉が置かれているわけ。それで、この山よ、これだけの松お下げするのは何にしたのかね、こんなものしていらっしゃるのはよ、宮平コウセイさんたちがよ、あれ役しているときだよ、この楠の何にしたのか分からないが楠は六人で抱くぐらいに大きくしていたからね。松はこんなに大きくしてよ、そうして下枝がもう固くなっているさね。また下では松粕取ってからに松のチャビーというのでよ、臼を彫る人もいらっしゃったよ。経塚の人であったんだがね、この人が臼は彫ってね、全部売るのをなさったのではないか。この人は自分一人分の住む家の屋敷が、喜納の元のクガンの真向かいにあったわけよ。この人はそこの方に自分一人暮らしていたのを私たちの先祖が首里からあの里方の方に下りていらしゃったから、そこの女の子を妻になさったわけ。この人を妻なさったけど子ども産まなくなったから、そこの男の子もらって行ってしまった。入組み替えしているさね。そうしてからにこの人がもう全部立派に何もかも財産も何もかも全部みんな分けさせたって。こんなことしてからにこの人がもう夜ひっかかるのが多くて大変御願ばかりしているわけね。この何もかもわかすこともしないのに大変哀れであったわけ。そうしてから、この人は喜納のグヮンスも何もかも立派にしないよ。また遺骨は石城の方にこの人たちの先祖のもの全部あったわけね。そうして、この人のものだのに今になっても何もかもしないから、今では島の人たちでお迎えなさってからにね、立派に片付けているが、この理由で、喜納は全部たくさんひかれてよ、それで、これだけの財産もうなくなしているから、このときから大騒ぎであるわけね。それで、私たち里方の方がすぐ動物が引かれたり、人が車に引かれたり、火出したり、こんなものが起こったから大騒ぎさせられているわけね。これまでは私たちはまだ子どもだったから、今になってもくわしくはわからん。私たちの祖父母たちもまたこんなことだったって言って聞かせないからね。そうしから、この今になって、この七、八年前だったさね、ヒジャイアンマーが、このときもこの人が大騒ぎ、すぐ行ってさ、すぐこれなさって、このときからすぐ慌ててから拝みをしているわけね。そうして、この人と覚えて、これして島尻覚えてから、拝みは立派これしてお金もこの人がグヮンスの前に持って行って、拝んだんだがこれだけでは納得はなさらない、「これだけの財産で全部か。私が守った財産で飯は食べているでしょう。」ってなさってからによ。そうしてからに、今度はこんなことしてはいけないからて、お婆が、「とぉ、これはこんなことしてはいけないから打ち紙買って来い。」って言ってからに打ち紙で、「これは利元でありますよ、これは元金でありますよ。」って言って拝みはなさって、これしたから今は、何ひとつ出なくなっているわけね。この人がものははっさみよぉ、もう本当にこの人たちのものはこれだったね。昔はもうそれだからこの人一人で守っていらしゃるのにね、この後任はどんなになったのかねっていって、これ不思議であるわけね。また役所は、「この人の後任の山番はどんなにして継ぎなさったかね。」って思っているわけね。そうしたからよ、我謝てかね、後継をなさったのかね、あの我謝の後ろの方にこの拝みをなさるお婆さんがいらっしゃったけどよ、我謝の後ろの森はね、大田良森っていうて、おっしゃるわけね。そして、西原中の十八カ村、守りなっさった神は、あそこの方に三津武嶽といってよ、運玉森の東にあるよ。この山のことして私たちは拝みに行ったよ。あそこに。それだから、この人が後任は、もうどんなにしてまたこの村有地に後任は銘々分けて、この山番は守らされたのかねって、これ不思議であるわけね。そうしたから、この私たちの祖父母の人たちが山守っていらしゃる間によ、一回は棚原から松切ってあげるてしたから切っていらしゃるわけね、そうしたから私たちの祖父母が切ってあげなさったら人にあげるって、これ切らしたんだが、棚原から、「お前松切ったな。」って言って無理矢理もう捕まえられて。そうして、私たちのタンメーはこの役場にね、ひっぱられて行って私たちの祖父母がね、こんなこんなしてだったから、今の村長たちが親戚の人たちといらしゃったって、我謝大田良のタンメーといいますよ。すぐおっしゃったって。「とぉ今からは切ってあげるなよね、こんなことするとよ、すぐ大変だから切ってあげるなよ。」って言って、こんなことなさってからに逃がしていらしたて。そうしてから、この山でもまた全部、楠があったさ。また、別の山は全部松であったさ。この楠また盗みに来て。これたち本当に悪い者であったよ。楠を夜中から盗みに来るさね。私たちは夜通し山番をして、どこの方で木が切られているよとすると、追って行ったりして追って行ったり、全部このような暮らしであったさ。それだから、この人が後任はこの山をどんなにしてこれなさったのか、これわからないねっていっているわけね。私達の家は喜納は石原の子孫だからてねって、石原に戦のときに直したんだよ。この跡地はこの人たちが山継いだから、その人達は私たちは、本当は石原であるんだがね、私たちの親の家まで喜納、喜納しているわけね。
全体の記録時間数 8:25
物語の時間数 6:47
言語識別 方言
音源の質
テープ番号
予備項目1

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