運玉義留(共通語)

概要

王様の時代の何代目かの時代にこれはおこった。これははっきりわからない。昔の人から聞いたことだけど、運玉義留という人は田舎の育ちであるんだが、侍の奉公をするために首里にいってそれで首里の侍たちに信頼されて、それで首里の侍たちの床屋を首里でやって、その当時侍の方々が運玉義留の所に来て、髪を切られていた。しかしその当時はカンプーであって、手入れをするために少し切る。その時に床屋に来ている侍に「しっかり勉強してどれだけの位までなれるか。」とその侍にきいたそうだ。この侍も偉い侍で「あなたがいくら勉強しても地頭代までだ。」といったそうだ。「こんな小さい身分になるくらいなら、後の世に名を残すためには盗人になった方が良い。」と決心して、そうして、その時から床屋をやめ盗人になった。それからあっちこっち泥棒した。盗んだ着物や食べ物は自分でもらうのではなく困っている人達にあげるためにしていた。金持ちから盗んで貧乏人にあげていた。イルイエーグニは金持ちで、その家から着物などをとって貧乏人にあげた。その事が侍たちに知れわたった。運玉義留は油喰坊主という弟子を迎え入れた。この油喰坊主を連れていったときに、油喰坊主に「あなたの父母はどこに行ったか。」と聞いたそうです。「私の父母はナチフルフル、フーヌクタリカイカ。」といった。これは大変だ、何の事だろうと考えて「それは何か。」と聞くと「稲刈りだ。」という。夏はホロホロして、冬は稲刈りをして米にする。そのことであった。「そうか。」と思ってこの人を連れて歩いた。昔は油ガメがあって、その油ガメに綿をつめて、そして油を売る所に行って買う。少し買ったところで「あなたたちの油は少ないので返す。」と言って、その油を元の主に返す、それをあっちこっちでやって、この中から綿を抜き出して、これをしぼって油をためた。あっちこっち金は出さないで油を取ったことで名前が油喰坊主という。金を使わないで油をたくさん買った。

再生時間:6:43

民話詳細DATA

レコード番号 47O360890
CD番号 47O36C032
決定題名 運玉義留(共通語)
話者がつけた題名
話者名 小波津武
話者名かな こはつたけし
生年月日 19050126
性別
出身地 沖縄県西原町字小波津
記録日 19820219
記録者の所属組織 沖縄口承文芸学術調査団
元テープ番号 西原町字小波津調査7班T31A05
元テープ管理者 沖縄伝承話資料センター
分類 20
発句(ほっく)
伝承事情 お年寄りから聞いた
文字化資料 西原町史 別巻西原の民話P479
キーワード 運玉義留,油喰坊主,油買い,盗人出世,義賊,盗人
梗概(こうがい) 王様の時代の何代目かの時代にこれはおこった。これははっきりわからない。昔の人から聞いたことだけど、運玉義留という人は田舎の育ちであるんだが、侍の奉公をするために首里にいってそれで首里の侍たちに信頼されて、それで首里の侍たちの床屋を首里でやって、その当時侍の方々が運玉義留の所に来て、髪を切られていた。しかしその当時はカンプーであって、手入れをするために少し切る。その時に床屋に来ている侍に「しっかり勉強してどれだけの位までなれるか。」とその侍にきいたそうだ。この侍も偉い侍で「あなたがいくら勉強しても地頭代までだ。」といったそうだ。「こんな小さい身分になるくらいなら、後の世に名を残すためには盗人になった方が良い。」と決心して、そうして、その時から床屋をやめ盗人になった。それからあっちこっち泥棒した。盗んだ着物や食べ物は自分でもらうのではなく困っている人達にあげるためにしていた。金持ちから盗んで貧乏人にあげていた。イルイエーグニは金持ちで、その家から着物などをとって貧乏人にあげた。その事が侍たちに知れわたった。運玉義留は油喰坊主という弟子を迎え入れた。この油喰坊主を連れていったときに、油喰坊主に「あなたの父母はどこに行ったか。」と聞いたそうです。「私の父母はナチフルフル、フーヌクタリカイカ。」といった。これは大変だ、何の事だろうと考えて「それは何か。」と聞くと「稲刈りだ。」という。夏はホロホロして、冬は稲刈りをして米にする。そのことであった。「そうか。」と思ってこの人を連れて歩いた。昔は油ガメがあって、その油ガメに綿をつめて、そして油を売る所に行って買う。少し買ったところで「あなたたちの油は少ないので返す。」と言って、その油を元の主に返す、それをあっちこっちでやって、この中から綿を抜き出して、これをしぼって油をためた。あっちこっち金は出さないで油を取ったことで名前が油喰坊主という。金を使わないで油をたくさん買った。
全体の記録時間数 6:58
物語の時間数 6:43
言語識別 共通語
音源の質
テープ番号
予備項目1

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