運玉義留(シマグチ)

概要

昔は首里から南風原、佐敷にかけてうっそうとした山であった。今の様に人が多くなって開拓されていないので、首里、南風原、西原、佐敷、知念までみんなうっそうとした山であった。その為に運玉義留は運玉に逃げて来てリングムイといってあるんだが、ここで殺されたという。運玉義留は本当は島尻の人だというがどうだろう。運玉義留がいたというのはこの昔、琉球の使いのもので浦添、南風原、西原、首里に近いところから行くそうだ。奉公人もその以外の人は出来ない。その為にこの運玉義留は西原の桃原に来た。それで幸地御殿に奉公に行ったらしい。これは伝説です。幸地御殿に行ったけれど、百姓の自分が勉強したらどれぐらいの位まで登れるかというと「おまえ達は百姓であるからウッチー(区長)サバク(収入役)地頭代(代理人、村長)そこまではできる」というので「それではあなたは何までなれるか」ときくと「私達は勉強次第では三司官にもなれる」といった。三司官というのは王の補佐をして政治をとり行う総理大臣のようなもので、ここまではなれると言った。「どうして同じように親のお腹から裸で生まれて貴方達は三司官になって私は地頭代にしかなれないようなら盗人になって名を残した方が良い」と言ったのが盗人の始まりである。あれは義賊であって運玉義留は「士族も平民も頭が良ければ上に行くのが筋ではないか」というのが彼の考え方だと思う。あれは盗人ではない、私はそう思う。それから幸地御殿の仕事を辞めて、とる品物も、とにかく偉い人の家から盗んで貧乏人にあげていた。

再生時間:4:35

民話詳細DATA

レコード番号 47O360182
CD番号 47O36C008
決定題名 運玉義留(シマグチ)
話者がつけた題名
話者名 小橋川潔
話者名かな こばしかわきよし
生年月日 19031005
性別
出身地 西原町字我謝
記録日 19810614
記録者の所属組織 沖縄口承文芸学術調査団
元テープ番号 西原町字我謝調査8班T07A18
元テープ管理者 沖縄伝承話資料センター
分類 20
発句(ほっく)
伝承事情 祖父から聞いた
文字化資料
キーワード 運玉義留,盗人
梗概(こうがい) 昔は首里から南風原、佐敷にかけてうっそうとした山であった。今の様に人が多くなって開拓されていないので、首里、南風原、西原、佐敷、知念までみんなうっそうとした山であった。その為に運玉義留は運玉に逃げて来てリングムイといってあるんだが、ここで殺されたという。運玉義留は本当は島尻の人だというがどうだろう。運玉義留がいたというのはこの昔、琉球の使いのもので浦添、南風原、西原、首里に近いところから行くそうだ。奉公人もその以外の人は出来ない。その為にこの運玉義留は西原の桃原に来た。それで幸地御殿に奉公に行ったらしい。これは伝説です。幸地御殿に行ったけれど、百姓の自分が勉強したらどれぐらいの位まで登れるかというと「おまえ達は百姓であるからウッチー(区長)サバク(収入役)地頭代(代理人、村長)そこまではできる」というので「それではあなたは何までなれるか」ときくと「私達は勉強次第では三司官にもなれる」といった。三司官というのは王の補佐をして政治をとり行う総理大臣のようなもので、ここまではなれると言った。「どうして同じように親のお腹から裸で生まれて貴方達は三司官になって私は地頭代にしかなれないようなら盗人になって名を残した方が良い」と言ったのが盗人の始まりである。あれは義賊であって運玉義留は「士族も平民も頭が良ければ上に行くのが筋ではないか」というのが彼の考え方だと思う。あれは盗人ではない、私はそう思う。それから幸地御殿の仕事を辞めて、とる品物も、とにかく偉い人の家から盗んで貧乏人にあげていた。
全体の記録時間数 4:44
物語の時間数 4:35
言語識別 混在
音源の質
テープ番号
予備項目1

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